第3話 一応全部倒せました。

 こんにちは、勇者です。


 昨夜のルルエさんとの出会いから一夜明け、自分はいよいよ彼女とパーティを組んで冒険に出掛けるために待ち合わせ―――はいいのですが、ルルエさんはどうやら酒豪のようであの後しこたま飲み飲まされ、現在は二日酔いで嘔吐を我慢するのに精一杯です。


 正直、彼女が本当に来てくれるのかと不安いっぱい胸いっぱい。ついでに昨夜の酒まで喉元いっぱいに出かかっています。


 街の広場で蹲っていると、サクサクと軽い足音が聞こえてきます。


「あらら、グレイくんてばもしかして二日酔い? これからお楽しみだっていうのにぃ」


 顔を上げれば、相変わらずニコニコと昨日の酒も残さず綺麗な笑顔のルルエさんがやって来ました。嬉しい! 嬉しい!


「ちょっとそのままだと後が大変だから楽にしてあげるわねぇ」


 そう言うと、彼女は昨日は持っていなかった素朴な造りの杖を振って呪文を唱えます。


解毒アンチドートゥ、からのぉ」

 解毒の呪文を掛けられると、スっと気持ち悪さが治まりました。お礼を言おうと立ち上がると、自分はルルエさんに道の端へ連れていかれ.......、


「物理的解毒ぅ~」

 口に指を突っ込まれました。堪らず自分は側溝の中にキラキラを吐き出して喘ぎます。鬼かこの人。


「どーぉ? かなり楽になったでしょぉ?」


「は、い。お陰様で.......ありがとうございます」


 自分は手拭きで口を拭うと、もう一枚綺麗なものを取り出して彼女に手渡しました。


「あらぁ紳士的! ハンカチを複数持ち歩く男性ってモテるわよぉ」


 やかましいわと心の中で呟きながらスッキリしたのは事実なのです。改めて何も無かったかのように自分はルルエさんに向き直りました。


「改めましてルルエさん、おはようございます。今日からよろしくお願いします!」


「はい、こちらこそぉ。じゃあまずはぁ、装備を整えましょうか! お買い物よ!」


 言うが早いか、ルルエさんは自分の手を引いてこのウォクスの街の商店通りのほうへ歩きだしました。


「え、いや自分はこの装備で充分.......」


「ダメよぉ? グレイくんはもう勇者なんだから、それ相応の身なりを整えなくちゃ!」


 むむ、確かに今の自分は胸当て一枚、腰に雑脳だけという未だ駆けだし冒険者のような装いです。


 大人しくルルエさんについて行くと、一件の武具店に入ります。


「いらっしゃー.......ってルルエさんじゃねぇか。お久しぶりです」


「店長、おひさし~。朝から悪いんだけど、この子に防具を見繕って貰えるかしら?」


 ルルエさんはどうやらここの常連のようです。店長と呼ばれた厳つい中年男は自分を舐めるように見ると、口をへの字にしていました。


「ルルエさん、なんだいそのガキは」


「私の新しいパーティ仲間でぇ、リーダーでぇ、勇者様よぉ」


 ルルエさんは自分の背中をぐいと押すと、店長に向けて翠の勇者のプレートを見せつけるようにしました。


「へぇ、これが勇者さんねぇ.......ようござい、で? どんな感じにします」


「そうねぇ、無茶の利く動きやすい物がいいわねぇ」


 え、無茶? ていうか自分の意思は? とか抗議する間もなく店長はさっさと品物を見繕い始めてしまいました。


 そして揃ったのは、革製の軽装鎧一式に、インナーメイルとして鎖帷子を装備。これが思いのほかずっしりときます.......。

 ついでにブーツもつま先に鉄板の入ったものを新調しました。


「武器はあのダガーがあるけどぉ、もう一本予備で持っていましょうかぁ」


「あの、長剣じゃダメですか?」


「ん~。ダメでもないけど、グレイくんの体格じゃ長期戦には向かないかなぁ?」


 確かにダンジョンで無くしたあの剣、何だかんだとまともに扱った記憶がありません。ここはルルエさんの言う通りにしておきましょう。


「よし完成! だいぶ様になったじゃなぁい!」


「はぁ、でも勇者の身なりとしてはどうなんですか」


「そんなもの戦いには二の次よぉ、実用性重視!」


 さっきと言っていることが違う! けれど、この装備がしっくりとくるのも事実なので文句は言いません。むしろお気に入りと言えます。


 自分は件の報奨金で、すこし躊躇しながらも店長に代金を支払います。


「これで装備は完璧ねぇ! じゃ、行きましょっかぁ」


「あ。ところで聞いてなかったんですが、今日は何処へ?」


「昨日の酒場でぇ、みんな言ってたでしょぉ? 南で魔物が暴れてるってぇ。今日はそっちでクエストを受けましょ~」


 そう簡単に言ってのけます。でもその話、確か現地はここからだと相当な距離があるはずです。


「馬車か何かで数日かけて行くんですか?」


「違うわよぉ、私の魔法でぇ、ひとっ飛びぃ!」

 そう言って自分の肩をガっと掴むと、ルルエさんはニッコリ笑いました。


「じゃ、店長またくるねぇ~。その時は新しいのが必要だと思うからぁ」


「へい、またのお越しを!」


 店長は恭しく頭を下げていました。自分もぺこりと礼を返します。


「ではぁ、いっきまぁす! 転移テレポート!」


「ふぁっ!!?」


 視界がぐにゃりと歪み、浮遊感で足元が覚束なくなります。何かに吸い込まれるような感覚に襲われると、次の瞬間には周りの景色が一変していました。


「さ、着きましたぁ。ここが噂の魔物が暴れてる土地のすぐ側の街、トゥーリよぉ」


「び、びっくりしました.......こんな魔法もあるんですね」


「うん、お姉さんは大魔法使いだからねぇ。なんでも出来るのよぉ?」


 魔法で着いた街は、今までいたところより何処か荒れた雰囲気でした。

 あまり活気がなく、通りを歩く人たちの顔も何処か怯えているようでした。


「さ、まずはギルドでぇ、クエストを受注しなきゃぁ」


 ルルエさんはまた自分の手を引いてぐいぐいと進んでいきます。


 ギルドの入り口まで来て自在扉を押して中に入る。そこには屈強そうな男たちが皆、悲壮な面持ちで座り込んでいました。


 入って来た自分たちになど目もくれません。


「受付さん、受付さん、クエストを受けたいんだけどぉ」


「あっ、はい。本日はどのような.......と言っても、いまこの街にある依頼は、その」

 受付のお姉さんがなんだか言い淀んでいます。どうしたんでしょうか。


「もちろん、分かってるわぁ。魔物の群れの討伐よねぇ。それ、受けるわぁ」


「わかりました、何名で登録なさいますか?」


「ふたりぃ」

 それを聞いた受付さんはキョトンとしています。


「あの、集団パーティでお受けにならないのですか? 失礼ですがこちらのクエストは大変危険で―――」


「分かってるわよぉ、だからぁ、ここに勇者様を連れてきたのよぉ?」


 言われて、ずいと前に出されます。受付さんと目が合い、その視線が少し下がり、首元のプレートに刺さりました。


「み、翠の勇者様ですか!?......いえしかし、本当に受けてくださるのですか」


「大丈夫ぅ、こう見えて彼ぇ、ちゃんと魔王の一人を倒してるんだからぁ。魔物の百や千なんてへっちゃらよぉ?」


 へっちゃらじゃないですよぉ!? これはマズいと抗議しようとして、口に手を当てられ言葉を遮られてしまいました。ぐ、存外力が強い.......。


「わ、わかりました.......では、危険と判断したらすぐ撤退して下さい。その際は街の方角ではなく、必ず別方向へ逃げることが絶対です。いいですね?」


 よくないですねぇ!!? え、マジでやるんですかそんなクエスト、死んじゃいますよ!!


 もちろん自分の抗議は物理的に遮断され、ルルエさんはサラサラと契約書にサインしてしまいました.......。


 場は移り、トゥーリの街の郊外のさらに外へやって来ました。見渡す限り荒野ではありますが、所々に草木の生えていた痕跡があります。


 魔物の群れとやらが荒らしていったのでしょうか。


「さてグレイくん、ここからが本番。本物の勇者への第一歩よぉ!」


「あの、話がトントン拍子に進んでいるとこ申し訳ないですが、自分はそんなに強くないんですよ? 多分魔物一体だけでも相当手間取ると思いますが.......」


「あらぁ、手間取る程度ならいいじゃない! 充分素質あるわよ!」


 何言ってんだこの人.......本気で頭が痛くなってきました。


「ところでグレイくんはどんな魔法やスキルを持ってるのかしらぁ?」


「自分は……魔法は使えません。子供の頃に才能なしと言われました。スキルは隠密ハイド忍足スニーク暗視ナイトビジョン、そのくらいですね」


 我ながら貧困なスキル構成に溜息が出ます。せめて戦闘系のスキルでもあればいいんですが、見張った才覚も筋力もない自分には発現できませんでした。


 巻物スクロールで覚えるという手もありましたが、お値段がそれはもうバカ高く、覚えても使いこなせないのでは意味がありません。


「ふんふん、なんだか盗賊シーフみたいねぇ!」


「……せめて斥候スカウトにしてもらえませんか」





 そんなやり取りをしているうちに、目視の範囲で土煙が上がっているのが見えました。


「来たわねぇ。今回の課題はオーク。対人戦を鍛えるには持ってこいの連中ねぇ」


「オーク!?」


 そんな重量級の魔物を自分が相手しろと、しかも複数体!?


「.......ちょっと自分、お腹痛いのでトイレに」


「さ、匂いを嗅ぎつけてこっちに来たわよぉ! 戦闘の準備準備!」


「あーーーーっ、ほんと、無理ですってばぁ!!」


 そう言っている間に土煙はこちらに迫り、オークの集団が目視できるまでに近づいてきました。

 もはやこうなったら、腹を括るしかありません.......。


 魔王のくれたダガーを鞘から引き抜き逆手に持つと、浅い深呼吸を繰り返します。


 恐らく斥候であろうオークが三体、突出してこちらに走ってきます。槍が一体、棍棒が二体。自分は迷わず槍の一体へ走り出しました。


 構えて突き出す一撃を、なんとかギリギリで避けて懐に潜り込みます。相手が距離を取ろうと手間取っている間に、その腹へダガーの横薙ぎで切り裂きました。


 溢れ出る血と臓物の臭いにウッと嘔吐きながらも、あっさりと一体を屠れたことに驚きを禁じえませんでした。


「おっ、意外とやるねぇ~?」


「このダガー、ほんとに凄いっ」


 しかし一体を相手にしているうちに、もう二体が肉薄してきます。棍棒を力任せに振り回し、こちらを牽制しつつ仕留めようとしているようです。


 悠長な振り下ろしを、ダガーで流すように受け衝撃を逸らします。その隙をついて手首をなぞるように裂くと、想定外の切断力でオークの手首を切り落としてしまいました。


 悲鳴を上げるオークの隙を見逃さず、喉元に一刺し。これで二体目。


 瞬間、背中に衝撃が走り、世界がグルグルと回り出します。三体目のオークに背後から打ち据えられ、吹き飛ばされたのでしょう。


 地面に衝突した時には、口から血が溢れ身動きが取れませんでした。それを見たオークは鼻息を荒らげながらこちらに近づいてきます。


 あー、これで人生終了ですね.......。


「はい、治癒ヒール。まだまだがんばれ~ぇ!」


 突如受けた回復呪文で、身体に自由が戻ってきます。既に眼前に迫ったオークに半ばやけくそに飛び込み、腹や胸を何度も突き刺しました。

 返り血が飛び、それでも怖くて突くのをやめません。


「落ち着けぇグレイくん、それはもう死んでるからぁ。お代わりはまだまだ向こうからくるよぉ?」


 言われて振り向くと、斥候に追いついた三十体ほどのオークの群れがこちらへ突進してきていました。

 自分は足がすくみ、その場を動けません.......。


「はいやる気出してぇ! 戦意高揚ライオネルハート、ついでに身体向上フィジカルエンチャント


 魔法で強制的に精神を奮起され、跳ぶように身体が動き出す。バフの効果で動きも冴え、もはや自分はオークと同等の暴れる獣と化しました。


 切って、捌いて、殴って、避けて、打たれ、倒れ、回復されてまた突撃する。


 もう考えて動くのは止めています。ただ眼前の目標を捉えて穿ち、周囲の殺意を感じては飛び退きまた突っ込む。


 少しずつその動きに慣れてきて、余裕が出てきた時でした。振り抜いたはずのダガーが、腕が、その先に無いのです。


 自分の腕は、切り飛ばされていました。


「い、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ、うで、うでぇっ!?」


「はいはい今くっつけるからじっとしてぇ、中等治癒アドヒール


 飛ばされた腕をいつの間に拾い上げたのか、ルルエさんは自分の腕の切断部に押し付けると呪文を唱えます。たちまち腕はくっつき、動かすのも支障はありませんでした。


 でも自分の心は、もうその時点で折れかけていました。もう痛いのは嫌だ、嫌だ、嫌だ!


「はい逃げない逃げない。竜心激昂ドラクルブースト


 更なる精神高揚の魔法で、自分の恐怖心はかき消されます。むしろ、目前の豚共が動いているのがムカついて堪りません。


 何故自分がこんな痛い思いをしているのに、コイツらは意気揚揚としているのか。


 全部、殺さなきゃ。左手にも予備のダガーを取り、二刀の構えで突き進む。


 切って、捌いて、殴って、避けて、いなして、蹴って、刺して、抉って、跳んで、突いて、切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切っ、


 ―――気がつけば、そこに立っているのは自分とルルエさんだけでした。

 最後の方はもう朧げだけれど、精神高揚の魔法も切れて自分の意思で戦っていたんだと思います。


 どれだけ時間が過ぎたのか、辺りは夕陽で赤く染まり、そしてオークたちの血の海で紅く染まっていました。


 生きているオークがいないか一体一体見て回る自分を、ルルエさんは何処か恍惚とした表情で見つめていた気がします。


 一回りして生きている個体がいないと分かると、自分はルルエさんの元へ戻り、力が抜けてガクンと膝からくず折れてしまいました。


「よく頑張ったねぇ、いい子、いい子」


 抱きとめられて頭を撫でられ、何だかそれで満ち足りていくようでした。自分はそのまま、泥に沈むように眠ってしまいます。


「いい子だねぇ、私のぉ、可愛い勇者ぁ」


 この時、合わせて二百以上いたオークの群れをたった一人で葬った勇者の名が、緩やかながらに噂や吟遊詩人の詩で他所の街々へと語られたそうです。


 獣人殺しの狂勇者、それが世間で広まった、自分の最初の英雄譚でした。

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