第96話 むかしばなし
「……ん? あれ……ここは?」
「あ、凪くん‼」
見知らぬ真っ白な天井を視界に収めつつ目覚めると、聞いたことのある声とともに胸のところに衝撃が走った。
「うっ~~‼‼ せ、先輩、痛いですって!」
「ああああぁぁぁああ、ごめんんううううっっ‼」
「テンションがおかしくないですか⁉」
ぼろぼろと涙をこぼしながらうめき声をあげる先輩に思わず突っ込みを入れる。
こんなぐちゃぐちゃしている先輩を見るのは初めてだったから、いまいち事情がつかめない。
「凪城さん、結構長い間寝てましたね」
そんな俺の気持ちを読み取ったかのように、先輩とは対照的な静かな声が飛んできて、思わずそちらのほうを向く。
「春下、さん?」
「こんばんは。会うのは久しぶりなような気がしますね」
「なぜここに……?」
春下さんは窓から外が見える位置でパイプ椅子に座って本を読んでいた。
夕焼けがちょうど顔を半分だけ照らしていて、なんだか神秘的な姿だった。
「……なんですか、間抜けな顔をして……。頭も怪我したんですか? それとも、もともと頭が悪いんですか?」
「最後のは単純な悪口だろうが‼」
大きな声をあげてしまったが、それは室内にキーンと響いてすぐに霧散した。
なんだか大声を出した俺が馬鹿みたいだった。いや、普通に馬鹿なのか。
「体の具合はどうですか?」
だが馬鹿話だけで終わらせるつもりはなかったらしく、意外なほどに真面目な顔で春下さんは聞いてきた。
体の具合。そういわれて両手をあげてみたり体をひねってみた。
「……あちこちが痛みすぎて、どこが痛いとか分かんない、ですかね」
「そうですか……」
目を伏せて沈痛な顔をする。
俺からしたらそんなに深刻なことに思えなかったが、こういったときにけがを負った張本人のほうが楽観的なのは世の常なのだろう。
だが、そこで俺の楽観的な感情が不意にキャンセルされた。
「――高崎は⁉ あいつはどこに!」
傷をつけた当人、高崎のことを完全に失念していた。
「せんぱい! 先輩はどこか怪我とか……」
「わ、私は大丈夫よ。ありがとう、凪くんのおかげだわ」
「そうでしたか……」
そのことを聞いて、ずっと張っていた緊張の糸が切れた。
意識が途絶えていても、どうやら緊張しっぱなしだったらしい。
「ほんと、凪くんのおかげだわ……」
だが、先輩は罪悪感にまみれた顔で、そんなつぶやきをこぼしていた。
「凪くんに助けてもらってばっかり……今も、昔も」
「……昔も?」
言葉尻をとらえた俺に、先輩は決意を決めた顔をして俺をじっと見据えた。
「ちゃんと話さないとね、私も」
すると、先輩は春下さんのほうに目を向ける。
春下さんは肩をすくめてやれやれといった顔をした後、椅子を片付けてバッグを片手に外を出た。
「また後で来るので、終わったら教えてください」
「うん」
ガラッと音を立てて扉から出ていく春下さん。
そして、病室には俺と先輩の二人だけとなった。
*************************
「……どこから話したものかしらね」
「どこから、と言われましても」
先輩が何を話そうとしているのか、なぜこのタイミングで話そうとしているのか。
聞きたいことは今のことしかなくて、そしてそれは先輩の話したいこととは違っている。
「まあ、どうせ僕もここから動けないので、好きなだけ話して下さい」
「……ありがとう」
そこから先輩はゆっくり話し始めた。
俺とのなれそめを、俺と先輩との高校時代を。
***************************
高校時代っていうと、もう私からしたら4年以上も前なんだね。
凪くんと会ったのは私が2年生の秋だったから、5年半かな?
……あまり、思い出したくない思い出ばっかだけどね。
絶対に高校時代には戻りたくないなあ。
高校に入る前は、ずっと夢見てた。高校に入ったらたくさんの楽しいことが待ち受けていて、たくさんの友達と出会って、たくさんのイベントがあるって。
虹色に輝く日常を想像して、ワクワクしてた。
でも、3か月もしたら、それが間違いだったって思った。
だって、全然楽しくなかったんだもん。
進学校ってこともあったのかな。
みんな互いにけん制してて、他人の視線、他人の評価、そういったものばかりを気にしてた。
テストが返ってきたら自分より低い点数の子を見つけて安心したり、勉強ができない子は運動面でアピールして自分を肯定していて。
だれもが、優越感に浸ってないと生きていけない、そんな空気が蔓延してることに気が付いた。
しかも悪いことに、それは受験が近づくにつれて、つまり学年が上がっていくにつれて顕著になっていって。
2年生に上がるころには、もうみんなの心は砂漠に見えた。
誰も、何のために勉強しているのかわからない、何のために笑っているのかわからない。何のために生きているのか……わからなかった。
ただ渇きをしのぐために、他人を蹴落として生きていた。
もちろん、私も。
私には1年生の途中から付き合ってる人がいたんだ。たぶん、凪くんは知らないよね、ってそんなに驚かなくてもいいと思うんだけど……。
相手は新川正人くんっていって、そうそう、あのバスケ部のイケメンの人ね。
彼から告白されて、私は断る理由もなくて付き合った。
それだけの話なんだけど。
そして、彼はほかの生徒と同じように、他人を蹴落とすことが習慣になっていた。
二人で話しているときも、常に自慢だったり愚痴だったり、そういうのばっかだった。だれだれに勝った~とか、あいつがこんなことしてさ~とか。
それを私は、笑顔で聞いていた。彼の話すことは、内容自体は面白くなくてもいつまででも聞いていられた。たぶん、彼のことが好きだったからとかじゃなくて、私も他人の失敗談を聞いて安心してたんだろうな。
達観してるように見えて、私も子供だった。
でも、2年の夏ごろだったかな。
急に全部馬鹿らしくなったの。他人と一緒の道を歩いているのが嫌だった、他人と自分ではなにか決定的に違いがあると思っていたかった。
俗の代表であるかのような彼のことも興味がなくなって、すぐに別れた。
みんなが同じ顔であることに気が付いた私は、自分のことを「人と違うことに気が付いている特別な人間」だと思った。
だから、友達との付き合いもどんどん悪くなっていって、秋ごろには周りに誰もいなくなった。部活も辞めたから、いよいよ誰とも話さなくなった。
でも、それで私は満足していたの。低俗な人間と一緒に生きているくらいなら、孤高の人間のほうがましだと思っていたの。まさか、孤独だとは思いもせずに、ね。
みんなが好きなYoutuberのことはなんだかそれだけで俗っぽく思えて嫌だったし、有名なJpopは聞かなかった。かっこつけて本を読んだり、洋楽を聞くようになった。それが、思春期特有の行動であることは、気づきもしなかった。
そんな、自分のことを特別だと思ってた勘違い女が、凪くんが出会った「北条飛鳥」という女よ。
あなたがあこがれていた女の正体は、そんなものだったのよ。
――そして、私の前に現れたあなたこそが、私が理想としている人間だった。
こんなことを言っても、凪くんは信じないんだろうけど。ほら、やっぱり。
でも、凪くんがどう思おうとも、君は私にとってのあこがれだった。
最初に見たのは図書室だった。忘れもしない。
私が読書をしようと思って机を探していた時、変な男の子がいたのよね。
携帯にイヤホンを指していじりながら、一人でニヤニヤしてる男の子がね。
思わず「何してるの?」って聞いたら、すごくびっくりして顔を真っ赤にして、それからろくに言えてない言い訳を始めて。
すごく変な子だな~って思って、いじわるしていろいろと聞いたら、1年の凪城です……帰ります……って、すぐに逃げようとしたよね。あのときは本当に面白かったな~。
この高校に、こんな子がいるのか~って思った。
だって、凪くんが見てる世界だけ、虹色だったから。
あの時の凪くんの周りには、確実に私が夢見ていたものがあった。高校に入る前に夢を見ていた景色が、そこにあったの。
そこからは、もう凪くんの知ってるとおりね。あなたに会いたくなって、いっつもいっつも図書室に通って、たくさん話しては司書の人に怒られたりして。
凪くんの趣味の話ばっかりだったかな。どういう音楽が好きなのかとか、いつもは何をしているのだとか。そんな他愛もないことをずっとずっと日が暮れるまで話してたよね。
まあ、たまに凪くんの視線が私のおっぱいとかに向いてたのは、その時くらいからの癖みたいだけど、ね。
それで、放課後がどんどん楽しくなっていった。毎日、その時間だけを楽しみに学校に来ていた。授業中もずっと時計を見て生活してた。
だからたまに凪くんが来なかったりするとすごく不機嫌になって、すごく落ち込んだ。嫌われたんじゃないか、みたいな最悪の妄想までしてて、次の日にどうでもいい理由でこれなかったみたいな話を聞くと、ちょっといらっとして強めに当たったりした。
それくらいに、あの頃の私は凪くんしかいなかった。――凪くんとは違って。
凪くんは楽しい日常の一環として私の絡みがあったけど、私には正真正銘凪くんしかいなかった。
そして、凪くんとの放課後が楽しいと思うにつれて、どんどん学校に行くのが嫌になった。
「楽しいことがあると頑張れる」っていう人いるけど、私の場合は違ったみたい。
授業がより一層色あせて見えて、いつもの日常がより一層くだらなく見えて、空気がより一層灰色に見えた。
しかも、凪くんとの時間を楽しみになればなるほど、一緒にいる時間は短く感じられて。あの頃は、学校に行くのが苦痛で仕方なかった。
凪くんのおかげで学校に行けていたけど、凪くんのせいで学校にいるのがつらくなった。
私にはどうすればいいのかわからなくなった。でも、凪くんと距離を取るっていう発想だけはどうしても選べなかった。
解決方法は分かっているのにそれを選ばない。そんな卑怯な女だった。
それがさらに自己嫌悪として自分をむしばんでいった。
そんな時に訪れたのが、君の告白。
勇気を振り絞って出してくれた「好き」という言葉を、私はにべもなく断った。
理由は言葉にすれば簡単だった。
私は、君に私のことを知られるのが怖かった。
私という存在がひどく空虚で、からっぽで、虚飾で、嘘で、そして平凡であることを、なにより君に知られることが怖かったんだ。
私がいかに幼稚だったのか、いかに凡俗だったのかはそのころには気が付いていたからね。君を通して。
だから、私はそこで初めて君を拒否することをできた。
まったくひどい話だろう。自分で話していても、あまりの自分勝手さに笑いたくなる。
こうして、私は君の告白をないがしろにして、ある種の満足感を得ていたのさ。
自分の一番大事なものを犠牲にしてでも、自分を通すことができるようになったと。
――――そして私は、自分の行動を後悔したの。高校を卒業してから。
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