第119話 夫婦生活②

「なんであんなこと言っちまったんだ……」


 先にお風呂で待っててと言われて、湯船につかることもなくバスチェアに腰を掛ける。

 出来るだけこの先のことは考えないようにしながら……。


「はぁ……」


 一体視線はどこに向けておけばいいんだろう。


 さすがにお風呂の入り口に向けておくと変態みたいに思われるだろうから、おとなしく鏡か……。

 姿勢は? 裸で来たけど、まさか琴葉まで裸ってこともないよな? 水着くらいは着てくるだr……


「凛くん~? 入るよ~?」


 びくっ! びくびくびくっ⁉


「あ、ああ、琴葉か。入れよ」

「絶対緊張してるじゃんその声」


 誤魔化したつもりだったが、一緒にいた時間が長いせいか細かい癖が読まれている。


 まあもちろんお互いに、だが。


「お、お前だってなかなか入ってこないってことは緊張してるだろ」

「な、何を言っているんだか。裸を見られるくらい、ど、どうってことないよ」


 そう言いながら琴葉の声は少し上ずっている。嘘を誤魔化すときの琴葉だ。


 ったく、朝は自分から裸になってたくせに、こういうときだけビビるなよな。


「じゃあ、入るからね?」

「いつでもこい」


 そういうと、きゅーっという音の後、ガラっと人が入ってくる音がした。


 そして俺は、先ほどの自分の行動の過ちを今更ながらに気が付いた。


 ――鏡越しに琴葉の全身が映ってしまっていたのだ。


「なっ、お前、何も着てないのかよ⁉」

「だってお風呂だもん! 普通は裸でしょうが!」

「今日は俺がいるだろ⁉」


 だが今更引き返すことも難しい。


 仕方なく合意の下でそのまま入ることになった。


「じゃ、じゃあ背中流すよ?」

「お、おう」


 全集中・煩悩の呼吸で俺の煩悩を追い出す。あれ、それって俺、煩悩を操る鬼〇隊士になってません? 煩悩の柱ってなんだ一回おこられろ。


 琴葉は自分の手にボディソープを落とすと、それを背中にそっとつけてきた。


「どう?」

「どうって、なんか人にやられるとくすぐったい」

「そうなんだ」


 興味深そうな琴葉の声が聞こえる。

 背中から肩、そして腕へと移動していく。琴葉の細くて真っ白な指が俺の体をなぞっている。


「じゃあ次、前やるね」

「いやさすがに前は俺がやるが」

「いいの」


 強引に俺の言葉を切ると、そのまま体の前側もボディソープをなじませていく。


 もちろんところどころデリケートな部分に触れるのだが、鉄の意志で声を我慢する。


「どう?」

「ま、まあ、普通」

「そっか」


 今度はちょっと琴葉が笑った。からからという軽い調子の声だ。


 うむ。なんかくすぐったい。物理的にではなく、精神的に。


 夫婦になってから間もないが、付き合ってからもこうして二人でお風呂に入るなどなかった。というか、そういった一般的なイチャイチャというものをそこまでしてこなかった。


 だからなのか、この雰囲気が慣れなくてどうしたらいいかわからない。

 そしてそれは琴葉も同じだろう。言葉数が明らかに少なくなっている。


 この雰囲気はなんとなく好むものではない。

 そう思った俺は、驚くようなことを口にしていた。


「よし、じゃあ琴葉の体も洗ってやろう」

「へ?」


 言うが早いか、さっさと自分の体の残り部分を洗って流して、ポジションを交代する。


「え、え」

「ほら、早く座れ」


 戸惑っている琴葉をバスチェアに強引に座らせ、俺も自分の手に石鹼を塗りたくる。


「ちょっと凛くん? そこまでは頼んでな……」

「任せとけ、サービスだ」

「あの、あの」


 いつもの平静な琴葉が一変、焦りで言葉が出ていない。

 テレビの前では完璧を演じている琴葉が、ここまで俺に隙を見せてくれていた。それが楽しくてしょうがない。


「ほら」

「つめたっ⁉」

「な、意外と冷たいだろ」


 体をビクンと跳ねさせた琴葉を無視して、俺はそのすべすべの絹みたいな背中を丁寧に洗っていく。


「ひゃっ、そこくすぐったいっ‼」

「あはは、我慢したまえ。ちなみにここが弱いのも知ってる」

「にゃっ⁉」


 横っ腹のところを洗いがてらくすぐってやると、猫のような声を出した。


 俺だけに見せる琴葉の顔が増えてきて、楽しくてしょうがない。


「ほら、ほらっ!」

「ちょっ、ちょっとたいむッ‼」

「まだまだ~‼」


 必死に体のあちこちをガードしている琴葉と戯れる。

 そんなことをすること数分。


 ――琴葉さんの機嫌を損ねてしまいました。


「もう、やめてって言ってるのに信じられない」

「――すみませんでした、つい出来心で」

「そんなので許すわけないでしょうが!」


 髪を一度バサッと上げて、怒りを示す琴葉。

 こええ……。


「よしわかった。はい、じゃあ凛くん罰ゲーム」

「なんでございましょう」

「私の体、全部洗って」


 ん? 全部?


「全部。どこもかしこも、洗ってちょうだいね」


 そこで俺は琴葉が何をさせたいのか気が付いた。


 さしものこと、俺が琴葉のデリケートな部分を触って恥ずかしがっているさまが見たいのだ。正確に言えば触らずにどぎまぎしている姿が見たいのだ。


 だがしかし、そこに気が付いてしまえば、そんなのは愚策になるのだ‼

 つまり、俺が躊躇することなく触ってしまえばいいのだ!


 ははは、馬鹿め琴葉‼


「…………そ、それじゃあし、しつれいしま~す……」

「何してるの? ちゃんと鏡見ながら丁寧に洗うのよ」

「――⁉」


 いやだがそれも大丈夫だ! 躊躇することなく、むしろ喜んで、みたいな感じで見てしまったらいいのだ。

 琴葉の……裸を………………。


「琴葉様」

「なに、凛くん?」

「ごべんなざい……ゆるじでぐだざい」


 無理でした。ごめんなさい、琴葉さん。


「あれあれ、どうしたの? どこも触ったことあるし見たことあるはずなんだけどなあ~?」

「明るいところでこうやって改まって直接触るの気が引けるんだよわかれ‼」

「はい、素直でよろしい」


 ここでこの夫婦の上下関係が分かってしまいましたね。僕が尻に敷かれてます、はい。


「では、すみませんお先に湯船に……」

「? なに言ってるの? 罰ゲームがなくなるわけじゃないよ?」

「え?」


 俺がそそくさと逃げようとしているところを、琴葉に見つかる。

 そして琴葉は俺の方に振り返って、いたずらっぽく笑って言った。


「おっぱいだけで許してあげる。はい、洗って」

「許してくれる流れじゃなかったんですかあ~⁉」


 そして、俺は全集中除夜の鐘の呼吸を使って、108兆ある俺の煩悩を捨て去りながら罰ゲームを遂行しました。

 え、俺の煩悩は細胞の数より多いの?


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