番外編3話 一流の歌手
「ちが、これは理由が……! というか、俺からじゃなくて‼」
「それなら早く退けばいいんじゃないんですか?」
「たしかにッ‼」
蔑むような目から逃げるようにまなを膝の上からどかす凛。
それに対し、まなはなかなか動かなかった。
――いや、動けなかった。
「春下……鈴音?」
突然の有名人の登場に腰が抜けてしまっていたのだ。
「? 私は春下鈴音ですが、あなたは……?」
「あ、え、えっと……」
探るような鈴音の視線にたじろぐまな。
そんなまなの体を持ち上げたのは、プロデューサーの佐藤だった。
「春下ちゃん、お疲れ~。大変だったね~」
「あ、佐藤さん、お疲れ様です。そうですね、前の仕事が伸びてしまって、すみませんでした」
「いいよいいよ、どうせこっちも暇だったしね」
「自分は暇じゃなかったですけど‼」
先ほどまで真面目にまなに歌が何たるかを説いていた凛は、すっかりツッコミ役に回っている。
さっきまで絶対的なカーストトップだと思っていた凛が、自分と同じくらいの現状に若干の困惑をしてしまう。
「じゃあ、さっそくですけど収録に入りましょう。春下さん、いけますか?」
「ええ、大丈夫です。喉は温めてきてありますから」
静かにそう答える鈴音。
鈴音がそう言うのはいつものことなので周りは何とも思わなかったが、まなだけは圧倒されっぱなしで(かっけえ……!)と思っていた。
「あ、あと、この子がこっちで一緒にレコーディングを聞いてますけど、いいですか?」
「別に構わないですよ」
鈴音の目に自分がどう映っているのか、まなは気になった。ただのファンだと思われていたらやだなあとか、自分の内なるオーラに鈴音が気が付いて一目置かれていたら胸熱な展開だなとかそんな妄想まで巡らせていた。
そのまま鈴音はコントロールルームから出ていき、収録ブースに入ってヘッドフォンを耳につけマイクの前に立った。
「じゃあ真中さん、よく見ておいてね。これがプロでも最前線で活躍し続けている超一流の歌手だから」
本当ならば「よく聴いておいて」ではないかとまなは思ったが、それでも鈴音の姿を目に焼き付けようと思った。
「…………」
レコーディングが終わった後、まなはブースの外のソファで打ちひしがれていた。
(なにあれ……あれが歌手の、生の歌なの…………?)
スタジオで、まなは鈴音の歌を聞いて泣いてしまっていた。
それは決して彼我の実力の差に叩きのめされたとか、そんなものじゃない。大体、そんなことを考えることすらできなかった。
単純に、目の前の歌に感動させられてしまったのだ。
心に響く言葉の一つ一つ、どれもが自分に迫ってくるような迫力があった。
心を締め付けてくるような、強制的に涙が出てきてしまうような、そんな力が鈴音の曲にはあった。
「どうだった、春下さんの歌は?」
そんなまなに凛が自動販売機で買った水を渡しながら声をかける。
だがそんな凛を、まなはキッとにらんだ。
「アタシの歌った曲、ぜんぶ春下鈴音の曲とか性格悪っ」
「まあまあ、あれは春下さんの5周年記念で俺が書き上げたやつだからね。そもそも春下さんはしっかり練習して自分なりに俺の歌を解釈してくれたから、あんなふうに歌えてるんだよ。30分とかであのクオリティになんかならない」
「でも……」
鈴音の前にまなが歌った曲は、凛が鈴音のために作った曲だった。
4つの色を、表す曲。それを鈴音は、あっさり歌いこなしてしまった。確かにまなの頭の中にも、曲名と同じ色が浮かんでいた。
今の自分がどれだけ練習をしたとしても、どれだけその曲を読み込んだとしても同じレベルで歌えるとは思えなかった。
音程が安定するだろうとは思っても、どうしてもさっきみたいな心に訴えかけてくるような歌い方はできるイメージが湧いてこないのだ。
「どうやったら、あの歌い方ができるの?」
だが、逆に言えば自分とメジャーデビューしてる歌手の差に気が付けたとも言える。その点では、まなはポジティブにとらえていた。
「素直に聞いてくるんだね」
「う、うっさい‼ いいから教えろ!」
「はいはい」
まなの剣幕に凛は諦めたような顔をして、それから手を顎に当てて考え始めた。
「…………といっても、俺もわかんないな。俺もあんなふうに歌えないし」
「はあ? わかんないのに、さっきからあんな偉そうな態度とってたの?」
「う、うるさいわ‼ ほ、ほら、あれだよ、監督よりも選手の方が上手いっていう」
「監督は技術を教えてくれるはずだけど?」
「ま、まあ……」
あっさり言い負かすと、まなはフフッと笑った。
さっきまで怖く見えていた凛が、なんだか少しかわいく見えてくる。
「教えてあげましょうか?」
そんなまなと凛に声をかけたのは、鈴音だった。
「というか、歌手志望ならそう言ってくれたらいいのに」
そして次に鈴音は凛の方を見て「馬鹿なの?」みたいな目を向けてくる。
「いや、変なこと言うとレコーディングに響いちゃうかと思って……」
「別に変なことじゃないと思いますが」
それだけで凛は沈没。鈴音の正論マシンガンに、凛はあっさり沈没する。
「それで、真中さん? だっけ」
「は、はい!」
鈴音はそれからまなの方に向く。
まなは背筋を正して、緊張した面持ちで鈴音の言葉を待っている。
「それで、歌い方の話なんだけど」
「はい!」
敬礼しそうな勢いのまなに戸惑いつつも、鈴音は答える。
「どうやって心に届けるか、それこそが歌手のアイデンティティなのよ」
「あいでんてぃてぃ?」
まなの返しに、鈴音は「そう」と言う。
「たとえば私の友達……知り合いの巽さんだったら、声を震わせて悲鳴に似たような印象を受けさせる。生田さんとかは声だけじゃなくてはつらつとした顔やダンスで見ている人を楽しませて、白川……もう凪城さんだけど、白川琴葉さんは歌手に自分を入れ込んで見ている人に臨場感を与えたり」
「ふむ、ふむ……」
まなは自分の脳に直接メモを書くように、頭に人差し指を当てている。
「す、鈴音さんはどうやって歌ってるんですか?」
「私? 私の場合は、そうだな……全部、かな」
「ぜんぶ⁉」
驚くまなに、鈴音は遠慮がちに言う。
「ほら、私って特別に才能があるわけじゃないの。だから全部を使って表現するしかないんだよね」
「全部使える人が才能ないって、それは嘘だと思うけど……」
「凪城さんは黙っててください」
「はい……」
凛を蚊帳の外にして、鈴音は続ける。
「頭を使って曲の意味を、作詞の意図を理解して。じゃあどうやって表現するのが一番なのか考える。あとはそれに合わせて声を作ったり強弱を作ったり、体を使ったりって感じかな」
「やっぱり……表現、なんですか?」
「そうですね。歌は何を表現するかがすごく大事だと思います。人物の気持ちを表現するのか、世界観を表現するのか、はたまたメッセージを表現するのか。表現力は、どうやって歌うにしても必要だと思いますよ」
「そうなんだ……」
凛の言っていたことが正しかったことは少し受け入れにくいことだったが、鈴音が言うからには間違いない。
「表現力……か」
表現力。漠然としていて分かるような分からないような、そんな単語だ。
「まあ、じゃああとは凪城さんに任せますね」
「え、俺⁉」
「当たり前ですよ。私はただの歌手ですから、あとは任せます」
「まあそうか……」
「あと、未成年に手を出してたって白川さんに報告しておきますから」
「まって、それだけは待って‼ 誤解だから、誤解ですから⁉」
凛の情けない声を聴きながら、まなは表現力について考えていた。
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