第95話 クラスメイト

「あれ、もしかして北条先輩?」


 金髪をワックスで横に流していて、だぼだぼのハーフパンツからは筋肉質な脚が見えている。

 猫のようなとがった目にわずかに上がった口角や吊り上がった目など、体全体で自信を表しているかのような男だった。


「えーと、高崎君……だっけ?」

「おォ、覚えてくれてたんスね! まあ? オレ、悪目立ちしちゃうからなァ」


 明らかな温度差に俺はもちろん先輩も戸惑っているが、相手の高崎は全くそれに気が付いていないようだった。

 気が付いていたとしたら、鋼のメンタルだけど。


「先輩、ひとりっスか?」

「い、いや……。別にそうじゃないんだけど」

「あ、ちなみにオレは連れと来てるんですけどね? ちょっとどっかいっちゃったみたいでェ」


 いや聞いてねえよ、みたいなことを言ってもこの人種には通用しないだろう。

 そういった技術は、だれとでも話すために培われた技術なのだろうな、うん、たぶん。俺はちなみに手を振られても一回様子を見て自分に向けられたものかどうかをお確認するけどね!

 それはどう考えても俺が陰キャすぎるだろうが。


 高崎は白い歯を見せながら先輩に着実に距離を詰めていく。


「ちょっと時間あるんで、一緒に行きません? ほらっ」

「いや、だから別に一人じゃないって言ってるじゃん……」

「ホラ、ちょっとだけだから」

「ちょっ」


 高崎が先輩の手を強引に引いていこうとするのを見て、我に返って今の状況を理解する。


 それから、思わず高崎の手を掴んでいた。


「――アァ?」

「おい、その辺にしておいて……くれないか」


 俺よりも一回りでかいというその屈強な図体が、俺のことを見下ろしていた。

 思わず腰が引けそうになるのを我慢しながら、もう一度聞こえるように言い返す。


「先輩は今日は用事があるって言ってるだろ。やめろって」

「ハァ? つーかまず、お前ダレ? なんの権利があって俺にため口でしゃべってんの?」


 だが、久しぶりに会ったクラスメイトは俺のことをどうやら覚えていないようだった。

 クラスの端っこに居る日陰者のことなど、この男が気にかけることもないのだろう。覚えている道理はたしかにないな。


「あ? あ、お前……」


 と、思ったのだが、まさかなことに高崎はどこか引っかかりを覚えたように、俺の顔を凝視する。

 なめまわすように、顔のパーツを一つずつ確認していき、それから結論に至ったようだ。


「お前、まさか高校んときの凪城か? ハッ、なんでてめえがこんなところにいやがる」

「だから、私も友達と来てるって言ったじゃない」


 そこで今まで突然のことにしどろもどろになっていた先輩が、ようやく息を吹き返したようで高崎に対して言った。


 だが、その言葉も彼に鼻で笑われる。


「まさかッ? 北条先輩ともあろう人が、こんなもやしとつるんでるんですか?」


 もやしで悪かったな。つーか、その悪口はなかなかに頭にくるんだが。もちろん言い返すことはできないけど。


 高崎は俺と先輩を交互に何度も見た後、うんうんとうなずきながら答える。


「こんなやつじゃ先輩の横には釣り合わねえ。どうです先輩、オレと一緒に行きましょうよ。こんなくずは置いていって」


 高崎は俺と先輩の間に覆いかぶさるようにして割り込み、もう一度彼女の手を取る。


「ほらほら、こんなやつといたら先輩の女としての威厳もかすんじまいますって。オレがちゃんとリードしてあげますから、安心してくださいって」


 それから気持ちの悪い笑みを浮かべて先輩を引き連れていこうとする。

 このままでは先輩が危ないと思いもう一度高崎の背中を掴もうとしたが、しかしそれは杞憂に終わった。


 ――ぱしんッ。


「――へ?」


 乾いた音がショッピングモールの真ん中で鳴り、あたりが騒然とする。

 静かな沈黙の後に、周りには人だかりができていた。


 何が起きているのか確認にくる人、何事かと興味本位で見に来る人が集まって、その人の塊に俺もいた。

 ぽかんと口を開けて、先輩の顔を見る。


「はっ、いい加減にしてくれるかしら、高崎君」

「え、は……?」


 高崎が自分の赤らんでいる頬を触り、それでも何が起こったのかわからないという表情で先輩のことを見ていた、


「さっきからぬけぬけと好きなことばっかり喋ってるけど、一体何様なのかしら」


 そして俺も高崎と同様に、見たことのない先輩の行動や言葉に唖然としてしまっていた。


「第一、人の優劣なんてあなたが決めるものじゃないでしょ。……凪くんのことをよく知りもしないくせに」

「は、はァ? あんなド陰キャとオレとじゃどっちが上かなんてわかり切った話でしょ‼」

「黙って」


 有無を言わせない先輩の語気に。さすがの高崎もたじろぐ。

 たしかに、あれだけ怒っている先輩というのは、高校時代には一回も見たことがなかった。


「……あなたとは話す気も起きないわ。人のことをさげすむ余裕があったら、自分を磨くといいと思うわ」

「なっ⁉」

「行きましょう、凪くん」

「ちょっ、せんぱい」

「ほら、早く」


 足早に人混みをかきわけていく先輩の後ろを、あわててついていった。

 

「ちょっ、ちょっと待てって」


 だが、今度は俺の腕をつかまれる。

 思わずびくっと体を震わせ後ろを向くと、怒りに満ちた顔をした高崎がそこにいた。


「気に入らねえ」

「――は?」


 何を言ったのか一瞬分からなくなりもう一度聞き返そうとしたら、次の瞬間には俺の顔にこぶしが入っていた。


「――ぶふゥッ⁉」

「凪くん⁉」


 先輩の声が遠くに聞こえた。それから脳が揺さぶられるような感覚があり、そして痛みが押し寄せてきた。


「雑魚が、いきがってんじゃねえよ‼」


 高崎の咆哮だけは異様に耳に入ってくる。


 殴られたのか、俺は。先輩は、無事なのか? 先輩? ああ。無事か。

 現実が一歩遅れて俺の脳内に追いついて、そして安堵感。


 ――それから危機感が押し寄せてきた。


 先輩は、俺が守らないと。


「ほら? どっちが上かわかったでしょ? せーんぱいっ」

「こ、こないで……!」

「別に取って食おうってわけじゃないんですからァ。まあ、食べちゃうかもしんないですけど」

「ひっ……」


 おびえる先輩の姿が見え、思わず高崎の足に手を伸ばす。


「やめろ……ッ! せんぱいに……さわるな……‼」

「あァ? 聞こえねえんだよ!」

「グフッ⁉」


 腹を強烈にえぐられ、口からは鉄の味がした。

 手の先にはしびれがあり、視界がぼやけてくる。


「せん……ぱい……」

「もういいから! 凪くん、無理しなくていいからぁ!」

「せんぱいが……せんぱいが……」

「私なんてどうでもいいから‼」


 ああ、そろそろだめだな……。結局、情けなくくたばってるだけだな、おれ……。

 しかも、ひとりでに満足感だけあることがたちが悪い。


「カカカカカカカッ! これはマジで爆笑だな!」


 高崎の嗤う声を最後に、俺の意識が切れた。





「――何をしているの、こんなところで」




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