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スーパーマーケットの中で小学生低学年ほどの男の子が二人、鬼ごっことして母親らしい女性に注意されている。

 私たち夫婦の間には子供がいないので、時々子供が生まれたらどんな生活になるだろうと考える。その度に子供という存在に、生活の活力や冷めた夫婦生活の打破を期待しているようで、自分はなんて不謹慎な人間なのだろうと感じる。

 人間は生まれたら必ず死ぬ。その間には、生きていくための苦しみ、そしていつか死ぬという絶望が詰められている。母親という不完全なエゴで、1人の人間に背負わせるにしてはあまりにも大きい重荷だと思ってならない。そして何より、夫も親戚も子供を期待していないようなので(少なくとも私の前では期待していないように振る舞っている。)、例の如く変化を望まない私は変化を起こさないまま生活をしている。

 そんなことを考えながらも、子供そのものの存在は愛らしく、可愛らしく感じる。決して自分の子供になることはないが、甥や姪のことを思い出した。そうだ。気まぐれではあるが、天気のよい今日、久しぶりにショッピングモールの本屋に行き絵本でも贈ってみようか。


 絵本の世界は良い。人間の思考を大いに形づくる幼少期に冒険心や隣人への親切心の働かせ方を教えてくれる。例えば、本屋のポップアップによると、多彩なイラストを使った冒険物語は男の子だけでなく、女の子にも人気だそう。私も幼いときに、仕掛けを使った絵本をだいぶ気に入っていたのを思い出す。その絵本では、小さな国の王子が仲間と協力しながら遠い島に宝物を探しに行くというストーリーだった。今、思い返すと、宝物そのものよりもそれまでの道のりが楽しそうで、私の生活には程遠い「スリル」という言葉がピッタリ当てはまる。

 なぜ、こんなことを思い出すのだろう。仲間と笑う主人公の王子様、楽しそうな冒険の道中、そしてあるのか分からない宝物。


 きっと私は王子様の心が羨ましいのだろう。自分の求めるままに行動する力、そして心。


宝物なんて、本当は重要ではなかったのではないのかもしれない。

 

そのことに気付いた私は、自分のために何かをすることができるだろうか。自分の心を探すことができるだろうか。

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