第4話



 やがて構造物の計画は最終段階を迎えた。

 

 これまで彼らは放送局やデータセンターに対して攻撃を行ってこなかった。人々に恐怖を伝搬する為に不可欠な施設を、わざと残しているように思えた。


 被害が地方都市に集中していたのもその事実を裏付ける。政治の中心である首都は、どの国も全く被害が報告されていなかった。


 だがその日は来た。僕らの国の司法や行政を司るシティの方から爆音が響いた。構造物から放たれた一筋の巨大な光の柱が、地面に突き刺さった音だった。


 エネルギーは強大で、岩盤を貫き断層を破壊した。まもなく中央地区を震源とする直下型地震が発生した。どんな耐震設計も役に立たず、中央区のあらゆる建造物が崩壊した。


 同様の攻撃が世界の首都で起こっていた。彼らの本気は凄まじかった。きっと人々の前に現れたあの日の夜だけで、人類を滅ぼすことも可能だったに違いない。


 故郷の街が消し飛んだとき、僕がそこに居なかったのは、特別に偶然が重なったからだ。


 他の人と同様に絶望し、ただ若さゆえ自暴自棄になっていた。構造物の産み出した兵器が蠢いているシティに生き、刺し違えて死のうと思っていた。


 それでろくな荷物も持たずバイクで街を出た所に、巨大な稲妻が天から降り注いだ。神の矢は故郷の人びとを一秒もかからず原子の粒に変えてしまった。


 直撃は免れたものの、僕の体は車体ごと爆風に持ち上げられた。宙を舞ったあと僕は地面に叩きつけられ、一瞬にして意識を失った。


 次に目を開けたとき、僕は土の上で仰向けに横たわっていた。激痛で体をろくに動かせない。視線だけで辺りを探った。


 どれだけ気を失っていたのだろう。それを知る手がかりは無かった。分かったのは僕の体の上に、あの黒い雪がしこたま積もっていたことだけだ。その量からして半日、いや一日分はありそうだった。


 一匹の羽虫型の兵器が僕の視界を横切った。そいつは一度消えて、また戻ってきた。空に大きな輪を描いて飛びまわっているようだ。地面に伸ばした触覚のようなものがしきりに動いていた。


 こいつに見つけられた途端、無慈悲な兵士たちがここにやって来るだろう。そいつの焼けた剣で胸を刺されたら、僕は人生の幕を閉じることになる。ところが虫は何の反応も見せず、そのまま違う空へと飛んでいってしまった。


 何となく理由がわかった。この黒い雪が傷ついた僕を隠してくれたのだ。仲間によって兵の死体の下に隠され、生き延びたというどこかの英雄の物語が頭をよぎった。いつの間にか喉から声が漏れていた。ヒステリックで渇いた笑いだった。

 

 嘆きの発作が終わったあと、僕は落ち着くためにしばらく目を閉じていた。


 何の音もしなかった。辺りには人も動物も、構造物の落とし子たちの姿もないのだろう。風が夕方の空気をさらに冷やし、僕の弱った体に吹き付けていた。


 ふと僕の指先に何かがかすった気がした。虫か何かだろうか。またひとつ。今度は髪の毛を撫でるような感触。目を閉じていると、感覚がより鋭敏になる。指や腕、首もとや両肩――触れる回数がどんどん増えていった。


 また雪が降ってきたんだ。黒い塊があたりを埋め尽くし、世界はどんどん暗く、陰惨になっていくのだろう。僕は諦めの気分で、ただゆっくりと瞼を持ち上げた。


 そして、声を失った。どこを見渡しても雪など降っていなかった。頭を打ち付けた為か、絶望のせいか。どちらにしても僕はおかしくなったのだろうか。


 あわてて手のひらで椀を作り、地面の近くをさらってみた。質量のある何か、地表に積もっていたものをすくい取った感覚がした。僕は初めて理解した。


 この雪は透明なんだ。


 曇天の空に舞う雪は全く見えなかった。触れて初めてあることに気づく。手を伸ばしてようやくつかめても、その塊が手のひらから滑り落ちてしまえば、そこから存在がなくなってしまう。


 僕には答えがわかった。この雪には人の感情の成分が全く含まれていない。直感がそう教えてくれた。純粋に自然の産物として落ちてきただけ・・の雪。だからこんな風に色がなく軽く、空虚なのだ。


 僕は手の中にある見えない雪を握りしめた。拳が震える。この自然現象が僕に伝えようとしている事実――僕以外の人間が世界から滅ぼされたという真実を認めるのが、恐ろしくて仕方がなかった。


「ちくしょう!」


 僕はただひとこと叫んだ。両手を突き上げ、天を仰いで見えない何かに向けて苦しみを訴えた。


 その僕のうつろな目が、上空で強く吹く風の中に何かを見つけた。


 ひとつだけある朱色の点。右に左にとゆらゆらと揺れながら、点が球になり、僕の上に落ちてくる。それは一粒だけの色づいた雪だった。


 みるみるうちに視界に広がると、やがて僕の額の上にぽとりと落ちた。ひんやりと冷たい感触が体温と混ざりあう。やがて赤い雪は音もたてず、すっと溶けてしまった。


 心臓がドクンと跳ねた。


 まだ終わっていない。


 僕は腕の力だけで体を支え、時間をかけて立ち上がった。動かない重い脚を引きずり、一歩ずつ歩き始めた。冷えきった体に再び熱い血潮が宿ったようだった。


 死に場所はここじゃない。僕は行かなければならない。この見えない雪の降る世界の中を、どこまでも。


 僕は探さなければならない。この世界のどこかにいる、最後の同胞はらからを。





(見えない雪      おわり)

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見えない雪 まきや @t_makiya

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