第3話 葉桜 揺れて
「わたし、お父さんが好きですっ」
えっ…………!
言葉に詰まった。
もしかして、俺かなぁ……なんて思ってたとは、とんだマヌケだ。
慌てて目を反らしたが、いつも鋭い桜子のこと、隣からはじとーと見詰める視線が突き刺さる。
「先生、間違えてなかったですか?」
「いや…………
だって、あんな根掘り葉掘り訊かれたら、俺かなって思うだろ、普通は!」
最後は逆ギレぎみに眉を吊り上げれば、桜子が小さくクスッと笑う。
「わたしのお父さん、先生に似ているんです。だから、先生がどんな人を好きだったのか気になって、つい困らせました」
そして、つと真剣な眼差しを向けられた。
「先生は美樹さんと長いあいだお付き合いしていて、このさきもずっと一緒にいたい、結婚したいと思いましたか?」
いつになく向けられた真面目な問に、こちらも誠実に応える。
「そりゃ遠距離恋愛になるってわかった時には、離れたくなかったし、一緒に来て欲しかったよ。だけど新米教師の俺に、あいつを幸せにしてやれる自信がその時にはなかった。
もうすっかり昔話だよ。こんな話、お前には参考にもならないな」
苦笑いを浮かべて視線を向ければ、桜子は大きく首を振り、小さく息を吐いて膝の上の手をぎゅっと握り締めた。
まるで心の底から勇気を奮い起こすように。
「わたし、里子なんです。
本当のお父さんは顔も見たことないし、名前も知りません。お母さんには……小学校の四年生の時に捨てられました」
はっと桜子の横顔を見返して、ふと思い出した。
学校にある桜子の身上書は、保護者の欄と生徒の欄で名字が違っていた。だけど、そんなことは今の学校現場では珍しくもない。両親が途中で離婚したり、シングルマザーだった母親が再婚したりした場合、子供の精神状態を思い庇って名字をそのままなんて、よくあることだ。
だから、てっきり桜子も……。
まるで古傷をえぐり出すようにポツリ、ポツリと話す桜子の声に、ただ黙って耳を傾けた。
小学校に入ったくらいには、母親は
その時に「うちに来なっ!」って声を掛けてくれたのが、隣の部屋のお兄ちゃんだったこと。
「初めのうちは三日に一日、二日に一日だったけど、そのうち毎日になって、それからはずっとお兄ちゃんの部屋に居ました。
だけどアパートの家賃が溜まって、お母さんが帰ってきてないことが大家さんに知られてしまって……学校の先生が来たり、お兄ちゃんの御両親が呼ばれたりして大騒ぎになって……わたしをどうするのか話し合いになった時、お兄ちゃん、みんなに嘘を吐きました」
桜子は涙を見せていても、誇らしくあるような寂しさを湛えた笑顔を見せた。
「お母さんとは内縁関係だったって……。
ほとんどアパートに居なかったお母さんと、そんな事あるわけないのに」
「そのお兄ちゃんが、今のお父さんか……?」
桜子がコクンッとうなずいた。
「本当の里親は、お父さんの御両親です。その時のお兄ちゃんでは、里親には成れなかったから。捨てられた子供のために、わざわざ研修を受けてなってくれた、優しい御両親です。
わたし、お父さんと御両親が好きです。出来るなら、お父さんと結婚して本当の家族になりたい」
そして、涙をいっぱいに溜めた目で見詰められた。
「捨て子のわたしが、こんな図々しいことを考えたらいけませんか?」
「いいに決まってるだろっ!」
即座に声が出た。
普通に育っていれば、当たり前に持っているはずのささやかな幸せだ。その願いがダメなはずなんて、絶対にない。
ただ……だ。
「お父さんはお前の気持ちを知っているのか?」
「わかっていると思います。
でもお父さん、先生と同じに不真面目そうに見えるけど、本当は真面目なんです。わたしと何かあったら、里親の資格を取り上げられちゃうから……。
だから──」
「だから就職なのか?」
桜子はコクンッとうなずいた。
「お父さんとご両親が後ろ指さされないように、少しだけ大好きな家を離れます。離れてちゃんとお付き合いして、結婚したい。
里子が里親から離れるには、四つの方法があるんです。
一つ目が、親族に引き取ってもらう。
二つ目が、別の里親を見付ける。
三つ目が、児童相談所の施設に入る。
四つ目が、就職して自活できるようになること。
わたしに親族なんていないし、今から別の里親を探すのも無理です。施設に入るのは、お父さんが許してくれるはずもありません。
だから、就職します」
凛として決意を込めて言う姿は、いつもの桜子らしい。それでもだ、おれは桜子よりもっと大人で、担任だ。
余計なお節介かもしれない。それでも──
「俺はお前に諦めて欲しくないっ! 家族も、勉強も、全部を手に入れて欲しい」
「でも、そんなこと──」
安心させるように、にぃぃと笑い掛けた。
そして桜子の背後にチラリと見えた姿に、その背を押してやる。
「お前は、勉強だけ頑張れ!」
桜子はしばしの間、じぃーと俺の目を覗き込んでいたが、コクンッと大きく頷いて、大好きな人の元へと走り去った。
本当はそんな魔法みたいな方法があるのか、俺にもわからない。だけど、滑って転んで走り回っても、もがいてあがき続けてやるっ。
桜子は俺の生徒だから!
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