自らBAD ENDへ突き進む、夏が来る前に
冬の辛さはとうに忘れ、涼しさを求め始めた春の中盤。今日も時代錯誤にCDプレイヤーを起動し、「比翼の羽根」を聴きながらモニターに向かう。僕にとって、ヨスガノソラにおける夏のイメージは強烈なものだ。近親恋愛に真っ向から取り組み、社会に改めて問うた名作。それのみか、BGMをはじめとする楽曲はすべからく素晴らしいものである。また、ギャルゲーを原作としていることから、アニメではパラレル的にルート分けをしているのも印象深い。
そして何よりも僕にとってヨスガノソラとは、
それも太宰治的・一般的心中ではなく、妹との恋愛・性交の末に導き出されたシナリオであるからこそなのだ。
とかく僕は懐古趣味的にギャルゲー原作アニメを好む傾向がある。
また今日は「ひぐらしのなく頃に」のアニメを観た。あれほど作品に没入させ、そのあまりのグロテスクさに、直視できなくなるほどの力量を持つ作品はそう多くない。そしてこれも田舎の夏を描いた、同人ゲームが原作だ。ジャンルは違えど、Keyやヨスガノソラ、そしてひぐらしのなく頃に。この三作はゲーム原作であり、その他にも好きなゲーム原作アニメはある。
ここで一つ思い浮かべるのは、僕はゲームシナリオに憧れているのかどうかである。答えは分からない。作ったことがないのだから。しかし可能性はなきにしもあらず。作家という形での執筆にあまりこだわり過ぎてはいけないのかもしれない。自らの未来を狭めるのは、ゲーム進行上、得策とは言えないのと同様に。
様々な方面からの執筆を挑戦することは吉と出ても凶にはならないはずだ。試行錯誤にはそういう方法もあるのだ。
僕は今、新たな構想がある。バッドエンド恋愛小説だ。これにまだ手を出していないのは、他ならぬ僕が、武者小路実篤以外にバッドエンド(失恋)恋愛小説を知らないからだ。人間の闇に少し踏み込んだ処女作も最後はハッピーエンドだった。期待に反して、構想が完成しない今、そのバッドエンド小説は活字となっていない。しかし、書きたいということは、本能レベルで価値を見出し、その作品はヒットするかもしれないという事。
だからこそ、感性的に死に近い僕も、もう少し生きたい。自殺はまだまだ先のことだ。そう僕のシナリオを分岐させる春の中盤。
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