自らをコンテンツに

 近頃は夕方から早朝にかけて、ひぐらしの鳴き声が響き渡っているが、日中は蝉の声へと変わる今日この頃。

 僕は朝の日課となったツイキャス配信を変わらぬ調子で始めた。しかしいつもと同じかと問われればそうではない。

 違いは2点。一つはラジオではなくカメラであること。もう一つは服装がシャツにネクタイというスーツスタイルであること。これら二点は今日という日に大いに関係していた。

 何を隠そう、今日は僕の誕生日なのだ。それでイベント性を生むためにカメラ配信に切り替え、「高等遊民こうとうゆうみん」を気取るアイデンティティを前面に打ち出す為にも、紳士的な装いで挑んだという訳だ。


 このツイキャス配信は僕にとって、小説と同様のがあるから面白い。始めた当初はほぼ0人が普通で、誰かが覗いてもすぐにどこかへ行ってしまうというものだった。

 だが、近頃では人数は多くて5人程度ではあるものの、0人になることはなくなり、コメント数も少ない反面、常連の方が誕生した。これはすこぶる精神衛生に良いことで、ここ半年で痛感したのは、Twitterであれ、小説であれ、そしてツイキャスであれ、これまで蓄えてきた己の賢知を他人に、自分主体でもって伝えるという行為が本当に好きなのだ。

 生まれた時から親族に大手企業の重役がいた事によって、幼少期はある種、「お坊ちゃん」として育てられ、今となっては周りはそう接してくる機会は滅多になくなったが、自身の気質として未だに残ってはいる。

 だから、歴史一つをとっても、天皇・皇帝・公家・貴族といった上流階級の歴史に興味を覚え、ともすれば宗教の歴史や教義に興味を持ち、かつての王権がそうであったように、王権神授説を実践しようとし、教祖となる事を望んだ時もあった。

 だから、自分というコンテンツブランドが成り立ってゆく過程ほど、自身を喜ばせるものは事実存在しないのであって、仮にカウンセラーなどに、「アナタは崇拝的読者・崇拝的視聴者を生み出すことが目的である」と推測されても否定は出来ない。

 それ故、正装で挑むなどというツイキャスには不相応な行動を取り、傲慢にも「話題さえいただければ話しますよ」と大口を叩くのだろう。


 さりとて血によって華族と認められている訳では勿論ないので、かつては「noblesse oblige《ノブレスオブリージュ》」に則った、貴族精神を有したを気取ったこともあった。

 この半年で明らかになったのは、先ほど言った創作・コンテンツ化の喜びの他にもある。

 過去にも感じたことだが、「継続は力なり」は極めて真理に近しい文言であるという事。この点が僕にとって小説に近いのだ。

 そして更に挙げるとするならば、それが何であろうと、どのジャンルであろうとも自分自身の性質は変わることなく、コンテンツとして投稿するもの全てにおいて傲慢な思想がどこかに現れているのだ。

 小説であればその評価に対してであり、ツイキャスであれば「高等遊民」という選民思想・階級思想が確かに存在しているのだ。


 気づけばまたひぐらしの鳴き声が聞こえ出した。誕生日を無事迎え、毎年感じていた変化のなさは、今年に限ってはありがたい事にほとんど感じられなかった。

 素性の分からない方々との文字&配信を介しての交流だけが、今の僕を僕たらしめているのだった。

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