Main Story (4)
視点担当:チアキ
状況説明:現実世界に戻ってきたチアキとエミリアの会話
*
クレイドル・システムの終了とともに、意識が緩やかに覚醒する。
見慣れた灰色の天井は相変わらず無機質で、曇天を思わせるようなそれ。
「終わった……か」
本来、精神世界の記憶は、現実世界に持ち越せない。
だが、万が一精神世界の自分が人類を目覚めさせる道を選んだ時、チアキに限りその記憶を引き継ぐようにした。精神世界で抱いた希望や気持ちは、恐らく自分がこちら側の世界で生きる上での糧になる。
そう、あの時は思ったのだけれど。
「……ああ、もう散々だったな」
つぶやいて、愚痴を漏らす。
そもそも、当初の初期設定ではハイネは「かっこいい頼りがいのある兄貴」のはずだったのに、どこでどう間違えてあんな性格になったのだろう。引きこもりで変態で爽やかで変わり者。〈エマヌエルの天使と悪魔〉に性格の変化の余地を残したのは間違いなくチアキなのだが、それにしたところで変化するにも程がある。おかげで精神世界の自分はハイネに突っ込みを入れたり説教したりする忙しい日々を送らなければならなくなった。
それを言うならアスカもアスカだ。外部の人間から干渉を受けてチアキを嫌いという設定を持っていたとしても、あの性格はいただけない。男前でなんでもかんでもはっきり言うし、口より先に手が出るし短絡的だし、思いやりや配慮に欠けているし、何より可愛くない。口を開けば「あなたが嫌い」だの「あなたが大嫌い」しか言えないのだから、それ以外のボキャブラリー増やしたらどうなんだろうと何度心の中でつぶやいたことか。まぁ、アスカについては仕方がないかもしれないのでこの辺りで止めておく。
それならセラはどうなのだろうと考える。
大人しくて泣き虫で少し引っ込み思案な少女。最初から最後までチアキを好いてくれて、チアキと一緒にいたいと願った健気な少女。どういうわけか〈エマヌエルの天使と悪魔〉の自覚と記憶を失って、「チアキが好き」という感情を持て余して、少しばかり暴走してしまった少女。最後は散々泣かせた挙句に酷いことを言ってしまった。自分がそう言わせるように仕向けたとはいえ、「チアキなんかきらい! どっか行っちゃえばいいんだ!」の台詞は中々に胸が痛むものがあった。これは自業自得なので文句を言えた義理ではないが。
嗚呼、でも。
それでも、僕は。
アスカが、ハイネが、セラが。
あの三人のことが、本当に、本当に大好きだったのだ。
そう認めた瞬間、目の奥が熱くなる。喉が震える。鼻の奥がつんとして、こみ上げてくる胸が割かれるような切なさと、狂おしいほどの愛しさが全部まぜこぜになって。
チアキは泣いていた。嗚咽を必死に押し殺して泣いた。涙を何度も何度も瞳の奥に押し戻そうとしたけれど、そんなのもう無理だった。
他愛ない会話が、ささいなことで腹を立てて喧嘩した日々が、あの光のようにきらきらと輝いた、かけがえのない宝物のような日々が、とても愛しくて、大好きだったのだ。今は何もかもがもう遠いけれど。
例え、彼らが精神的な存在だったとしても。
単なる設定にすぎない、偽物だったとしても。
そこに偽りも本物も関係なく、彼らと過ごした日々は、こうして確かにチアキの中に胸に残って息づいているのだから。
「偽りなんて虚しい」とアスカは言ったが、それでも、偽物が何も残さないなんてことはあり得ない。ハイネが「偽物もいいものだよ」といつだか言っていたが――あの時の言葉の意味が、チアキが今思うものと同じとも限らないが――今ならわかる気がする。
……そうして、気が済むまで泣いたら少しすっきりした。
タイミングを見計らったかのように、部屋の扉が開かれる。入ってきたのは一人の女性だった。稀代の科学者、エミリア・ブラーナ。
彼女がここへやってきたことをなんとなく悟る。
「……なるほど、アスカを送り出したのはあなたでしたか」
かまをかけたようなものだったが、ほとんど確信に近かった。
エミリアは無言のまま小さくうなずいて肯定した。
「なぜ、と聞いてもいいですか」
「あなたが精神世界に作った人格の一人である、セラが思いもよらない方向に転んだことに気付いたからよ」
「思いもよらない方向?」
「彼女もまた、クレイドル・システムの初期段階から組み込まれていたわよね。それはあなたも知ってるでしょ? そして、初期設定という人格はあるものの、後天的にいくらでも変わるようになっていた。そうよね?」
「そうです」
「そして、ハイネがそうだったように、セラにも後天的に変化する余地を与えるために、精神世界の中の情報を与え続けていた。ハイネとは別の方法で。それゆえに、彼女は学習し、変化し、そして矛盾を起こしたってわけ」
「矛盾って……」
「セラは精神世界の情報を吸収していくうちに、好きな人と一緒にいたいと願う知識と気持ちを学んじゃったのよ。けど〈エマヌエルの天使と悪魔〉であるセラは、その使命を果たした時に消えてしまう。つまりは、自分が使命を果たすと、好きなチアキと一緒にいられなくなってしまうことに気づいちゃったってわけ」
「だから、放棄した……?」
ハイネが最後に自らの使命を放棄したように。彼はクレイドル・システムを続けるのが目的でしたが、チアキとアスカに道を譲った。理由は「好きな人のやりたいことを応援したくなるのは自然」というものだったが。それも、彼の役目を考えればそれはありえないことだったはず。
「あなたが本気でこの審判を公平に行うなら私は黙って見守るつもりだったわよ? でも、そうじゃなくなっちゃったんだもの。だから無理やり介入したってわけ」
「……アスカという存在を使って、ですか」
「そういうこと。セラの中にかろうじて残っている情報とか〈エマヌエルの天使と悪魔〉である自覚とか、そういうものをしてアスカに与えたのよ」
「それなら、どうしてアスカにも『チアキを好き』っていう気持ちを与えなかったんですか。おかげで本当に散々だったんですけど……。大嫌いとか、言われるとへこむんですよ、あれ……」
落ち込んだ風に愚痴るも、エミリアの態度は実にあっけらかんとしたものだった。
「そりゃ、しょうがないじゃない。本人がそれだけは絶対にいやだって言ったんだもの」
その台詞の意味を理解するのに五秒かかった。
「本人が絶対にいやだって言った……?」
ここへきて、自分が何か盛大な勘違いをしていることに気づく。
アスカは、ハイネやセラと同じように、エミリアが作った仮想的な存在だと思っていたのだが。
「あれ? もしかして、私今なんかやっちゃった?」
けろっとした様子で問いかけるエミリア。ただし、チアキに対してではなく、部屋の外に対して。
「……びっくりさせようと言ったのは、エミリアの方だと思ったのだが?」
聞こえてきたのは透き通った少女の声。
開け放たれた扉の奥から、そっと姿を現したのは、
「……アスカ?」
精神世界で見た姿より、やや年上の少女がそこに立っていた。仏頂面で。
彼女はつかつかとチアキの前までやってくると、仁王立ちをして腕を組む。
「私はあなたが大嫌いだ」
出会った時も、別れた時も、彼女が言い放った同じ台詞。
「なので、あなたが私を好きになりなさい」
そうむちゃくちゃなことをアスカは言った。
~FIN~
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