秋風に 不俱戴天の 仇かな

 Sは激怒した。

 必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。

 Sには精神医学がわからぬ。Sは、市民である。本を読み、二次元美少女と遊んで暮して来た。けれども強迫観念に対しては、人一倍に敏感であった。


 僕には必ずや克服しなければならない精神性があり、それがいわゆる「強迫観念」だと自身では診断した。

 だがしかし、勘の良い方ならお気づきかと思うが、その考え方こそ、強迫観念そのものなのである。


 過ぎ去りし遺物となったかのように見える僕の希死念慮もまた、絶望を自ずから生産し、市場を独占した結果である。

 時折、この私記にも書いたかと思うが、不安もまた、僕をむやみやたらにおとしめようとするやからであり、その背後には、一つの考えの虜囚となってしまう強迫観念が潜んでいるのである。


「それが僕という人間なのだ。然るに、その状態から脱却するのは不可能に近い」と人は言うかもしれない。

 それも一理ある。アイデンティティクライシスが滅多に起こりえ得ないのと同様に、人格を自ら変革しようというのもまた、至極困難である。


 世界史を紐解けば、わずか数百年前の世界では啓蒙主義が我らを支配し、教養によって人格は高められるという教養主義が台頭した。

 それもまた一理ある。


 では実際のところはどうなのか。

 これは僕の私記であるゆえに、はっきりと書き示しておこう。

 作家として大成すれば、初心を思い出させ、そうでなかったのならば、過去の自分を絶対なる理解者とする事ができるから。


 分からない。


 僕の私記をしている方は拍子抜けした事だろう。

 未来の僕も、「なんだこれは」と呆れているかもしれない。

 だが、神のお告げの如く、突然執筆を始め、それを王権神授説かのように、掲げ、功をあげようとする若き志士の自己内観は往々にして一時の幻想である。

 森羅万象が行雲流水であるように、思い立ったが吉日を意図せず実践する僕が、理想論ならまだしも、診断などという素人科学を行うのは甚だ無理がある。


 お分かりか、強迫観念には、のらりくらりとした態度が案外、効果があるという事を。

 結論を急ぐな、そうすれば結論にかされずに済む。


「挑戦の年」はもう終わろうとしている。夏の息吹を取り込んだあの緑は、秋になって、その色を深め、個性を表す。

 まだ足りぬと励むのは当然。なれど、枯れることがあっては意味がない。冬を乗り越え、あの夏を再び体験するには、伸ばした根をしっかりと地中へと張るのが肝心要なのだから。

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