芸術と日常の板挟み

 僕にとって今日はなんら特別ではないが、異質な、それでいて暦の上ではこちらの方が多い日、すなわち新学期の前期授業が始まってしまった日だった。


 とはいえ文系の一年。比較的楽な大学生活であり、初日である今日の授業はたったの2つだ。それでも僕は疲れていた。仕事とは違って、心から逃げ出したいとまでは思わないレベルの辛さが、続けようと思えば続けられる、むしろ、中退する方が精神力を要するレベルの辛さが、春休みを開けてようやく開始したのである。


 レポートの巧拙はいざ知らず、とにかく初日に仕上げ、提出するのに精一杯だった。それもよりによって、感染症の流行で、自宅で独り、コツコツと励まなければならないという環境で。パソコンを持っていない僕は、到着するまでの間、スマホと親戚から借りたタブレットを駆使して、なんとか学生という身分を保持する。


 今日の授業は、時間を強制されないものだったのが不幸中の幸いである。

 アクセス過多を防ぐべく、本来施行されるはずだった授業開始時刻、すなわち、HPに今日の学習範囲が記載される時刻から、30分ほどずらした時間に嫌々ながらも、アクセスする。


 僕には授業や単位の他にもうひとつ悩みがあった。執筆時間だ。

 今まで、なんら不自由なく、好きな時間に執筆できるという特権は風前の灯と化し、スキマ時間に完成させる必要があるようになった。

 何だかプロの作家のようにも思えるが、正確には、「副業」と己の中で意識し、時間配分を減らさなければならなくなったということだ。これはまずい。

 売れっ子作家や投稿サイトでの人気作家が、「投稿頻度落ちます。すみません」と言うのと、細々と、それでいながら自身では伏竜鳳雛ふくりょうほうすうの如く構えている、僕のような三文作家は、自然の摂理たる運命において、淘汰されるのは明白だ。


 更に厄介なのは、僕が自分の作品が面白いと信じて一切疑わないという、狂信的な自己陶酔に浸っていることだ。

 ゲーテが『ファウスト』を執筆するのに、何十年もかけたかのように、推敲を重ねれば、面白くなって、人気を得る。まだそう考えている方がマシだ。

 僕は、作品自体は面白い。だが、知名度が低い為に、人気が出ないと考え、営業戦略・大衆扇動に力を入れようとしているくらいだ。実に痛々しい作家気取りとしか言いようがない。


 諸方面に問題の種は誰が植えるともなしに、気づけば存在し、気温が高まると共に、残念ながら成長を見せている。何はともあれ、この4年の内に絶対に卒業する必要と、何らかの賞を得て、書籍化しなければならないのだ。

 最後のモラトリアム期間であるべきはずのこの4年間を費やして、確実にかたちにしなければならない。焦燥感が僕を殺す前に……

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