第92話 告白の続き

「試しに、付き合ってみない?」

「え?」


 先輩の突拍子のない発言に、一瞬思考がついていかなくなった。


 誰が誰と? 俺が先輩と?


「何を言って……?」

「ほらさ、試しでいいから。合わなかったら捨ててくれていいからさ」


 先輩は軽快なテンポで二の句を継ぐ。思考が停止しているのとは対照的に、先輩は早口で次から次へと言葉を紡いでいった。


 だが、その言葉には相当の拒否感が生じていた。


 そういう問題じゃないのだ。お試しとか、そういったことで付き合ってはいけないのではないか。もっと男女の恋愛は健全でなくてはいけないはずじゃないのか。

 そもそも、先輩はそうやって安易に付き合いたくないから俺のことを振ったのではなかったのか。


「いや、えっと」

「ほら、どうなの? 割といい物件だと思うよ、私」


 顔を傾けてくる先輩はたしかにかわいらしかった。大人びた可愛さを持ちながらも、どこか隙があって接しやすく、話も合う。澄んだ瞳には穢れがないし、少し視線を下に向けると大きなふくらみがあり、女性的な魅力に事欠かない。

 こういう判断基準はよくないのだが、お金もあって経済的に余裕もあるい。客観的な観点から見たらそれこそ「優良物件」だと言ってもいいのかもしれない。


 でも。俺が知ってる先輩は、俺の好きになった先輩はこんな感じじゃなかった。

 そんな軽々しく付き合うと口にするようなタイプではなかったし、間違っても「試しに」なんていうタイプじゃなかった。


「ほら? どう?」


 顔を真っ赤にして俺の返事を待っている先輩。バーの中は少し暑く感じた。ただ、それとは別の汗をかいていることは間違いなかった。俺も先輩も、アルコールが体中に巡っているらしい。


 だからといって、先輩の酔ってるところに付け込んで関係を発展させるのは、絶対に許してはいけないと思った。


「すみません、先輩。俺、先輩とは付き合えないです」


 先輩は一時的に浮かれているだけなのだ。久しぶりに会って懐かしく感じているのを、少し恋愛感情と勘違いしただけ。つまり、先輩が俺に恋愛感情を持っているわけではないのだ。


 だからちゃんと拒絶しなければならない。

 先輩の間違いに、俺までが傾いてしまっては、それこそ先輩との大事な思い出の数々を台無しにしてしまう。だから、きちんと言葉にして断る必要があった。


 固く決意をして、しかし罪悪感を感じながらも断ると、先輩は一瞬ポカンとした顔で俺を見てきた後に。


「あは、あー、あはははっは」


 気持ちのいい笑いを響かせた。上に突き抜けていくような笑い。

 店内には俺たちしかいなかったからよかったものの、マスターは困惑気味に顔をのぞかせていた。


「え、せんぱい? センパイ?」

「いやあ、やっぱ凪くんって真面目だよねえ~。そっかそっか」

「え、あの、な、どういうこと⁉」


 思考がついていかない。何が起こってるの⁉ え、ひょっとして冗談ッ⁉


「もしかして、わざとですか!」

「いやいや、悪気はなかったんだけどねえ。ちょっと酔って冗談に言いたくなっただけ」

「冗談にも言っていいものと悪いものがありますが⁉」

「ごめんごめん。本当に悪かった悪かった」


 両手を合わせながら舌を出して誤ってくる先輩。そんな仕草をされるとこちらも怒るに怒れないから困るんですが。


「いやあ、でもこんな冗談言うなんて、私も本当に彼氏が欲しいのかもね」


 と、そこで先輩はふとそんなことを言い出した。


「先輩でも彼氏が欲しいとか思うんですね」


 思ったことをそのまま口にしてみると、先輩は意外そうな顔をしながらこっちを見る。


「え、なにか気に障るようなこと言いました?」

「……いや? どういう意味かなあって」

「そのまんまの意味ですよ。先輩は男に困るようなことないでしょう」


 そこまで言ったところで、先輩が頬を膨らませていることに気が付いた。


「なに? その男をたぶらかせてるみたいな言い方ぁ」

「いやっ、そんな意味じゃないですって‼」


 ここにきて分かったことだが、先輩はお酒が入ると妙に面倒くさくなるらしい。

 いや、本当に面倒くせえ。


「そうじゃなくて、先輩は美人なんですから彼氏が欲しいと思ったらいくらでも作れるでしょ」

「なに、その男を手玉に取って遊んでるみたいな言い方ぁ!」

「本当に面倒くさいですね先輩⁉」

「なによ面倒くさいって。そんな重い女みたいな言い方しなくてもいいじゃない」

「誰もそんな言い方してないですって!」


 人気Vtuberの実態がこれとか、リスナーだったら絶対に知りたくないな⁉ 「流明日香」ってかなり清楚系な感じだから、が付いたら大変だぞ。

 いや、それはそれで一定層に需要があるかもしれないなと思ってしまうあたり恐ろしいが。


「先輩もだいぶ酔ってきてきてしまいましたし、そろそろ帰りましょうか。というか、先輩今日も配信があるんじゃないんですか?」

「あー、そうだなあー。たしかに、そろそろ酔いを醒まさないとまずいかも」

「ですよね」

「じゃあそろそろ事務所にいこっか」

「え」


 え。え。なぜ事務所に? なぜに?


「ほら、今日の配信で、凪くんに曲を作ってもらうことを発表するからさ」

「えええええええぇぇぇぇぇえええ⁉」

「はい、じゃあ事務所のほうに行こうかね」

「いや、え、ちょっと、せんぱ」

「お金は払っておくから安心してくれたまえ」


 いや、くれたまえ、じゃなくて! というか勝手に奢ろうとするな!


「はい、じゃあレッツゴー♪」


 そうして、告白のことはうやむやになったまま、二人で事務所に行き重大告知の配信をすることになった。


 そのことで、新たな火種が生まれていることには、この時は気が付いていなかった。

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