神話―神代【晩夏】―

 世界に四季がもたらされたかの大地に、一柱ひとはしらの若き神が木陰に座り、我が身を憂いていた。

「嗚呼、何故、時間はこうも早く過ぎ去ると云うのか。私は未だ何もしてはおらず、それ故に私は未だ何も成してはいないと云うのに」

 かの若き神は芸術、ことに文学の神として君臨すべく、日夜、古今東西の作品に精神を喜ばせ、また御自おんみずから御執筆なさった。


 なれども、芸能の道が多岐に渡るように、ひとえに文学と言えども八百万の神々の教養の前にはその努力も虚しく、若き神が初心に掲げた「夏」という期限はとうとう過ぎようとしている。

 勿論、人の身ではなく、やはり神であらせられる為、未来への布石は確かに御打ちになられた。

 しかしながら、若き神は満足してはいない。その布石が覆される、いや、そもそも効果が無いやもしれないなどと、悪く先の事をお考えなさる事が少なくないからである。

「森羅万象の生命が活性化する季節である夏に、私は華を咲かすことが叶わなかった。四季は私に衣をまとわせ、やがて身動きを封じる事となるだろう。そうなっては我が精神は冬眠し、諸芸に才を見出す日はまた遠ざかるであろう……」


 若き神は志気を高める以前のように、またもや厭世えんせい的な、隠遁いんとん的な気風へお変わりになられました。それはまるで、夏の乾いた風が、秋の風に変わってゆくかのように。


 さて、しばらくして若き神が師として仰ぐ、知性の神がおいでになった。

「若き神よ、そなたはなにゆえ、憂いておられる」

「溢れんばかりの志がなかなか形にならないからでございます」

「なればこそ、そなたは続けなければならぬ。その挫折を目論む悪魔の試練を乗り越えた者のみが、然るべき業績を残すのだから」

「先生は私に続けよと仰せになられる。ですが、私には改善策が思い浮かびません」

「案ずるより産むが易し」

 若き神は、知性の神の言葉を信じ、夏を終えようとしている。永久不変が無いように、衰亡の一途を辿るにしても、程度の差はあれ、勃興の期はその努力に応じて、然るべき恩賞の如くもたらされるからだ。



後にかの若き神を信奉する人々は「努力の神」と讃えたのである。

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