Main Story (2)
視点担当:チアキ
状況説明:チアキとアスカに襲いかかるセラを、遅れてやってきたハイネが止めるシーン。
*
セラを全身全霊で止めようとするハイネ。
「早く行け!」
ぼろぼろになりながら、セラを羽交い締めにして叫ぶハイネはよほど切羽詰まっているのだろう。いつもの余裕はない。チアキとアスカと対峙した時でさえ、余裕綽々だった兄の珍しい一面を見て、場違いにもチアキは笑いだしたくなった。
そんな一瞬の現実逃避も、セラの泣き声で終わりを告げる。
「やだ! 行っちゃやだぁぁぁぁぁぁっ!」
セラが泣いている。大人しくて聞き分けが良くて、今まで一度さえわがままを言わなくて、感情を表に出すのが少しへたくそで、それでも時折見せる笑った顔がとても可愛くて。
そんなあの子が、喉が潰れるような大声で泣き叫んでいる。
何もかもをかなぐり捨てて、ただひたすらに泣く小さな子供。まるで親の死に目に立ち会ったような、そんな悲痛さがそこにはあった。
「もうわがまま言わないから! にんじんもちゃんと残さず食べるから! ハイネのことが苦手とか言わないから! ちゃんとみんなとも仲良くするから! だから、だから……行っちゃやだぁぁぁぁぁぁっ!」
あの子の、セラのこんな声を聞くのは本当に初めてだった。
その声にどうしていいかわからなくなったチアキはその場に呆然と立ち尽くす。
今すぐあの子に駆け寄って、抱きしめて、涙を拭ってあげたい。それは、チアキの嘘偽らざる本心だ。
なぜなら、チアキがこうしてこの場にいるのは、セラがいてくれたからだ。
世界の真実を知った日、ありたい体に言えば、チアキは失意のどん底にいた。現実世界の自分とやらも、精神世界で生きるのも現実世界で生きるのも、何もかもが嫌になっていたのだ。アスカの言い分を無責任と思い、ハイネの言い分を身勝手だと思い、ただ逃げていた。
そんな自分を見限らずに、親を追いかけるように後ろからくっついてきたセラ。唯一何も知らない彼女はチアキにとって心を許せる相手だった。
この子の存在に、チアキがどれだけ救われたか。
この子にどれだけ励まされ、どれだけ背中を押されたことか。
現実世界の自分が科学者で、人類存続のために頑張ることができる場所にいるのなら、彼女が少しでも笑える世界になるよう出来ることがあるのではないだろうか。まだやれることがあるなら、それを諦めたくないと思った。
そして何より、チアキは現実世界のセラに会いたかった。精神世界の性格と現実世界の性格は変わらない。だからこそ、現実世界で生きるセラという人間がどんな人物なのか知りたかった。
精神世界の記憶は現実世界に引き継ぐことができないけれど、それでもどこかで出会ったのなら、思い出すこともあるのではと、ひとかけらの希望を胸にして。
もしかしたら子供じゃないかもしれない、おばあちゃんかもしれない、そうだとしても、チアキはセラにもう一度会いたかった。
アスカでもなく、ハイネでもなく、セラだったからこそ、そう思えたのだ。
それなのに、その前提条件が覆されてしまった。
ハイネの言うとおり〈エマヌエルの天使と悪魔〉であるなら、彼女はクレイドル・システムを終わらせた時にいなくなってしまう。
アスカや、ハイネと同じように。
「何ぼさっとつっ立ってるんだよ! さっさと行けって!」
「僕は……っ!」
躊躇する。これが躊躇せずにいられるものか。
「思い出せ! セラの求めるものはなんだった!? 〈エマヌエルの天使と悪魔〉としての使命も何もかもなく、こいつがチアキに求めたのはなんだった!? 決意した時、もう二度と会えなくなるとしても、思い出せないとしても、それでも、セラがお前に望んだのはなんだった!」
迷うように視線をさまよわせれば、アスカと目線が合う。彼女は思い詰めるような顔をしていた。
「私は……」
何度かアスカは迷い、言葉を飲み込んだ後。
「……私は、クレイドル・システムを止めるのをやめないでくれ、と言わない」
思っても見なかった発言だった。
ここへきて、アスカとハイネの意見がまるで真逆のものになったことに驚く。
「あえていうなら、あなたに良かった思い出まで否定して欲しくない。それだけだ」
「それはどういう意味……」
「確かにセラは消えてしまうかもしれない。また、現実に帰ったら嫌なこと辛いことはたくさんあるだろう。でも、良いことも確かにあったはずだ。どれだけ小さいことだとしても、慎ましやかなものだとしても、今私がここにいるということは、あなたがここまで来たということは、どちらのチアキにも諦めきれない何かがあったんだと思っている。ここであなたがセラのために諦めてしまうのなら、それはそれで構わない。でも、どうか良かったことまで否定しないで欲しいんだ。私の言っていることも、あなたにとっては、きっと偽りに聞こえるかもしれないが。それでも、どうか――頼む」
弱音を吐くようにアスカがチアキに懇願する。
すがるようにチアキにお願いするアスカというものをチアキは初めて見た。
「ぼく……は……」
この最後の最後で、アスカとハイネの姿を見て、自分が今こうして立つことが出来たのは、セラに励まされただけではないことに唐突に気づく。
確かにきっかけはセラだったかもしれない。セラが生きられる世界を望んだのは間違いなくチアキだ。
けれど、アスカの言葉を聞いて、ハイネと戦った後に送り出されて、何よりも自分がこの世界を諦めたくないと、願ってしまったのだ。それが、どれだけ小さな希望だったとしても。
ぐっと拳を握る。相変わらず響き続けるセラの泣き声を頭から振り落とす。
チアキは黙ってセラに背を向けた。どこかほっとしたような表情でアスカが胸をなでおろすのを見ながら、最低だな、と自嘲する。それが、自分に対するものだったのか、アスカに対するものだったのかはわからないけれど。
しかし。
「いやだ……行かないでよ……っ。行っちゃやだぁぁぁぁ……っ」
泣き叫んで親を求めるあの子の痛切な叫びを聞くと決意が鈍る。こんなところで揺らいでいる暇なんてないのに、どうしても彼女の泣き声を振り払うことができない。
思わず振り返りそうになったアスカがチアキの腕をつかむ。アスカは必死な顔をしていた。
「そもそも、ここで振り返って、あの子を抱きしめたところで、あなたはセラになんと言うつもりだ! セラが納得できる言葉を返してあげられるのか!? あの子の心からの叫びに応えることができるのか!?」
アスカの言うことは正論だ。彼女はいつだって正論しか言わない。
「だけど……っ!」
だけど、これはあんまりだ。あまりにも惨い。たとえ、セラが偽りで仮初の存在だとしても――だからこそ、逆に酷い。なぜなら、彼女はハイネやアスカと違って〈エマヌエルの天使と悪魔〉であるという自覚がないのだから。
泣きはらした目でハイネに羽交い締めにされて、身動きが思うように取れないセラ。大粒の涙を流しながら、親と引き離された子供のように泣きじゃくる彼女を見ると、とんでもない罪悪感が湧き上がって来る。
まるで祈りにも似た、今にも消え入りそうなか細い声で、セラが痛切に祈る。
「おいて行かないで……」
――もう、限界だった。
「「チアキ!」」
素早くきびすを返すチアキを見た二人が、絶望的な声を上げる。
足早にハイネのところまで戻ってきたチアキは、申し訳なさそうな顔をしながらもハイネに命令する。
「ハイネ、セラを離して」
「けど……」
「大丈夫だから」
そう言えば、ハイネは少しの逡巡の後、セラを解放した。
ひっくひっくと嗚咽を漏らす彼女は、涙腺が壊れたように泣いている。
そんな彼女の頭をよしよしとなでてやる。
我慢の限界だったのだろう。セラは両腕を伸ばしてチアキに抱きついてきた。
セラの小さな背中に手をまわして、あやしてやる。
「行っちゃ、いっ、いっ、ちゃ……や、やだぁっ……」
ろれつが上手く回らないらしい。
多分、自分が何を言っても説得できないだろうなという奇妙に冷めた予感があった。既に問答は尽きている。ハイネがセラこそ〈エマヌエルの天使と悪魔〉なのだと言っても、何を言っても、セラは違うとただ首を横に振るばかり。もう、彼女に正常な判断力を求めるのは難しい気がしていた。
好きな人がいなくなるのはつらい。そんなの当たり前だ。だって「好き」なのだから。
それならば――
「セラ、聞いて」
チアキはそっとセラの耳元で囁き、セラの身体を引き離す。
「っく……ぅふ、なに……?」
手で涙をぬぐいながらも返してくる彼女に、チアキは優しく笑いかけ。
「――僕はね、ずっと君のことが嫌いだったんだ」
そう告白した。
瞬間、セラの表情が固まる。
「う……そ」
「嘘じゃない」
「うそだよね……?」
「嘘じゃない」
「うそ!」
「嘘じゃない」
言い聞かせるように、繰り返す。
「だって……そんな……」
セラが笑おうとして失敗する。
「出会った時から嫌いだった。大人しくて聞きわけが良い君が嫌いだった。嫌いなニンジンを一生懸命頑張って食べる君が嫌いだった」
今までの思い出をなぞるように、一つ一つ染み込ませるように酷く優しい声で語りかける。ああ、とても自分は今酷いことを言っている。その自覚があった。
「僕に気をつかったり、優しく励ましてくれる君が嫌いだった。ずっと、ひよこみたいにくっついてこられた時は本当に嫌だった。とっととどっかに行ってくれないかなってずっと思ってた」
泣くな、泣くな。言いながら、自分に泣くなと言い聞かせる。ここで泣いてはいけない。泣いたら台無しだ。そう思うのに、どうしてか目の奥が熱い。
「そんな君が、大嫌いだったよ」
ありったけの想いを詰め込んで、チアキは泣き笑いのような表情で、そう告げた。
瞬間。
ぱんっ、と頬に熱い感触。セラに叩かれたのだと気づくのに遅れた。
「……セラのことをきらいなパパなんてきらい」
怒ったような顔で、セラが言う。既に彼女の涙は引っ込んでいた。頬には涙の痕が幾重にも残っていたけれど。
嫌われた悲しみを怒りでふさごうとしているのだろう。しかし、みるみるセラの瞳には涙がたまっていく。
「セラのことをきらいなんていうパパはパパなんかじゃない!」
そう叫ぶ彼女に、チアキはどこまでも穏やかな声で返した。
「そうだね。僕もセラが大嫌いだよ」
果たして、その時の自分がどんな表情をしていたのか。
息を飲んで見守るアスカとハイネの表情からして、きっと情けないものだったのだろうけれど。
「チアキなんて――」
きっと、チアキを強く睨みつけていたはずのセラが、何かを言おうとした後、何かに気づいたように、その言葉を飲み込むのがわかった。
セラは何かをぐっと押し殺すようにうつむいた後、怒っているような、泣いているような、中途半端な表情で。
「……チアキなんかきらい! どっか行っちゃえばいいんだ!」
ハイネにすがりついて、わぁわぁと泣くセラ。そんな彼女の頭を、チアキは最後になでてやる。セラはまるでそれを拒むように「きらい、大きらい!」と泣き叫びながら頭を振っている。
「パパなんか……だいきらいだぁぁぁぁぁ………」
尾を引くような、とても悲しい悲しい泣き声だった。胸を締め付けられるとはこういうことを言うのかもしれない。
その一連の流れを眺めていたハイネが、ようやくと言った風に息を吐いた。
「……なんていうか、ちーちゃんが俺の生みの親っていうのも納得した。性格悪すぎ」
「なんだよ、それ」
苦笑する。
ハイネがセラを片腕で抱きしめながら、チアキに向かって拳を突き出してきた。チアキも拳をハイネの拳に突き付ける。あとは任せた。声に出さずに告げる。
セラとハイネのそばから離れ、呆けたような表情で黙っていたアスカに近づく。
「行こう、アスカ」
「……ああ」
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