幕間 エメラダの嘆き。
連れ去られて降ろされたその城は、何もかもが大きかった。
まるで人間ではなくもっと大きな生き物に合わせて造られたかのようなところで、通路はもちろん扉まで巨大だった。
魔王の手からようやく解放されたと思ったら、その瞬間に鉄の手枷を着けられてしまう。それに鎖は繋がっていなかったけど、やはりなんだか良い気はしなかった。
「それは特別な呪術を掛けた手枷だ。城の中は自由に動けるが、城外に出ようとすれば――――分かるね?」
魔王はそう言って気持ち悪い笑みを浮かべた。つまり自由にしても良いが逃げ出すなということ。
その後は、何故かメイド服を着た雌の
てっきり牢屋にでも入れられると思ったら、そこはどうやら客室のようだった。やっぱり部屋のサイズは大きいけれど、ベッドや調度品の類いは人間サイズだった。
「ではエメラダ王女、こちらにお召し替えを」
人狼メイドが差し出したのは、赤いドレスだった。
「なんだよこれ、どういうつもりだ?」
「一国の王女を我が城でお迎えするのですから、貴方様にも相応の姿で居て頂きたいのです。その無骨な鎧をお脱ぎになってください」
人狼メイドがパチンと指を鳴らせば、さらに数匹の人狼が現れた。
「うわっ、おいやめろ! 触んな、やめ、キャッ」
抑えつけられ、無理矢理鎧や服を脱がされる。しかし何故か力が入らず、こいつらの為すがままだ。どうやらこの手枷にはそういった呪いも掛かっているらしい。
「……失礼ですが、汗をかかれていらっしゃるようですね。湯浴みもご用意できておりますのでそちらをお先に」
部屋に備え付けられた浴室は、薔薇の香油なのか芳しい芳香で満たされていた。てきぱきと身体を洗われ、バスタブに浸かれば適度な温度で心地が良く思わず吐息が洩れてしまう。
そして湯浴みが済むと、王宮の侍従もかくやという見事な手際でさっさと髪を梳かし着せ替えられてしまった。
しかしこのドレス、かなり上等なものだ。城では滅多にドレスなど着なかったけれど、そのどれよりも肌触りがよく感じる。
続いて出てきたのは食事だった。その彩りと華やかさにも驚きを隠せない。これ本当に魔物が用意したものなのか? 人間の料理人でも囲っているんじゃなくて?
「…………おい、これ、なんの肉だ?」
不安だったのは食材だった。どれだけ美味そうに見えても、よもや人肉でも出されたらたまったもんじゃない。
「はい、スルネア遊放国はプルネ産の高級ラム肉でございます」
羊というところがらしいっちゃらしいが、一口食べてそれまでの杞憂も吹き飛んでしまった。……ついでにおかわりもしてしまった。
腹も満たされ、人払いも済むとドサッとベッドへ飛び込む。
なんなんだこれ。あたし攫われたんだよな? なんでドレス着て上手い肉食ってめっちゃふかふかなベッドで横になってんだ?
自分の置かれている状況に頭が付いていかない。想像していた誘拐と全く違う! これじゃどこかの別荘地に遊びに来てるみたいじゃねーか!
そして次第に、うつらうるらとしてきた。今日はずっと戦いっぱなしだったから疲れている。ベッドの柔らかさで一気に緊張の糸も解れて、あたしはいつの間にか意識を手放した――。
『エメラダ様、失礼致します』
控えめなノックと共に呼び掛けられ、あたしは飛び起きた。そして自分の迂闊さに後悔する、なに普通に寝てんだよ敵地だぞここ!?
『エメラダ様? よろしいでしょうか』
「あ、あぁ。入れ」
捕虜に入室の許可を求めるのもどうなんだと思いつつ反応してしまう。此処に来てから調子が狂いっぱなしだ。
「失礼致します」
所作の一つ一つがとても綺麗なものだった。人狼という種族としての身のこなしもあるだろうが、こいつはグゥの音も出ない完璧なメイドだ。
「魔王様がお呼びでございます。ご足労ですがお出で下さい」
――――きた。ついに何かされるのだろうか。思えばこんな身綺麗にされて、やることは決まっているじゃないか。
あたしは、慰み者にされるのか……。
コツコツと、石の廊下に足音だけが木霊する。だだっ広い通路を歩く足が重い。どれだけ強がってもあたしも女だ、こんな形で初めてを散らすなんて絶対に嫌。
隙を見て逃げ出そうにも、両脇は人狼メイドに固められそれも叶わない。
それにしても、随分と歩かされる。地下に続くらしき階段を延々降りると、また薄暗い廊下に出た。そしてその先には、大きな両開きの扉がある。あたしにはそれが地獄の門に見えた。
「スティンリー様、お連れ致しました」
『そうか! 入りたまえ!』
人狼メイドの手でゆっくりと扉が開かれ、あたしは驚愕した。
蝋燭だけの明かりの中、あのおぞましい魔王はたった一人で、
「んぉお! 違う! やはり違う! これではない!!」
鎖で自分を縛りつけていたのだ……。
いや、決勝戦を見てたから別にこれが初めてじゃないんだけど、実際目の前でこれを見せられるのはかなりキツイ。きもちわるい。
「ふん!」
気合のひと息で、身体に巻きついていた鎖が砕けて飛び散る。盛りあがった筋肉からは汗が蒸発してほんのり湯気が立っている。きもちわるい。
「良く来てくれたね、王女エメラダ――――あぁ、そのドレス。本当に似合っているよ……本当に」
一瞬、化け物は何処か遠くを見るような目をした気がする。しかしすぐにその雰囲気も消え、気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「ここに来てもらったのはほかでもない。君の能力を私に使ってほしいんだよ」
「きもちわるい」
「ルノの血に宿ると言われる天の鎖。それならばきっと私を満足させてくれるだろう!」
「きもちわるい」
「さぁ! あの彼にしたように私も縛り付けてくれ!!」
「きもちわるい!」
すぐにでもその場を逃げ出したかったが、扉は既に閉められて魔王とあたし二人きりにされてしまった。もう、逃げ場は何処にもない……。
「さぁさぁさぁ! 早くしないと、少し痛い目をみてもらうよ?」
あたしを片手で軽く包める巨大な掌。その先に延びる爪がギラリと光る。あたしは恐怖に駆られ、思わず鎖を召喚してしまった。
「近づくなこの糞変態筋肉魔王っ!」
「おおおおぉぉぉ! これはいい! ……だが、やはり足りない」
拘束するように四肢に巻き付けた鎖を、魔王はいとも容易く引き千切ってしまう。それはそうだろう。あいつにだって千切られたんだから、この変態に出来ないわけがない。
「さぁ、どんどんいこうじゃないか! 思う存分私を縛り付けたまえ!」
「いーーーーやぁーーーーーーーっ!」
ありったけの鎖を出して奴に絡ませるが、悦ぶばかりでまるで意味を為さない。そしてまたも容易く千切られてしまう。
そうなるとあたしだって対抗心を燃やしてしまう。何が何でもこいつを此処に縛り付けて、一刻も早くこの部屋から逃げ出さなければ!
「オラァ! これでどうだ変態! 今度は簡単に切れねぇだろ!」
あたしの取っておきの巨大なペンデュラムチェーンを奴にぶち込む。しかしそれもあまり意味を為さなかった。
「んんん! なるほど太さも変えられるのか、だが私の好みは肉に食い込むような適度な細さが良いのだよ!」
あっさりとそれも砕かれ、あたしの心も折れそうだった。しかし魔王はそれを許さない。
迫ってあたしに強要し、鎖で縛っては切られてしまう。これはどんな拷問だろうか? 鞭や棍棒でしばかれたほうがまだマシだ!!
「ふふ、なるほど少しわかってきたよ! 君は感情の振り幅で鎖の強度も変わるのだね! そう怯えるな、君には決して危害は加えない! 先程も言った通り、私はただ縛られたいのだ! 此処にいる限り、君は私を縛る義務がある!」
「そ、そんな義務はお断りだっ! これでどうだ、どうだ!?」
「おおぅ……先程よりも良いぞ、もっとだ! もっと強くしなやかで、食い込むような鎖を私に与えてくれ!」
それからは無我夢中だった。縛っては切られ、嫌がれば叱咤されまた縛る。それを何時間繰り返しただろうか――。
「ふぅ。今日はこんなところか! とても有意義な時間だった、明日も頼むよ!」
「あ、明日もするのか!?」
「当然だ、君は囚われの身。君の采配は私次第! 当分これが日課になると思いなさい!」
「い、嫌だあぁーーーっ!」
思わず、そこで泣き崩れてしまった。しかし魔王はそれも意に介さない。人狼メイドを部屋に呼び込むと、くず折れた私を二人掛かりで抱えあげ部屋から連れ出す。
これが、毎日続く? そんなの耐えきれない!
早く、早く誰かあたしを助けに来て!
お願い、誰か!
お願い、グレイ――――!
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