第102話 モテる男はつらい……らしい。
夏真っ盛り。
東京にもいまだかつてないほどの熱波が訪れていて、埒外の温度に対して例年以上に熱中症予防が言われていた。
「だは~~っ……」
「どうしたんですか? 見たところお疲れのように見えますが……」
「あはは、まあ、ちょっとね……」
そんな中涼しい部屋に居ながらもさながら五月病にかかった大学生のように机に突っ伏していると、春日井さんに声をかけられた。
大学の図書室である。避暑地として下宿組が多くやってきているのだろう、人はかなりいた。
その図書館の中でも、話ながら勉強できるディスカッションスペースに春日井さんと二人でやってきていた。
「卒業論文でてこずってるんですか?」
「いや、むしろそっちのほうは順調そのものなんだけど……」
「では、お仕事のほうですか?」
はて? という顔をする春日井さんに対し、残ったかすかすの力を振り絞ってうなずく。
ちなみに春日井さんのほうはと言えば、放送作家としてアルバイトをした経験が生きたのかそのままくだんの放送局に就職が決まったらしい。
彼女も順調に卒業への準備が進んでいるようだ。
「うーん、お仕事……まあ、そうだね……」
「なんかちょっと歯切れが悪いですね」
困ったように笑う春日井さん。
現状、彼女の癒しがなければ俺は今頃その辺の道端で野垂れ死んでいたに違いない。端的に言って、春日井さんが癒しだった。癒しって何回言うんだ。
「まあ、ちょっと慣れない仕事が多いってのもあるかもしれないんだけど……」
それは間違いなく原因のひとつだった。
最近は曲を作るだけではなく、頻繁にテレビに出るようになっている。そういったなれない仕事というのは、身体的にも精神的にも疲れるものらしい。
「あー、そういえばこの前テレビの中でお見掛けしましたよ」
「基本的にはテレビというより配信サービスの番組が多いんだけどね」
お茶の間をにぎわせるような芸能人になったという意味ではなく、少しばかりネットで知名度が出てきたというほうが正確だ。
名前を変えて以来、ようやく知名度が増してきてついでにテレビの出演も増えてきたという形。
「やっぱりああいった仕事は疲れますか?」
「うん、もとから人前で話すのが得意じゃないからね」
「なんだかわかるような気もします」
一瞬うぐっと息が詰まったが、多分春日井さんにも共感できたということだろう。
決して、俺の外見から話すのが下手だろう推測したのではないと信じたい。そう、だよね?
閑話休題。
「じゃあそれでお疲れになったんですか?」
「いや、直接的な原因はそっちじゃなくて……」
「そっちじゃなく? テレビ出演が原因じゃないんですか?」
「それが原因ではあるんだけど、原因はむしろテレビに出ることより共演者のほうが……」
そう言ってて、また先日のことを思い出して胃が痛くなってくる。
「共演者? 何か馬の合わない方がいたのですか?」
「うーん、馬が合わないわけじゃないと思ってるんだけど……」
「じゃあどうしたので?」
「うーん」
話すか話さないか迷った挙句、ここまで来たら言ってしまったほうが良いだろうということで春日井さんに先日あったことを話す。
前の土曜日。俺は収録のために浅草にやってきていた。
雷門の前というおあつらえむきの場所で待つことになっており、俺が打ち合わせを終えて車でやってくるとすでにたくさんのスタッフが準備を進めていた。
「こんな暑いのに、すごいですね」
思わずそんなことを口にしたら、カメラマンさんの方に「まあ出演者が出演者ですから、みんな気合を入れてるんですよ」と苦笑いされた。
そういうものかと思ってしばらく待っていると、やがてこつっ、こつっ、と岩に染み入りそうな音を立ててやって来た人間がいた。
そしてスタッフ全員が彼女の姿を認めると、すぐに弛緩していた空気に緊張感が走ったのが分かった。
「お待たせしまいましたね~。前の収録が少し長引いてしまったものだから、すみません」
彼女はそれだけ言うと、すぐに化粧直しに近くのところでスタッフに日傘をさされながら目を閉じる。
ただこれだけ。なのに、周囲一帯の温度は妙にさわやかになった気がした。
白川琴葉。今や国を代表する女優になっており、その美貌とともに演技力で数々の人を魅了してきた。
その人物が、普段見せるようなおちゃらけた態度ではなく真剣な顔で現れたものだから、思わず俺も緊張して背筋を正してしまった。
やはり琴葉ってすげえな。俺はそんな子供みたいな感想を持ってしまった。
「はーい、それじゃあ始めましょう~!」
やがて陽気なプロデューサーが声を上げたため、収録が始まった。
今から撮る番組の内容は、浅草周りを食べ歩いて国民的女優に宣伝してもらおうという普通の番組だった。
ただ、同伴するアナウンサーの桃山さんのしゃべり上手なところやゲストの中に踏み込んでいくことが人気を博し、何年も続いているのだった。
「はい、本日はこのメンバーでよろしくお願いします」
一通り自己紹介を終えた俺たちは、まっすぐ雷門の中へ入っていく。
「最近はどうなんですか~? 女優業もお忙しいとは思いますが、アーティストとして練習する時間は実際あるんですか?」
「そうですね。ありがたいことにお仕事をいただいている身ですので、全力でやっています。歌のほうは隙間時間にボイストレーナーさんに教わるくらいですね」
目的のお店に行くまでは雑談。入って甘味を食べて感想を言ってまた少し雑談をしてお店を出る。
琴葉も落ち着いた様子で質問に対し素直に答え、たまに笑ってたまに困った顔をする。多分、カメラを意識して顔を作っているに違いなかった。
そしてそのまま2軒ほど同じことを繰り返した後くらいだっただろうか。
3軒目の店で、番組としては後半に差し掛かるところで桃山さんが急にプライベート寄りな話に踏み込んだ。
「ところで、凪城さんって彼女とかいないんですか?」
「~~ッ⁉」
いきなりの話題に思わず口に含んでいた白玉をのどに詰まらせかける。
慌てて琴葉がお茶を取ってくれたから事なきをえたが、急になんてことを話題にするんだ⁉
「おや~? もしかしてその反応はいるパターンのやつですか~?」
「いませんっ‼ いませんから!」
「そうでしたか~。それはファンの皆様にとっては朗報ですね!」
いや、ファンって……。俺のファンって、普通に曲をよく思ってくれてる人だけだろ……。
なんてことを考えていたら、今度は当然のように桃山さんが琴葉に同じ話題を振った。
「じゃあ、白川さんはどうなんですか?」
もしかしたらこっちが目的だったのかもしれない。
まず俺でワンクッションおいてから、本丸に行く。桃山さん、やっぱり歴戦のアナウンサーだな……。
「うーん、私も残念ながらいませんね」
「いたほうが残念だとは思いますけどね!」
笑ってあはは~という桃山さん。そりゃ琴葉に彼氏がいたらショック受けるわ。一般男性とかだったら、そこ代われってなるやつだ。まあいたら、あんなふうに人んち来てべろべろに酔ったりしないけどな。
でも、それで終わりではなかった。
というか、そこからが胃の痛くなる原因となった。
「彼氏は募集中なんですけどねっ」
「え!」「え?」
思わぬ衝撃発言に、俺たちの反応は対照的だった。
ぼーっと話を聞いていた俺は驚き琴葉の正気を疑い、アナウンサーの鑑である桃山さんはこれは面白いと口の端を釣り上げた。
「どんな方がタイプなんですか?」
「タイプっていうのはよくわからないんですけど~……?」
「じゃあ芸能人! 芸能人で言えば、ぶっちゃけ誰とかありますか?」
「芸能人……っていうかはちょっと微妙なんですけどね~」
とんとん拍子で話が進む。
ここまでサービス精神が旺盛でなんでもペラペラしゃべる琴葉は意外で、思わず本人か? と疑いたくなる。
だが、彼女の爆弾発言はそれだけではなかった。
「え、誰です誰です?」
「……しいて言うなら……」
そう言って琴葉は俺のほうを向く。
それからにっと口角をあげて。
「凪城先生、ですかね~?」
「――ブフぅっっっうううう⁉」
「ちょっと~、大丈夫ですか、せーんせっ?」
「げほっ、げほっ、すみません、大丈夫です」
は、はぁ⁉ な、何をこいつはいきなり言い出すんだ⁉
テレビ回ってんだぞ⁉ ていうか、テレビ回ってなくても普通そんなこと言うか⁉ いや、いやな予感はしたんだけど。
「すみません、すみません」
慌てて店員さんがおしぼりを持ってきてくれる。
そのまま店員さんがおしぼりの袋の口を開けて、だがそれを横から奪い取るように琴葉がかっさらった。
「大丈夫ですか~? 顔真っ赤ですけど~?」
そこから、俺の口をおしぼりで抑えて背中をたたきながら、にやにやとした顔で琴葉が言ってくる。もちろん、声がマイクに拾われないように絶妙なポジショニングをしたうえで、だ。
「て、てめえ……」
「ほら、ゆっくり息吸って~」
「な、もがががあ!」
抗議しようとしたらそのままおしぼりを口に押し込まれた。しゃ、しゃべれねえ……。
そして俺が何もできない隙に、琴葉は先ほどの自分の言葉にフォローを入れる。
「さすがにリップサービスが過ぎましたかね~」
「あ、さすがに冗談ですよね! あ、安心した……」
桃山さんが胸をなでおろす。そりゃそうだわな、本当だったら放送事故とかの話じゃないわ。
だけど、どうしてだろう。冗談って言われると、安心するとともにどこか少しだけ寂しくなるのは。
そう思ってると、琴葉はカメラの目を盗んでもう一度俺に顔を近づけてささやく。
「まあ、それも嘘かもね~。好きだよ、せーんせっ?」
「~~~~~っっ‼⁉」
前言撤回。まったく寂しさなんか感じない。こいつやっぱり性悪だ。
その後の琴葉はまたすぐに顔を外行きのものに戻した。
だが、少しだけ上機嫌に見えた。
――みたいなことが、琴葉だけじゃなくてあずさ、美麗にもあった。
あずさは琴葉と同じように好きな人のタイプを尋ねられ、「音楽に精通している人」「年上」「身長180センチ」みたいに具体的な特徴をあげたため、番組内で「え、凪城先生とかピッタリじゃないですか!」みたいに指摘され、いわゆる匂わせみたいになってしまった。
美麗の場合は、「このまえ先生と二人でディナーを食べました」みたいに簡潔に言ったため、俺がまた誤解を解くことに。誤解と言っても本当に誘われて行ったので、少し嘘を加えて打ち合わせだということにしたがアナウンサーには司会者の芸人さんにグレー判定されてしまった。
「……モテモテなんですね。凪城くんは」
「モテモテ、か」
その言葉に、今までの俺だったらすぐに否定を入れていたところだったが、今はそんな気になれなかった。
というのも、先輩に言われたことが頭にあったからだ。
相手の気持ちにちゃんと向き合いなさい、その言葉が。
「――そんなお綺麗な女性方におモテになるのに何か不満でも……?」
「ああ、いや、不満とかじゃなくて」
不思議そうに尋ねてくる春日井さんに、笑ってそう言う。
不満とかは、思うはずもなかった。
ただ、自分は本当に好かれていると思っていいのだろうか。そのことが頭の中をぐるぐるしているだけ。
高校の時に初恋をして、先輩にはきっぱりフラれた。
先輩は自分を守るために振ったと言っていたが、こちらから見たら俺の魅力とか男として何かが足りなかったのだと思う。
俺には特に何のとりえもなく、今までなにか他人に誇れるような努力をしたわけでもなく、ただ好きなことをして嫌なものから逃げてきていただけなのだから。
「ああ、ごめん。こんな話をして」
「いえいえ、凪城くんがしたかったらいつでもしてください」
「ありがとう」
ちょっと自分語りが長くなってしまったので、話をきりの良いところで終わらせる。
春日井さんは本当に嫌な顔せず、気を遣わないようにと言ってくれる。ほんとにありがたい……。
「そういえば今度春下さんと会う機会があるし、その時にでも相談してみるか……」
春下さんなら、芸能人としての意見を聞かせてくれるかもしれない。
彼女たちの気持ちについて心当たりがあるかもしれない。「自意識過剰じゃないですか? それか彼女たちが男に飢えてるかどっちかでは」とか言われそう~。
やっぱやめようかな。
「……?」
と、そこで春日井さんの表情が先ほどより明らかに曇っていることに気が付く。
そして、蚊の鳴くような声で。
「……いくらでも相談に乗りますけど、ほかの人に相談するのは……なんかいやですっ……!」
「――え?」
あまりうまく聞き取れなかったので、もう一度聞き返す。
すると今度は大きな声で、怒るように言われた。
「ほかの女の人に相談しないでくださいっ! そのポジションは……私がいいです……」
そこから謎の主張をする春日井さん。いまいち彼女の言いたいことが分からなかった。
「えっと、その」
「それくらい言ってもいいですよね⁉」
「いや、そんなこと聞かれても……」
「…………せめてそれくらいは、私も特別になりたいです……」
「え、なんて?」
「もういいです! とにかく相談役は私の役目ですから! わかりましたか、この、えっと、鈍感難聴主人公‼」
「は、はい。わ、わかりました」
最後まで何を言いたかったのかはよくわからなかったが、とりあえず了承する以外の選択肢はなさそうなのでうなずいた。
てか、鈍感難聴主人公て。そんなラブコメにしか出てこなさそうな言葉、よく知ってたな……。
あと難聴というより春日井さんの声が小さかっただけというのは、声を大にして言い返したかった。
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