第104話 協力者

「おっじゃっまっしまーすっ!」

「どうぞ、入ってください」


 春下鈴音の家には、今日は珍しい客がやってきていた。


「えー鈴音さんの家って意外と質素なんだね~!」

「開口一番にまさかそんなことを言われるとは思いませんでした」


 鈴音は雫を案内しながらそんなことを口に漏らす。もちろん避難しているわけではなく、単純な驚きである。


「水野さんって炭酸は飲めますか?」

「いけるよー!」

「了解です」


 女性同士の会話にしてはいささか無機質だったが、鈴音はもちろん雫も意外と会話をデコレートしたいという欲求もないのでどちらにとっても心地よい会話だった。


 片や声優、片やアイドル。最近では声優がユニットを組んでアイドルのような活動をしたり、逆に有名な俳優やアイドルがアニメの声を当てる時代だ。

 昔ほどお互いのすみ分けというものが曖昧化してきていて、同時に格差みたいなものも減っていた。


 プシュッと景気のいい音を鳴らし「うわっ」と目を瞑る雫。

 ジュースから出てきた二酸化炭素が雫の目元めがけて発射されたのだろうか。


「ぷはー」


 豪快にペットボトルを傾ける雫を視界に収めながら、鈴音は上品にコップに注いだオレンジジュースに口をつけていた。

 その所作はゆったりと落ち着いて……いなかった。顔付近のあたりは意識して落ち着かせているのだろうが、下半分がもじもじしている。

 しきりに足をこすり合わせてみたり、せわしなく足を組み替えている。


 その動きを雫はきちんと見逃さず、ちょっと苦笑いをした。


「もう聞くまでもないかも、だね~」

「何が、です?」


 そしてきちんと隠しきれていると思っているのだろう、鈴音は静かな声で聞き返す。

 それがまた面白い。


 そんな彼女を少し憎ましげに見て、それからはあっとため息をつきながら呆れるように言った。


「うまくいったんでしょ? ――凪城くんと」

「にゃっ⁉ な、なにをいきなり」


 そう言いながらも顔は笑顔。

 この女、意外と性格がこじれている。そう雫は心の中で思った。あと、驚き方がかわいい。


「どうだったの~?」

「いえ、別にとくになにも……」

「えーそんなに浮かれてるのに何もってことはないでしょ~」


 そこで雫は一つの心当たりが。


「もしかして……キスした、とか?」

「そ、それはないですっ‼」


 きっぱりと否定する鈴音。


「まあさすがに、そこまで大胆なことはしないか、どっちも」


 あまり恋愛経験がない雫から見ても、凛も鈴音もヘタレだ。

 そんな二人がいきなり付き合ってもないのに気すとかするはずがない。


 いや、じゃあまさか……。


「もう付き合い始めた……とか?」

「それはないですね」

「あ、そうですか……」


 そこに関しては恥じらいもなく否定するんだ……、と思ったが口には出さず。


 だとしたら、もう大した進歩は望めないだろう。途端に雫は興味を失った声色で尋ねる。


「じゃあなにがあったのー?」

「あの、実は、実はですね……」

「もったいぶるな」


 もはや命令口調だった。でも、大したこともしていないのにもったいぶられても、時間の無駄だった。


「あっ……えっとですねえ、実は」

「はやく」

「あのぅ……その、水着が……」

「水着似合ってるって言われたの?」

「(こくこく)」


 盛大にため息をつきたい雫だった。もう案の定というか、予想通り過ぎるというか。


「ていうか、その水着を選んだのも私だったような気がするんだけど?」

「?」


 手が出そうになる。必死に自分のこぶしを抑える雫。

 本気できょとんとしている鈴音に怒りが一瞬湧き上がるが、落ち着く。


「まあ、役に立ったのならよかったけど」


 何を隠そう、あの水着を一緒に選んだのは雫である。

 もちろん最終的な決定を下したのは鈴音だが、候補を挙げたのは雫がメインだった。


 でも鈴音が喜んでくれたのならよかったか、とそんなことを考えていたら自分のことをいぶかしむような眼で鈴音が見ていることに気が付いた。


「……? どうしたの?」

「いえ、その申し上げにくいことではあるんですが……」

「なになに、言ってごらん」


 なんだか浮かない顔だ。さっきのへらへらとした顔はどこへいったのか。


 そして彼女は言葉通り、おずおずとしゃべり始める。


「どうして私にそんなに協力してくれるのかな……って」

「ほう」

「その……勘違いだったらあれなんですけど、水野さんも凪城さんのこと……」


 言い淀む彼女だったが、なんとなく言いたいことは雫に伝わっていた。

 つまり、どうして彼のことを好きなはずなのに自分と凛を付き合えるように協力してくれるのだろうか、ということだろう。


 そのことが、どうやら鈴音の心にしこりとして残っていたらしい。


「ほう」


 そんなことを言われるとは思っていなかった雫は、納得した様子で鈴音の言葉を聞いていた。

 それから。


「うん、たしかに凪城くんのことは好きだった」

「え?」


 何のためらいもなくそんなことを言った。

 鈴音はまさかそんなことを直接的に言われるとは思っておらず、慌てる。


 そんな彼女の様子を見ながら、雫はつづける。


「うん。好きだったな。一緒にデートに行ったときは本当に楽しかったし、自分のことを思って行動してくれた時は本当にうれしかった」


 雫の瞳に映るのは、クリスマスのこと。

 ネットで炎上しそうになった自分に、すぐに助けを出してくれたあの夜のことだった。

 それを思い返すと、たしかにあれは恋だったと思う。


「ほら、そのときに服とかいろいろ選んでもらったから、凪城くんの好みを知っていたというわけ」

「……そうだったんですか」


 種明かしをすると、鈴音は少し不機嫌そうに、でもそれを表には出さないように納得した。

 でも、隠しきれてはいなかったが。


「……だけど、私はあなたみたいに嫉妬をすることができなかった。ほかの女性に嫉妬するほど、気持ちが強くなかった」


 一度、琴葉に怒ったことはあった。

 でもあれは、凛を取られたくなくて、ではなく彼女が凛を間違った方向へ導いてしまっていたからだった。


 だから、そんな他人とデートをしたという事実だけで顔をしかめる鈴音ほど、自分には凛への愛情がないのだと思った。


「別に、嫉妬とかでは……」


 そしてその本人は不本意そうに言い返している。

 だが、語気が弱いのが何よりの証拠だ。


「まあ、だからね~。私じゃ凪城くんとは付き合えないって思ったわけよ。一時的なものかもしんないし、いつか彼のことを嫌いになっちゃうかもしれないじゃん?」

「そんなことは、ないと思いますけど……」


 自虐気味に口にする雫に、沈痛そうな顔で鈴音が返す。


 それを笑い飛ばしたのは雫だった。


「ちょっとやめてよ~シリアスに持っていきたいわけじゃないんだから~!」


 鈴音の肩をたたいてそう言うが、鈴音の目からは彼女がカラ元気をしているように見えたらしい。

 依然として、悲しそうな顔をにじませている。


「まったく、鈴音さんはアホだなあ」

「――え」


 だから、雫はつとめて明るい声で、そんな言葉を鈴音にかけた。

 鈴音は、思いもよらない言葉に目を丸くしている。さっきの感情をどこかに忘れて。


 それを見た雫は、鈴音を馬鹿にするような口調に変えて付け足す。


「わざわざ恋の敵を増やそうとしてどうすんのよ? しかも、去年のクリスマスを共にしたっていう、超強敵を」

「そ、それは……っ! でも、最近凪城さんと会ってないじゃないですか!」

「ううん? 明日デートの約束あるよ? 話題のアニメ映画だっていうから、一緒に行く予定」

「な――っ!」


 デートの約束を取り付けていたという話はさすがに鈴音にも効いたのか、勢いが弱まる。

 それをみて、ちょっと優越感に浸る雫。


「まあ仕事場でしか会えない鈴音さんとは、格が違うんですよ」

「っ……!」


 言い返せない鈴音を見て、ひとしきり雫は満足をする。


 そして、それから説教をするように鈴音に言った。


「いい? だから、凪城くんという鈍感ばかたれ男を落とすには、使えるものを使うしかないわけよ。あんな何も考えず女の子と遊びに行くような人、普通にやってちゃむりだから。だから、協力してくれるっていうやつにはおとなしくありがたみを感じながらお願いしておけばいいのよ」

「…………」


 ようやく、鈴音にも乗り越えようとしている壁がどれだけ高いものか、理解できたらしい。

 そんな姿を見て、よろしいといわんばかりに雫はうなずく。


 ただ、と付け加えて。


「でも、今鈴音さんを手伝ってるのは、頼まれたから。別にあなたに肩入れするつもりはないし、ほかの子から頼まれたらそっちにも協力する。私はあくまで第三者、だから」


 一見冷たい言葉に聞こえる。

 だが、その裏に隠された意図に気が付かないほど、鈴音の目は恋によって目隠しされていなかった。


「ありがとうございます」

「何でお礼なのよ」


 雫は半目を向けているが、鈴音は笑って返す。雫も照れているのだろう。


 つまり、気負わず、遠慮なく、自分に相談をしてくれということだ。


「――あ、明日のデート、ついてくる?」

「行きます!」


 なんだかんだ自分に肩入れしてるじゃないか、と思った鈴音だった。

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