希死念慮の春
僕にとって今年の春は執筆を始めた記念すべき季節である。
だがしかし、その根底にあり、そう至るまでの初春もまた、僕には忘れることのできない時期であった。
Twitterを始めたのが、2月下旬。度々言っている事だが、僕は「今年は挑戦の年」と決めており、手始めに世界を広げようとして開設した。
その頃、僕はとある理由から、人生を悲観してもいた。
ネットでは希望を躍起になって探し出し、リアルでは一種の自殺願望に近い暗雲が付きまとっていた。
この二元論的ライフスタイルは、ネットでの楽しさを体感すればするほど、我が身を苦しめ、両者間は、あたかもモーセが海を割ったかのように、全く異なる風景を映し出していた。
そんな折も折、借金・無職・引きこもり系YouTuberの存在を知ったのだった。彼もまた社会に嫌気がさしているようだったが、一方で早口でまくしたてるかのような独特な語りには、これまでの経験則のみならず、圧倒的な読書量からくるものも感じ取れた。
そんな彼は、度々YouTubeライブ配信をしており、容易に関わることも出来たので、ネット世界でありつつ、リアルにも近い存在をようやく見出したのだった。
彼は、キャラ属性の一つに引きこもりを掲げているが、現在では一人暮らししており、度々、外配信もしていた。
それを見て僕は、当時、億劫に思っていた外出も行うようになるなど、少なからず影響を受けているのが自分でも分かった。
元々僕は滅多にYouTubeを見ない。だからこそ、共感と羨望の的を得た暁には、それを己の特質に取り込むまで見続けるという特徴がある。
例えば、僕が旅行好きになったのもまた、とあるYouTuberの影響である等、守破離的観点でもって、コンテンツに関わってゆくのだ。
師匠の教えを「守り」、師匠の教えを「破り(アレンジ)」、そして師匠の教えから「離れる(自己流)」。
いくつかの出来事があって、僕は「どうでいつでも死のうと思えば死ねるのだから、一度、執筆でもしてみるか」と思い立った。
いや、もうこんな過去の話は辞めにしよう。
なぜ僕がまた感傷に浸るかのように思い出話をしていたか。それは今朝、ある事を思い出したからだ。
『僕は9月18日、この小説のヒロインの誕生日を記念して、彼女の鉱物であるオムライスを食べる。』
そう心の誓ったのが、丁度、死生観に変化が生じていたあの春ごろであった。
端的に言おう、僕はすっかり忘れてしまっていたのだ。
それがどうしたと問うことなかれ。あれほどまでに心の拠り所として心酔していた作品を忘れていたという単純なものではない。
今の僕に、希死念慮というべき感情が一切ないという事に改めて感じるに至ったという点こそが肝心要。
僕は執筆や読書にアニメ鑑賞、美術館や博物館、そして観光名所に聖地巡礼といった旅行などの趣味嗜好に、今までになく貪欲に浸っているのだ。
それは執筆では顕著なもので、プロ作家という、その道の専門家的存在を志しているのだから。
元々僕は傲慢な人間だ。しかし、よく言われるのは「そうは見えない」や「でも嫌味じゃないよね」といった好印象。
その理由は、僕が並外れて傲慢だから。
世間一般にいる傲慢な人物は、自分の事を王様や女王様のように考え、他人に何かをしてもらおうとする。
だが、僕は自分の事を神様だと思っている。
傲慢には違いないが、僕の場合、何かをしてもらおうとは思っていない。
むしろ、「僕は信者を救済する義務があり、信者は僕に救済される権利がある」と考え、僕といる事で民は利益を得るとさえ思っている。
そんな僕が、作家として、インターネットアカウントとして活動し、それに少なからず好感を持った人々でもって、コミュニティが形成される様は、理想の実現とも表現出来る。
そんな僕がどうして民を放っておいて死ねるものか。
…………そんな事を思う初秋であった。
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