伝えるということ-ヴァイオレット・エヴァーガーデン-

 その日、またもや暗闇の中、大スクリーンの虜となって、大粒の涙をハンカチで拭う人影があった。


 映画の名は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』


 京都アニメーションの作品として知られる。

 僕は『風の谷のナウシカ』同様、いや、精密なデータを取った訳ではないので、場合によっては前回以上に感動に身を震わせ、精神の浄化が他人からでも分かる次元で泣いていたのだった。

 感染流行の唯一良い点は、映画館の座席は、前後左右、空席に指定されるようになったために、気にせず泣ける点だろう。


 僕は今、その感動を永遠のものとせんがために、有史以来、用いられている方法、すなわち「記録」を取ることに決め、喫茶店でこの私記を開いたのである。

 持ち運びできるスマホ用キーボードをカタカタと叩き、仮想の白紙に活字が表示される様は、映画に幾度もなく登場したタイプライターそのものである。

 無論、パソコン、ないしはキーボードの起源を辿ればタイプライターに行き着くため、実に初歩的な感想ではあるが、「自動手記人形」よろしく、本心をしっかりと見出だし、文字にしようと思うがままにタイプしているのだっから致し方あるまい。

 あの古典『徒然草』でさえ、似たような事を言っていたではないか。

 一介のWEB作家がその特性を破るなんて畏れがましい。


 僕は名作で泣けることを感謝します。泣けないことを低く見ているのではありません。

 ただ、私は素直に感情を表現する資質がある。

 そう捉えても批判はなさらないいでしょう。



 僕は作家を志望した今年を喜びます。

 単なる享受者であった僕が、こうして今日を生き、その上、文字と触れ合う日々を至福としているのですから。


 神は僕を至徳者、すなわち、徳に至近である者として天命を下し、即位をさせはしないでしょうが、こうして様々な作品に一喜一憂する心を、それだけでなく、僕自身が創造主の大御心の一端を具象化せんとする使徒に選んでくださった事に大いに感謝申し上げます。


 しずかちゃんのお父さんは「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それが一番人間にとって大事なことなんだからね。」としずかちゃんに言った。

 僕は善人ではないかもしれない。君子でもないだろう。

 だが、感受性が豊かになり、作品を楽しみ、自分もまた作品で楽しんでもらいたいと、日々を過ごすことは、なんと素晴らしきことか。

 この涙がそれらを証明している。


 一切は過ぎ去る。

 物語の中にも描ききれない時間の流れがある。

 ヴァイオレット・エヴァーガーデンだってそうだ。

 ネタバレは避けなければならないので、讃美歌じみた文言をまくし立てているのだが、映画の時系列もすべてを描いてはいなかった。

 我々に委ねられている、そういった側面もあり、僕はこの私記を書きつつ、

 時折コーヒーを口に含みつつも、反芻するかのように、心はまだ、あの世界で彼女らの声を聞いているのだった。


 芸術に感動するということは、我が国においては「タマフリ」にあたり、生を活性化させる。

 世阿弥もそういった論考を残し、天照大神がお籠りになられた際、再び世界に光を得んとして行ったのも、躍りだった。

 芸術に触れるということは、魂の活性化に繋がると考えたのが我々の先祖であり、オカルト云々で誤魔化すのではなく、この感動を最大限に表現するならば、そういった因果もあるという話だ。


 懐古趣味的な僕は、タイプライターはもちろん、手紙という文化が衰退し、断絶することを悲しむ。

 それを悲しんだ人がいたことを未来にも伝わるようにしっかりと記して、一旦閉じることとする。

 珈琲一杯で居座るのを快く思わない方も一定数いるはずだから。

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