第97話 馬鹿
「ははっ、本当にひどい話だねえ、これは」
話を終えた先輩は脱力した状態で、ベッドに背中を預けていた。話し口調は、いつものような間延びしたものに戻っている。
長い長い先輩の話の先にあったものは、回顧ではなく後悔だった。
「そして、そんなことをしでかしておいて、ぬけぬけと君の前に姿を現したのが、今目の前にいる女というわけなんだけど」
自虐気味に先輩は笑って、そこから力なく窓のを外に視線をやった。
「結局私は自分のことしか考えてなくて、凪くんの思うような魅力的な女の子じゃ全然なくて、卑怯者で凡人なんだよねえ」
寂しそうな顔で笑う先輩。
どうしようもない葛藤や苦悩の先に出してしまった結論かのように、辛そうな顔で語る先輩。
先輩の目は何を見ているのだろうか。
過去の情けないと思っていたころの自分だろうか、それとも変わることのできない自分だろうか。
どちらのかは、俺にはわからなかった。
――そのどちらも、存在しないはずの先輩だったから、
「先輩は、どうしてVtuberになろうと思ったんですか?」
「――え?」
突然の俺の問いかけに、先輩はその意図が見えないというような不思議な顔をしていた。
だから、もう一度聞きなおす。
「先輩は、どうしてVtuberになろうと思ったんですか」
「どうして、って」
だが、その無骨な問いかけに先輩も思うところがあったのだろうか、怒りを隠さない口調で返してきた。
「そんなの、特別になりたかったからに決まってるじゃない。みんなと違うものになりたかったの。みんなと同じようにただ普通の仕事に就いて、普通の暮らしをすることがどうしても受け入れられなかったのよ」
また鋭い口調に戻っている。どちらかが素というでどちらかが作られたもの、というわけではなくどちらの口調も先輩のものだ。
「普通に暮らして、普通に家族を持って……。同窓会で『北条さんも案外普通の生活してるんですね』って。そう言われる未来を想像したくなかったの‼」
先輩はそれほどまでに大きな期待とプレッシャーがのしかかる日々を過ごしていたから。
普通の生活をしているだけで失望され驚かれるほど、先輩は秀でた見た目をしていたしずば抜けた才能を持っていたから。
だから、先輩の言っていることは本心であって、他人に作られた感情であるかのように感じた。
そして、そのことに先輩がとらわれ続けていることが、何よりも嫌だった。
「先輩、あまり馬鹿にしないほうがいいですよ」
先輩の口調に合わせて、俺もとげを含んだ声色で返す。
多分。俺が先輩にこういった口調で言葉を返したのは初めてだったような気がする。
「馬鹿……に……?」
予想していなかったであろう俺の反応に、先輩も思わず問い返してくる。
「先輩が普通なわけ、ないじゃないですか」
「え?」
強い語調で、先輩が普通であることを否定した。
「凪くん、さっきの私の話聞いてた?」
「聞いてましたとも。だから、普通じゃないって言ってるんですよ」
「あのさあ」
先輩の目線はもう外ではなく俺のほうをまっすぐにとらえていた。
瞳の中には怒りの色が灯っているので、正直に言ってすごく怖かったが。
だが、それでも先輩の勘違いを否定してやらなければならなかった。
「普通の人は、『自分って普通なんだな~」って思いながら諦めるんですよ」
「だから、私も自分が普通って納得してるんだけど」
「納得してる人間が、Vtuberなんていう特殊な職業に就こうと思うわけないじゃないですか」
「だからあ! それは」
「先輩ってバカなんですか⁉」
「ば、バカ⁉」
思わず頭にきて先輩にバカなんて言う言葉を使ってしまった。これは、全部終わった後に怒られるやつだな。
でも、それくらいの言葉を使いたくなるくらい、先輩の頭は凝り固まっていて。
自分では自分を普通を認めたくないくせに、無理やりにでも自分を普通だと思い込もうとしているようだった。
そんな先輩は、はっきり言って馬鹿だ。
「まず第一に、Vtuberになれている時点で普通じゃないってわからないんですか⁉ 普通の一般的な凡人にはなれることのできない、選ばれた職業なんですよ!」
「――⁉」
Vtuberになって特殊な人間へと昇華されるのではなく、もとから特殊な人間がその職業に就くのだ。
誰もが誰も、望めばなれるような仕事ではなくて、見た目とは裏腹にシビアなものであるはずなのだ。
「あとね、次に――ッ!」
「ちょっと、凪くん! あんまり体動かしちゃダメだって」
熱が入るあまり体を動かすと、全身がきしむように痛んだ。
そんな俺を見て、先輩は背中に手を添えて体を支えてくれる。
「次にねえ! 先輩が自分勝手だなんて、俺なんかとうの昔から知ってますから‼」
そして第二に。先輩がわがままで自分勝手でマイペースなことは、会ってからずっと知っていた。
「話してる途中でも勝手に寝るし! やめてって言ってるのに勝手に髪の毛触ってくるし! 都合の悪いことは何も言わないし、逆にこっちが都合悪いことは根掘り葉掘り聞いてくるし!」
「ちょっと、凪くん? そ、そこまで言わなくても……」
「――何より、こっちは惚れたくもないのに勝手に惚れさせるし‼」
「凪くん⁉」
ずっと言いたかったこと、先輩に愚痴りたかったことを、俺は当人に目の前でぶちまける。
息切れするくらいに全部吐き出して、それからゆっくり言葉を継いだ。
「先輩はやっぱり魅力的で、当時の俺にとっては憧れ以外の何物でもなかったんです……。だから」
どうしてこんなに自分が怒っているのか、その理由がようやく自分にもわかった。
「そんなに自分を……自分でおとしめないでください」
先輩だけじゃなく、俺も先輩のおかげで日常生活に輝きをもらうことができたのだから。
一方的な関係じゃないのだから、それを知ってほしかった。
「凪、くん……っ」
先輩は目にいっぱいの涙を溜めて、漏れる声を唇をかみしめることで耐えていた。
先輩が顔をぐしゃぐしゃにしてるのはやっぱり似合わないなとそんな的外れなことを考えてしまう。
そしてそれから間もなくして、先輩は俺の膝のところなだれ込んできた。
「……っ、……っ!」
なんだか立場が逆転したみたいだった。
先輩をあやすようにそっと髪をなでて、布団で軽く頭を包んであげた。
「――――――ぅぅ……ぁああああああ‼‼」
くぐもった声とともに、カーテンがそよ風になびいていた。
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