第98話 彼女のエゴ

「はあぁ~あ」

「なんですか、そのこれ見よがしな溜息は」

「いやあ、後輩にずいぶんふがいない姿を見せたものだなあと思ってねえ」


 目に腫れを残した先輩は、不満そうにそんなことを口にした。


「そんなこと愚痴られても」

「なーんか、後輩にペース握られてやな感じい~」

「知りませんよ、そんなこと!」


 唇を尖らせている先輩だが、俺にそんなことを言われてもどうすることもできない。

 というか俺が積極的に握りにいったわけでもないし、その点に関しては俺に非はないはずだ。


 だが、どうしても先輩はそのことが気に食わなかったらしい。


 俺の顔を見るや、急接近。

 寝ている俺の上にのしかかって、一言。


「――好きだよ」

「~~~~~っ⁉⁉」


 突然の告白に頭が沸騰しそうになると、その姿を見た先輩が唇をにやりとゆがませる。


「なんて。う~そ♪」


 ころっと表情を反転させて、舌を出しながらそう言った。


「ま、また、そんな風にからかって! 二度は引っかかりませんから!」

「説得力が全くないことを、君は堂々と言えるよねえ。ほんとすごい」


 上気している顔を必死に冷ましながら、二度も同じ失敗をしたことを恥じる。

 いやでも、俺が悪いというよりどう考えても先輩のほうが悪い。先輩に言われてドキドキしない男は多分この世に存在しない。


「……まあ、嘘じゃないんだけどね」


 そして落ち着いてきてから、また先輩はこぼすように言った。


「さすがに三度は引っかからないですけど」

「ううん。これは嘘じゃないよ?」

「――ッ⁉」


 今度の先輩は笑いもせず、ただゆっくりとそう言った。


「結局あの時も、今も、ごまかさなきゃ本当の気持ちも言えないんだよねえ」


 ああ、あの時は酒の勢いか、と訂正する先輩。


「冗談……ですよね?」

「ううん、冗談じゃないよ」


 照れくさそうに笑う先輩は、たしかに恋をしているかのような姿で。

 自分に恋をしているのではないか思いたくなるような、乙女の顔だった。


「せんぱい」

「でも、この恋は実らないって、私は知ってる」

「――え?」


 だから、次に出てきた言葉は意外だった。


「あの時とは違って、凪くんの周りには私ほどの、ううん、私以上に魅力的な女性がたくさん居るから。私はもう思い出の女になってることくらい、自覚してる」

「…………」

「そうでしょ?」


 その先輩の念押しには答えることができなかった。先輩の顔を見ることすらできなかった。


 そして、その沈黙がどうしようもなく先輩の質問に肯定を示していた。


「別にいいの。それは私が運よくもらえたチャンスを生かせなかったんだから、自業自得ってだけ」

「せんぱい…………」

「凪くんの彼女になれるっていう一世一代のチャンスを自分から棒に振っただけだから」



 先輩が負け惜しみやかっこつけるために言っているようには見えなかった。

 あくまで本心だ。自然にそうわかってしまった。


 そしてそのことが、少しだけ寂しかった。


「でも、でもね」


 だけど、と先輩は個室の扉に意味深な視線を送りながら、続ける。


「あの時、逃げた私が言えることじゃないんだけど。でも、逃げた経験があるからこそ、アドバイスできる」


 それからゆっくりと視線をこちらに向けて、先輩は熱量をもった手で俺の両肩に触れて掴んで、そして言った。


「逃げないで、自分の気持ちにも、相手の気持ちにも。そして、ちゃんと答えを出してほしい」


 その言葉は、重みがあった。先輩が4,5年も背負い続けてきた後悔や愛情がたっぷりとのしかかっているからだろうか。

 重く、そして意外なまでにあっさり、俺の心に届いた。


「逃げてばかりは、案外と辛いもの、だと思うから」


 1年分、俺より年の功がある先輩は、そういうとバッグを持ってさっそうと立ち去って行った。




 *******************************





 ガラガラと戸が開く音を、観念した心地で聞いていた。


「――あら、盗み聞きなんて趣味が悪いね」


 投げかけられた言葉に弁解する余地がないことを認めて、私は言葉を返す。


「盗み聞きしてるのを知って、あえてあんなことを言ったのではないですか?」


 そういうと、彼女はにこりと笑って、それから、


「場所を変えましょう。聞きたいことがあるから」


 と小声で言った。まだすぐそばにいる凪城さんに聞こえないように配慮したのだろう。

 私もそこに同意しない理由もなかったので、足音を立てないようにして彼女の後に続いた。




 あたりは暗くなってきていて病院もそろそろ出なければならなかったので、私たちはタクシーを捕まえて病院を後にした、


 別に彼女と親しくするつもりはない……という気持ちはお互いに持っていたのか、手っ取り早く話をするために私が所属している事務所の個室に向かうことにした。


「では鈴音。誰も来ないと思うので、ごゆっくりとお話しください」

「ありがとう」


 明らかに勤務時間外にもかかわらず働いてくれたマネージャーに感謝を言うと、先に座っていた北条さんの目の前に座った。


「ありがとう、場所を用意してくれて」

「いえ、これくらいは」


 ぶっきらぼうな私の反応の何が面白かったのか、彼女は満足そうに笑うと溜息をこぼすように言った。


「ふう、私ってあなたに嫌われているみたいね」

「嫌ってはいないと思いますが」

「じゃあ、無意識、か……」


 彼女は独り言のようにそう言ったが、私からしたら何を言っているのかさっぱりわからなかった。


「それで、聞きたいこととは」


 一向に本題を話す気配がない彼女に冗長さみたいなものを感じた私は、自分からこう切り出した。


「まあ、そうね。あなたもそこまで暇じゃないでしょうから、無駄なことはやめて聞きましょう」


 そう言いながら無駄な前置きをしている彼女を咎めたくなったが、彼女もいよいよ話す気になったらしい。

 さて、何を言われるのだろうか。予想を立てながら彼女を待っていると、彼女はこう尋ねてきた。


「春下さんは……凪くんのこと、どう思ってるの?」


 そしてその質問は、寸分たがわず予想したものだった。


「凪城さんですか……? そうですね……いい仕事仲間だと思っていますが」


 だからこそ、先に質問を知っていたアドバンテージを生かして真剣に考えているふりをしながら答えた。

 こうやって自分の感情や気持ちとは別のしぐさを他人に見せるのは、得意なことだ。


 ――なぜ自分がそんなことをしているのか、そこは分からなかったが。


「ふーん、そう……」


 彼女はそんな私のしぐさを一つたりとも見逃さないようにじっくり見てから、悲しげにそう漏らした。


 一体彼女は私の何を知ろうとしているのだろう。なんで私は、何もしていないのにこうも試されているような気分になるのだろう。


「それだけ?」


 どうしてこの言葉を聞いて、隠し事をしているような気持ちになっているのだろう。親に詰問されているような気持ちになっているのだろう。


「え、ええ……別にそれだけですけど」


 少し言葉がまごついてしまったのは、彼女の圧みたいなものに押されたからに違いない。

 それくらい、彼女の目は鋭く、裁判官のようだった。


「結構あなたっていびつなのね」

「いび、つ……?」


 彼女の言葉に、聞きなじみのない単語があった。

 めったに言われることのない言葉だ。


「どこが、いびつなんですか?」


 だから、か。少し抵抗を覚えて、理由を聞いていた。

 性格が悪い、とかならまだしも、いびつ、と言われるのは意味が分からなかった。


 だが、彼女のほうはそんなことを思われるゆえんもなかったらしい。


「え? だって、あんなことしておいて、そんなただのビジネスパートナーですって言い張るのは無理があるでしょ、普通」

「あんなこと、とは」


 心当たりはあったが、なぜか自分では口にしたくなかった私はそう聞いた。


 そしてその心情を図っていたかのように、彼女は余さず口にした。


「――高崎君に、自分のことを殴らせようとしたでしょ」

「………………」


 目の前にいる女性は、あっけらかんとそう口にした。


 彼女は言葉を継ぐ。


「テレビに出ているような超売れっ子アイドルの顔を殴ったなんて話が広まったら、殴った相手がどんな目に逢うのか、わかってて自分を殴るように仕向けたでしょ?」

「………………」

「きっと社会的にその人は死ぬ。世間から大バッシングを浴びて、すぐに住所も名前もプライベートな情報は全部さらされて、袋叩きになるだろうね」


 何も言葉を発しない私に、彼女は饒舌になった口調で忌々し気に語る。


「きっと家族まで被害にあって、部屋の前に張り紙を張られて、親の仕事先にまで電話がかかってきて……。彼の周りは崩壊の一途をたどる」

「………………」


 私は何も言い返すことができなかった。

 そういった未来は、たしかに私の目にも見えるような話だったからだ。


 そして今度は、口を閉ざしたままの私に対し、彼女が激高する番だった。


「ねえ、もう一回聞くけどさあ。あなたにとって、凪くんはなんなの?」

「なんなの、と言われましても……。ただの」

「ただの仕事仲間で済む話じゃないよね?」


 図星だった。先を制されて、何も言い返すことができなくなっていた。


「ただの仕事仲間が傷つけられたからって、自分の商売道具の一つである顔をリスクに取ってまでそんなことしないよね? ううん、ただの友達でもそんなことはしない」


 彼女の論理的な筋立ては、私の言葉を封じるには十分だった。

 たしかに私がおかしいと納得させられるだけの根拠がそこにあったからだった。


「恋愛感情? それとも、生命線? あなたにとって、凪くんはどれだけ大きな存在なの?」


 そこまでいったところで、彼女はようやく自分が口早に剣幕をまくしたてていることに気が付いたのか、ふうっと息を吐いた。


「……ごめんなさい。ちょっと熱くなってしまって」


 多少、私にあった緊張もほぐれる。


「でも、私は別にあなたの邪魔をしようってわけじゃないのよ……」


 そして彼女は先ほどの様子からは驚くほどに悲しい声を発した。

 さっきから私は彼女の口調や話し方にいともたやすく翻弄されているような気がする。


「むしろ、逆。あなたにはちゃんと幸せになってほしい」


 懇願するように、彼女はそう言った。


「幸せ、に?」

「そう。だって、あなたは私に似ているから」


 似ている、と言われ頭にはてなマークが浮かんだ。

 どこが似ているのだろう、一体私の何を知っているのだろう。


「あなたの経歴から引退理由まで、全部知ってるわ。……まあこれは、嫉妬心が生んだ副産物なんだけど」


 彼女の言っていることには大事な内容がすべて抜けているのにもかかわらず、なぜだか自分には意味が分かった。

 ――おそらく、嫉妬心というのは勘違いが生んだのだとは思うのだけど。


「きっと、あなたは私に似ている。だから、ちゃんと幸せになってもらいたい。……そうしたら、私も幸せになれると思うから」


 彼女のエゴに付き合ってほしいと、どうやらそういうことらしい。

 しかし、自分勝手な人だな、と思うのと同じくらい彼女に親近感が湧いていた。


「だからこそ、凪くんがあなたにとってどういう存在なのか、自分で自覚しておいたほうが良い」

「凪城さんが、私にとって……?」


 自分にとって、凪城凛という人間はどういったものなのだろう。


 それを気が付くには、私にはあまりにも人生経験が乏しかった。


「じゃあ、またね」


 この時からだった。

 凪城さんのことについて考え始めるようになったのは。

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