5章 北方の壁編

幕間 エメラダのときめき。

 捕まって空に飛び立ち、どれくらいが過ぎたろうか。

 くそでかいこの怪物の手は片手であたしをまるまる包めるくらいに大きくて、けれどその肌はゴツゴツとして居心地が悪い。


 飛ぶということも勿論初めてだから、最初は少し気持ちよく感じたものの、今は吹きつける風で凍えそうだった。


 何度か怪物に罵倒を浴びせたが、こいつはちっとも意に介さない。それどころか少し嬉しそうに気持ち悪い笑みを浮かべるので、あたしは口を開くのもやめた。


 そして考えるのは、あいつのことだった。

 あたしが捕まった時に真っ先に動いたのはパパでも城の誰でもなく、あいつだった。


 返り討ちにされて盛大に地面にめり込んでいたけど大丈夫だったかな。そう思い、しかし何故か出所のない安心感があるのは何故だろう。

 あれくらいではあいつは死なないと、分からないけれどそう思ってしまう。


 思えばあたしの人生は、男たちに侮られるばかりの歩みだった。四歳のころに隣国の剣術大会を見たとき、あたしは胸が躍った。みな格好良く、必死で、その強さに魅入るのではなく憧れた。


 すぐにパパに頼んで剣術の指南役を宛がってもらったが、剣はあたしの求める形じゃなかった。日々溜まる鬱憤が杯の縁を超えたとき、あたしは手近に生えていた大木を素手で殴った。

 スッとして、そして分かった。あたしの求めていた力は剣じゃなく拳だったんだと。


 それからは貴族との食事やお茶会など目もくれずひたすら拳を振るい続けた。身分を隠して城下の道場に弟子入りし、そこでも鍛えてもらった。


 だけど、拳で戦う女闘士にみな、一歩踏み出さない。女性と言うだけで二の足を踏まれるのが本当に嫌だった。


 そんな時、あたしにある能力が芽生えた。王家でもルノの血筋が宿すと言われる鎖を操る術は、そうあたしを舐め腐る奴らにはうってつけで、縛りあげてボコボコにしてやった。でもその後は、今度は誰も近づいてこようとしない。

 女の身の丈以上の力は手に入ったが、あたしは孤独になった。


 そして十六の誕生日を迎える頃になると、パパは結婚相手を見繕うと言いだした。あたしにとってはとんでもないことだった。

 まだまだ強くなりたい、それなのに他の男に抱かれて子供を作るなど考えただけで反吐が出る。


 猛抗議の挙句、妥協案として出されたのが今回の武闘大会だった。別に強ければ誰でもいいと思ってはいなかったが、せめて自分の実力以上の者とならとパパの口車に乗せられ、頷いてしまう。

 あたしは焦った。結局のところ婿を迎えるのに変わりないじゃないか! どうすればいい! そして思いついたのは、あたしが最後まで勝てばいいという名案。


 これならば誰とも結婚させられずこれからも好き放題に鍛錬に励める。正直大会以前のあたしは驕っていた。王都中、城の兵たちでさえ、あたしに敵う者はいないと自負していたし、婚約目的でくるようなひょろっちい相手になど負けるわけもないと。


 でも現実はすこし違かった。あたしより強いやつは、この大会だけでも最低二人はいたのだ。予選の段階で選抜と言わず、あたしが全員をぶっ殺せばそれで終わると思っていたのに、この怪物と、そしてあいつがそれを阻んだ。


 怪物のほうは……見るからにヤバそうで、正直たじろいでしまった。

 けれどあいつの纏う雰囲気は弱々しい感じで、その後ろ姿を見たとき無意識に殴りかかってしまったほどだ。


 けれど、あいつも強かった。あたしの攻撃が一発も当たらない。どんなに速く拳を繰り出しても余裕で避けられてしまう。こんなことは初めてだった。

 思わず頭に血が登ってボロクソに喚いてしまったけれど、あの実力は本物だ。絶対に本戦でまた戦えると確信があった。


 あたしは勝ち進みながら頭を冷やして、あいつと当たるのを待った。

 そしていざ戦ってみれば、なんのことはない。あいつも他の奴らと一緒で女だからと侮る。


 ならば鎖で絡めて、いつも通りにボコボコにしよう。でもあいつは容易くあたしの鎖を引き千切り、挙句仮面を外し本気を出せとのたまった。


 なんでか、その時あたしはすごく嬉しかったんだ。自分以上の強い奴に会えたこと。本気を出せと言われたこと。その時のあいつの顔は、とても真剣だった。


 おまけにあたしのために魔力を割いて目隠しまで用意して、場を整えてくれた。こんな奴は初めてで、戸惑いとちょっとの嬉しさがあたしの胸を満たした。

 結局あっさりと負けてしまったけれど、不思議と悔いはなかった。結婚が嫌で戦っていたはずなのに、何故か心が晴れていたんだ。


 あいつはきっと勝つ、そういう確信が意味もなくあって、三位決定戦なんてさっさと終わらせ決勝戦を食い入るように見ていた。


 そこにあったのは、絶望だった。ボロボロにされていくあいつ。ほんのちょっとだけど、あいつならいいと思ったのに、それが負けるなんて嫌だった。

 ところが後半からは目に見えて動きが変わり、最後にはあの巨体相手にステゴロまで始めてしまう。その熱さにあたしは――王女エメラダの心は完全にあいつに釘づけになってしまった。


 最後には柄にもなさそうな雄叫びをあげ、勝利宣言をして喜び倒れたところを見て、もうあたしの気持ちは決まってしまった。


 ところがあいつは、婚約なんてことは知らずに大会に出ていたらしい。慌てた。せっかく向こうの意思でという体裁で身を寄せようと思ったのに、作戦が台無しだ!


 だけど授賞式のあいつの言葉は、婚約に対する忌諱感もあったのだろうけど、間違いなく王女を慮って断ろうとしていたと思う。


 そんなことはさせるもんか。あたしは胸の内を伝えた。あいつはどうだったろう――――そう巡らせるうち、会いたいと、無意識に思ってしまった。


 以前のあたしなら考えられなかったことだけど、それだけあいつに惹かれてしまったということなんだろうか? ちょっと初めてのことで良く分からない。


でも間違いないのは、この怪物に何処に連れ去られようと、最初に駆けつけてほしいのがあいつだということだ。


「会いたい……」


 思わず、零れた。

 その呟きを怪物は耳聡く聞くや、下卑た笑いを浮かべた。


「大丈夫さ、あの青年は必ず来る! 楽しみに待とう! 君も、私も!」


 この怪物も本当に意味が分からない。普通はもっと威圧的なものじゃないのか? でも、言うことはもっともだ。


 あいつは必ず来てくれる。そう心に言い聞かせたとき、眼下には巨大な城塞が広がっていた。有象無象の魔物たちがそこを歩き回り、装備も人間顔負けの重厚さだ。あたしは、ここであいつを待つのか……。


 早く来てと、そう願って笑ってしまう。これでは物語にある囚われのお姫様だ。

 いや、むしろまるでそのままじゃないか? そう思うと、場違いにも程があるが、あたしの胸はどんどん高鳴ってしまった。


 はやく迎えに来て、あたしの求める勇者――――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る