第116話 デート(鈴音)②
「何しましょうか……」
「うーん」
デートとは思えないほどまったりしながら、出前でとったピザを片手に次何するかを考えていた。
お昼の3時という少し遅い昼ご飯だったが、それは桃鉄をやっていたのでしょうがない。
「もうさすがにゲームはやりたくないかな」
「負けましたもんね」
「ち、違うし、単純に疲れたんだし」
「絵にかいたような嘘」
そういいつつも、じゃあどうしましょうかと言って違うものを提案してくれる春下さんは優しい。
「逆に春下さんはやりたいこととかないんですか?」
「私ですか……?」
こちらの要望ばかり聞いてくれるので、今度は春下さんのしたいことを聞いてみる。
すると春下さんはうーんとうなって思考に沈んだ後、じゃあ、と言った。
「ちょっとお見せしたいものがあるんですが、よろしいですか?」
そう言って春下さんは一枚のCDを取り出した。
「それは?」
「まあ見ればわかります」
そう言って春下さんは時代遅れのDVDレコーダーに持っていたディスクを流しいれる。
その手つきは慣れていて、どうやら何回か使ったことがあるらしい。
そこからカーテンを閉めて部屋を暗くして、春下さんは出前のピザをソファ前のテーブルに移す。
「硬くならなくていいので、適当に座って見てください」
春下さんがジュースを片手にそんなことを言うので、映画か何かかと思って春下さんから一つ場所を開けて隣に座る。
「……なんでそんなに離れるんですか」
「いや、別に深い意味とかはなく」
「じゃあもう少しこっちによってください」
「……はい」
あまり女子の近くというのは慣れないのでこぶし半個ほど距離を縮めると、残った距離は春下さんが「うんしょ」と言って縮めてきた。
「ち、近くはありませんか……?」
柔らかい腕が振れてしまっているし、流れてきた髪が俺の頬をくすぐってくる。
「べ、別にいいじゃないですか……! で、デートですし」
「悪い、とは言いませんけど……」
そんな会話をしていると、やがてテレビから音が流れてきた。
光が付いて俺と春下さんの距離の近さを改めて実感するが、わざわざ距離を取るのも失礼だと思い、むずがゆくもその場にいることにした。
「ほら、見てください!」
そんな違うことを考えていたが、春下さんの声でテレビ画面のほうに注意が向いた。
「これは?」
画質の荒い映像だった。暗くて何もわからないし音もない。
ただぼんやりとちらちら蛍光色の光が見えるので何かが映っているということだけは分かる。
「ライブの映像……?」
「おお、すごいですね」
本当に驚いたのか春下さんは拍手してくれる。
「でも、これ結構小さな場所じゃないですか……?」
「まあまあ」
ただ会場がそれほど大きくないことに違和感がある。
春下さんほどの人がこんなライブハウスでライブをすることがあるのか。
と、そんな疑問がよぎっているところにテレビから大きな音が入る。
「みなさんこんにちはー! 春下鈴音でーす!」
画面の中央にぽつりと一つ人影が。挨拶があったように彼女が春下さんらしい。
「おっと、ここで18の春下少女が登場しましたね」
「18歳?」
え、18歳?
「うん、これ私の引退ライブ」
「へえ」
って。
「えええぇぇぇぇぇええええ⁉」
「いきなり大声出さないでください」
耳を抑えている春下さんを見て、思わずごめんなさいと口にする。
いやそれでも。
「そんな貴重な映像、こんなところにあったんですか⁉」
「まあ人前には出回っていないですからね。市場価値はかなり高そうですが」
「そんなのあること自体知らなかったですよ!」
春下さんは一度全盛期だった18歳でアイドルを引退している。
そしてその引退については謎に包まれていたので、こんな引退ライブがあったこと自体ニュースになるレベルだ。
「まああまり見せたくないので、凪城さんも話さず黙って見ていてください」
「う、うん」
俺も緊張してきた。
春下鈴音の引退ライブ。一体どんなものが映っているのか。
のんびりピザを食べている春下さんの横で、俺は固唾をのんで見守っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「さて、どうでしたか?」
他人事のように聞いてくる春下さん。
それに対する俺の答えは、思いのほか苦々しいものになってしまった。
「円満引退、ってわけじゃなかったんですね……」
春下さんの引退ライブ。
そこに映っている春下さんは、俺の知っている春下さんとは真逆。
「ほんと、お恥ずかしい限りなんですけど」
怒りに満ち溢れている春下さんだった。
歌に乗せて感情をぶちまけていて、いつも冷静な顔をしている春下さんとは思えなかった。
「何があって、引退することになったんですか?」
ただ、この映像を俺に見せた春下さんの意図は、間違えることはなかった。
俺にこれを見せたということは、引退について語る気になったということである。
「事務所と、何かあったんですか……?」
核心に迫る単語を出すと、春下さんは恥ずかしそうにうん、と頷いた。
「些細なことだったんですけどね」
それから春下さんは詳らかに4年前のことを話した。
「私が大学に進学する意志を事務所に言ったところからですね」
「大反対されて、母親まで反対してきて。今が一番売れてるのに、なんで大学なんて行くんだって」
「それに私は猛反発したんです。事務所も母親も、自分を商売道具しか見てないって、そう思ったら腹が立ってきて」
大学進学に関して、事務所や親と意見が割れる。
そしてどうしても大学に行きたかった春下さんは事務所や親の言うことを聞かずに受験をして、それではどうしようもないということで事務所から契約を切られたのだと。
それで今まで稼いだ資金を使って、最後にこのライブを事務所にも内緒で行ったのだという。
「大学には行く意味があるって思ってたんです。私は高校もあまり行けてなくて、そのままじゃ世間を知らなさすぎるし、芸能界しか知らないっていうのは後々大きな傷になると思ったんです」
春下さんは高校生のころにはもう大人気でテレビにもいつも出ていた印象がある。
そんな彼女は高校にもあまり行けていなかったことは想像に難くない。
「でもあの時はまだ私も未熟でした。事務所も、このタイミングでもっと売り出したいっていう気持ちがあっただろうし、それは私のために言ってくれていたことでもあったはずです」
必ずしも芸能人と事務所というのは対立関係にはならない。
そういう話をよく聞くのは、むしろそちらが稀だからであり普通は事務所も芸能人も利害関係が一致した運命共同体だ。
「もちろん大学に行く選択は間違っていたとは思いません。大学でしか学べないことはたくさんありましたし、かけがいのない時間でした」
わざわざ事務所との縁を切ってまで来た大学生活は、春下さんも真剣な覚悟を持って過ごしたことだろう。
なあなあで生活している俺とは違うことは明らかだ。
「でも、やっぱりアイドルに戻りたくなりました。みんなが輝いているのを見て羨ましくなったっていう、すごくミーハーな考え方ですけどね」
「それでアイドルに戻るっていう発想が全然ミーハーじゃないですが」
たしかに、と春下さんはくすっと笑う。
「それから前に仲たがいしてしまった事務所が快く受け入れてくれて、アイドルを復帰しようってなったときに」
すとん、と言葉を切って春下さんはこちらを向いた。
真っ暗な部屋の中で、春下さんの瞳が光をたくわえているように見えて、思わず驚く。
「凪城さんの曲に出会ったんです」
そして春下さんは俺の手を取った。
「最初はマネージャーさんが『絶対に鈴音さんに歌ってほしい曲がある‼』って言って教えてくださったんですけど」
内緒話のように語る春下さんは、楽しそうだった。
「聞いた時、これは誰にもとられたくない、私が歌うんだってたしかにそう思いました。絶対に私のものだぞって」
それから春下さんは、今更になっちゃいましたけどと前置きをして。
「ありがとうございました。私がアイドルとして復帰できたのも、凪城さんのおかげだと思ってます」
ぺこり、とソファの上で丁寧に腰を折りたたんだ。
「いや、やめてくださいよ! そんな大したことしたと思ってないですし、やっぱりアイドル復帰できたのは春下さん自身の力だと思います」
そしてなぜか俺も頭を下げる。
いや、ほんとなんでだ。
だが次の瞬間、ふわりと俺の頭は包まれた。
「それから……凪城さんのことが好きです」
「――ふぇっ?」
このタイミングで言われると思っていなかったことに、間抜けな声を出してしまう。
そんな俺を見た春下さんは、何故だか満足そうに俺の頭を自分の体にこすりつけた。
「何でこんな人を好きになっちゃったんですかね」
「そ、そんなこと俺に言われても……」
豊満な胸に押し付けられて息がしづらい。
命からがらに声を振り絞るが、春下さんには届いていないようだった。
だが、意識が落ちる前に、春下さんがぱっと手を放す。
それで解放された、そう思ったが。
「好きです、凪城さん。ふつつかものですが……よろしくお願いしますっ!」
唇をふさがれた。
ほんのりとトマトの味がした、優しいキスだった。
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