第2話
僕があと少しで十八になろうかという時にそれは起こった。何月の出来事かを正確に思い出せないのは、その後に起こった出来事が強烈過ぎたからだと思う。
雲と同じぐらいの巨大な飛行物体が突如、上空に姿を表した。やつらが何者でどこからの訪問者かと訊かれても、そんなことは誰にも答えられなかった。あるのは天からやってきたという事実だけ。
当然、人々は心から怯えた。本や映像では娯楽だった世界が目の前にやってきた。しかもハッピーエンドの筋書きを保証する監督はどこにもいない。
種の絶滅か、絶対的な服従か。想像は恐れを育む栄養にしかならない。そんな事実がなおさら、人々の心に恐怖の種を植え付けた。いつもと変わらない明日を、もはや迎えられないのだと誰もが嘆き悲しんだ。
けれど平和な翌日はあっさりとやってきた。そして翌日も、翌々日も。『頭上に不気味な構造の物体が浮かんでいる』という異常だけを抱えながら、人々の毎日が平凡に過ぎていった。そしてあっという間に一年の月日が過ぎた。
雪は相変わらず毎日降っていた。しかしひとつだけ違なる点があった。外宇宙の訪問者がやってきた次の日から、雪の色がにごり始めたのだ。
桜のピンクが赤黒くなった。青は退色した緑青に変わった。新鮮を失った橙色は腐った蜜柑のようだ。純白は灰色になった。
雪の色がなぜ変化したのか、理由は誰にも説明できなかった。いや、解明しようとする者がいないだけかもしれない。些細な自然現象の変化に興味を持つほど、人類は暇ではなかったのだから。
巷では空に居座り続けるそれ――
「彼らは友好的な存在なのではないか。あのような巨大な船を造り上げたのだから高い知能を持ち、理性があるはずだ。すぐさま攻撃的な行動を起こす可能性は低い。現に一年もの間、彼らは何もしてこないではないか」
「地球を調査しているだけだ。彼らが何者であろうが、極度に恐れる必要は無かった」
「今にあの下を向いている扉のようなものが開いて、交渉の使者が現れるに違いない」
状況が変わらない中、時間の経過と共にそんな楽観的な意見が少しずつ、各国のトップや軍、研究期間などに広まり始めていた。
しかし現実はもっと残酷だった。絶望は確かに上空に存在し、ひたすら時を待っていた。死は一夜にして全人類に訪れるのではない。雲の上の誰かが振ったサイコロの目に従い、順番に降り注ぐのだ。
天空にある者たちはついに用意した計画を発動した。
構造物の下部に付いていたシャッターのひとつがすっと開くと、そこから巨大な黒い塊がひとつ、放り出された。
塊は重力によってスピードを上げ、地表に衝突する寸前に、巨大な音と共に爆発した。数千度の炎は植物も動物も平等にすべてを焼き尽くした。
投下地点にあったいくつかの山、そして地に貼り付くように点在していた村や町が数秒で消滅した。跡にはぽっかりと半径数十キロのクレーターが残された。
また別の日、シャッターから大量の金属の卵が大地にばら撒かれた。卵は地面にめり込んだが決して壊れなかった。やがて先端が二つに割れ、そこから尻尾の生えた爬虫類に似た生き物が現れた。
彼らはただのトカゲではなく、鎧をまとった兵士たちだった。異形の者は何キロにも渡る長い隊列を組み、剣にも銃にもなる武器を手に、地方の都市に向かって行進していった。
人々の悲鳴と残虐な場面は、街頭に備え付けられた監視カメラを通じて全世界のメディアに放映された。都市は一日を待たず死体の山と、それを焼き尽くす業火に包まれた。
これはまだ始まりだった。
構造物から発進した何千の飛行兵器が、ある街の上で空中停止した。兵器は黒く細かい粒状のものをばら撒いた。強烈な伝染力を持つ病原菌のナノカプセル。それが落とし物の正体だった。
鼻や口から菌を吸い込んだ住民たちは、体の内部組織を破壊され穴という穴から血を吹き出して死んでいった。
この段階になってようやく、構造物が飛来した目的に関する各国の意見が一致するようになった。彼らはこの青い星に住む弱い生き物たちを使って、自分たちの兵器の効果をテストしているのだ。人類は彼らのモルモットでしかないということになる。
世界各地で起こる惨状を伝えるニュースが、メディアを埋め尽くした。人々は知りたがった。昨日の死の現場がどこなのかを。そして次の実験の場がどんな傾向で選ばれているかも。それによって人々は国から国へ避難し、命を守ろうと必死であがいた。
各国の人口統計のグラフはメチャクチャになった。ただ国から発表されなくても、世界全体の人口がみるみる減っていることは、容易に想像できた。
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