もう止まることも出来はしない

 近頃は早くも夏の兆しを垣間見せるように暑くなり、部屋のブラインドの調整だけでは過ごしづらくなってきている。今はそのブラインドでもって暗黒を演出しながら「綾波レイ」のテーマBGMを聴いている。無表情でパソコンのモニターに向かいながら作業していると「シンクロ率」が高まっていく気がしてならない。

 そんなあの世界の常夏を思い出させる今日のような日だった、あの子から連絡が来たのは。


 実に4年ぶりの会話?である。かつての僕は彼女を愛していた。これは疑いようのない事実だ。しかしあっけらかんと言ってしまえば、僕はとある出来事をきっかけにその子との縁を切り、そしてその文字通り、いかなる関わりも途絶え、先に述べたように4年の歳月がお互いの間で流れ去った。

「人間関係リセット症候群」とは言わないが、中学や高校がその代表として挙げることができるが、ある組織を卒業してから、僕が連絡を取り合う仲はそう多くはなく、ましてや僕から別れを切り出した相手は当然として話す訳がないのである。

 これまた数年来話していなかった元・友人から「○○が連絡先知りたがっているんだけど、教えてもいい?」と藪から棒に持ち掛けてきたのが事の始まりだ。いささかの迷いはあれど、さして困ることはないと踏んで許可を出し、そしてその翌日に連絡が来たのだった。


 あまり多くを語るつもりはない。なぜなら、彼女との会話は終始、退屈なものであり、ひたすらに執筆業を向上させよう・今この時期を絶頂期にしようと意気込んでいる僕と反比例して彼女の言葉や考えはかつてのままだった。

 確かに僕は以前書いたように、幾分か懐古主義的なところはある。しかし、懐古主義は決してではないのだ。美化された彼女との思い出はしっかりと縁取りされ、どこまでが現実なのかが露呈された。渋々許した電話でさえも、時間の浪費でしかなかった。

「おいおい、何もそこまで……」と感じられかねないが、今の僕にとってその時間は資本であり、読者のために云々ではなく、執筆は他ならぬ僕の一番の心のヨスガであり、そしてまた錦の御旗の原材料でもあるのだ。この機をのがしては当分、いや、生涯、浮上することは出来ないかもしれないのだ。

 それを魅力の尽きた人物と世間話をするためだけに使ってはならない。これは極論的芸術家論かもしれない。だが、世間話は読んで字のごとく、大衆が皆すべからく話す内容であり、なにも彼女を選ぶ必要はこれっぽっちもないのは明白だ。


 もうあの頃に戻ることは出来ないのだ。それ故に懐古趣味に浸るわけだ。

 レイのBGMの幽玄さは孤高への第一歩としては悲痛でもあり、やはり僕のイデアでもあり続けるのだった。……もしかすると、あの海岸とのコントラストとして、日常への嫌悪感が高まっているのかもしれない。

 であるならば、もう僕は振り向かず、芸術に身を投じる覚悟で励まなければならない。

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