迷いの森編

第1話 始まりの朝

 人里離れた場所に位置する広大な森林。その奥には、豊かな草原が広がっていることは、近年齎された新たな観測技術により確認済みである。


 しかし、Aランクの魔物も多く出没する森林が行く手を阻み、また草原自体にも、森から溢れ出た魔物が多数生息している為、集落が形成されない幻の大地。


 人々はいつしか、この一帯を『魔物の都』『悪魔の巣』などと呼ぶようになり、恐怖の対象として認識するようになっていた。



 ◆◇◆



 少年は途方に暮れていた。


 何せ持ってきた食料は全て、“奴ら”が差し向けた魔物__その凶悪さから人々に恐れられているマッド・ハウンドに、既に食い尽くされてしまったのだ。辛うじて身一つ逃げ出すことはできたが、食料のないまま、幻覚作用のある幻妖花の群生する広大な森林__迷いの森ラビリンスからの帰還は絶望的だった。


 もし仮に腹が満たされていたのなら、可能だったのかもしれない。


 獣の特徴を受け継いだ“獣人”、こと陸の生態系の頂点に君臨する狼の特徴を持った、所謂“狼獣人”である彼ならば。


 獣人は、空気中に漂う魔力を糧に生きる魔物の血を色濃く受け継いでいる。その気になれば、飲まず食わずでも一週間程度なら余裕耐えられる。


 しかし今、五日前に硬いパンと栄養価の低い果物を食べて以来、何も口にしていない上に、手元には食料は皆無。


 まだ生きられはするが、それも動かなければの話。逃走する以上、空腹となってしまうのはかなりマズイ。


「あっ……」


 足元の石に躓いても、そのまま力無く倒れるしかなかった。


 もう立ち上がる気力すら残っていない。


 空気中の魔素の濃度も薄く、仮死状態で救援を待つことも不可能だった。というかこんな目立つところで蹲っていても魔物の餌になってしまう。


 正直、詰んでいた。


 ただ……このまま半分生きたまま魔物に喰われるなど、彼のプライドが許さなかった。


(いっそのこと、自決した方がマシだな……)


 そう思い、小刀を取り出し……自分の腹に思い切り突き刺した。


 こうして、この獣人の少年は、自らの手で命を絶った。



 ………



 物言わぬ屍となった少年の前に、白いローブを身に纏った一人の女性が佇んでいた。


「こんなところに、実に丁度良いですね」


 少年の死体を目にした女性は、誰にも聞こえないような小さな声でそう呟いた。


 次の瞬間、少年の身体が暖かい光に包まれ、新たな生命の“器”の形成を開始したのだった。



 ◆◇◆



 新しい~朝が来た、希望の朝だ~!


 と、今にも軽快に歌い出したくなるような、柔らかな陽の光に当てられ、俺――相澤始――は目を開けた。


 聞こえるのは、楽しそうな小鳥の囀り。


 しかしやけに気分のいい朝だな。何かこう、身体だけじゃなく心まで、まるで羽のように軽いみたいな……。


 昨日まで酷かったデスクワーク特有の肩こりがまるで嘘のようだ。


 嗚呼、素晴らしい青空だ……青空ッ!?


 そこで俺は……周囲の景色がおかしいことに気付いた。


「あれ、俺……何で草原のど真ん中で寝てるんだよォーーッ!?」


 何かがおかしい、昨日はしっかりと家に帰って……ってあれ? あれれ? あれれ~?


 俺、昨日鉄骨で潰されなかったかなぁ……? えっなんで? 普通あんな盛大に事故ったら即病院行きじゃないの? ねぇ?


 昨日、アレ程カッコつけて「遺言だ(キリッ」といった感じで、立川にいろいろ話したってのに、「実は生きてました~テヘペロ」なんて、どう顔向けすればいいのやら……。


 それに……先程から頭に何かが着いてる。何だよコレ……。


 手触りは……何これすっげぇもこもこ。まるで仔犬にでも触っているような手触りだ。


 これは飾りか何かか? 取れるの? ねぇ取れ……


「痛ぇッ!! 取れねぇのかよ!」


 無理矢理取ろうとしたら、“ソレ”と頭皮との接続部に痛みが走った。


 引きちぎられるような痛みを感じるということは、この謎の物体は俺の“身体の一部”ということになるだろう。

 …

 ……

 ………

 あ、ヤバイ。この期に及んで変なこと考えちゃった。


 親父の失踪前からゲームを嗜んでいた俺は、親愛なる頼れる後輩、立川に勧められたRPGを、せっせと一人でプレイしていたのだ。


 そのゲームに、こんなモブキャラがいた気がする。


 魔物と人間のハーフで、人間の身体に魔物の身体能力、場合によってはケモ耳や尻尾がある亜人……。


 そして、ゲームと同じくアニメやライトノベルも嗜んでいた俺の“相澤百科事典ザワぺディア”内の項目に、“死亡”“見たこともない場所”というキーワードにヒットするものが多数ある。


 それは俺が最も好きなジャンルであり、世の紳士淑女の皆様方が憧れる、現実では有り得ない夢と魔法の世界ユートピア


 恐る恐る、俺は都合よくすぐそばにあった小さな池を覗き込んだ。


 そこには、中性的で中々にイケメンフェイスの、赤っぽい茶髪と真紅の瞳を持つ人物が映っていた。その頭には、狼らしき獣の耳……。ケモミミ……。ケモミミ?


 ケモミミっておいおい……。え? マジ? 夢じゃない?


 そう思い何度も目をこすっても、見える景色は変わらない。いや、ちょっと目の下赤くなったかな?


 しかし……。これってもしや……。もしやもしやもしや……!


「俺、獣人になってるーーッ!?」


 その叫び声は、遮るものがない“異世界の”広い草原を駆け抜けた。

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