第91話 ただの先輩後輩
「いやあ、わたしも凪くんとお酒を飲める歳になったんだねえ」
先輩はあの頃と同じように、淡々と間延びしたような声を出す。
俺たちは二人で駅から10分ほど歩いたところにあるバーにやってきていた。
もちろん先輩の紹介だ。
「先輩の方が先輩ですけどね……」
「ふふん? なにそれ、面白いこというね」
ロックグラスの中に入っている氷をころころと転がしながら、ぼんやりと眺めている先輩。お酒がここまで似合う知り合いは、琴葉くらいだろうか。
先輩は高校の時に比べてさらに綺麗になっていた。
「それにしても、よくこんな店を知ってましたね……」
「気分転換はこれくらいしかできないからね~。ああ、もちろんお代は出すから」
「さすがに俺が払いますよッ!」
「わたしこう見えても稼いでるからさ~。Vtuberって結構儲かるんだよ?」
少し自慢げに言う先輩。Vtuberの年収がどれくらいのものかは分からないが、かなり夢のある額になっていることは想像できる。
というか、Vtuber界の先頭を走る『流明日香』が普通のサラリーマン程度の額に収まるとは思えない。
「あっ、でも凪くんもかなり稼いでるんじゃない~? ほらほら、かなり売れっ子みたいだし?」
「先輩、知ってたんですか……」
「あれ、社長から聞いてない? わたしから凪くんにオファーしたんだけどなあ」
無垢に笑う先輩に裏を探ってしまう。ここにいる二人は高校のただの先輩後輩ではなく、振った相手と振られた相手なのだ。振った側の先輩は特に何も考えていないだろうが、振られた側の俺からすれば平常を保つのは難しい話だ。
だから、そのことが掘り返されないように、ふらふらと核心の外側を大事に大事に触る。
「先輩は、俺がその、曲を作ってたのはいつから知ってたんですか?」
「いつから? 最初から知ってたよ?」
最初。最初ってなんだ⁉
先輩は昔から言葉足らずのことが多いから、妙に困る。
「最初って言うと……俺がまだこの名前でやってない時からですか……?」
「そうそう。歌をユーチューブに上げてた時から、ああこの声は凪くんだなあ、って」
先輩が嬉しそうにそう言っているのを見て、俺もなんだか嬉しくなってしまった。
先輩が俺のことや俺の声について覚えていてくれたことが、妙に気恥ずかしかった。俺はまだ先輩のことが好きなのだろうか。
自分の中で格好悪い感情が現れたのを感じ、話を変える。
「その頃って、先輩はもうVtuberやってましたっけ」
「私ははたちから始めたから、まだ微妙にやってなかったかな」
「そ、そうなんですか……」
は、話が続かねえ……。先輩と二人きりになることなんてもう二度とないと思ってたから、手汗がやばい。ちなみに背中はびっしょり。
「もしかして凪くん、緊張してる?」
そんな俺を見透かすかのように、先輩は顔を少し傾けて聞いてくる。
髪がふわりと傾いて、果実のような香りが鼻に侵入してきた。
「ま、まあ……」
「えー何を緊張してるの?」
「そりゃまあ色々と……」
先輩はいつもこうだった。答えを知っているくせに俺の口から答えを聞こうとしてくる。本当に性格が悪いと思う。
絶対Sなんだよなあ……。
「逆に凪くんは、私がVをやってたの知ってた?」
「知ってるわけないじゃないですか」
「さっき私の顔を見たとき、死人を見るような驚き方してたもんね」
それはさすがに驚いても無理が無いと思う。自分の知ってるVtuberが、自分の知ってる人だったなんてことが、人生に何回起こるだろうか。
いや、何回も起こる人生とか嫌だから。身が持たねえ。
「でも、声とかで分からなかったの?」
「似てるなあとは思いましたけど、先輩がVtuberやってるなんて想像もしませんよ」
思ったままを正直に言うと、先輩は嬉しそうな顔をして微笑む。
お酒の影響からか、少し頬が赤らんでいるように見えた。
「……なんです?」
「いやあ、別にい?」
別にい? の顔ではなかった。含み笑いをたっぷりにして、「質問してこい」と言わんばかりの顔をしている。
そして、そういう顔をされるとほっておけないのが俺の悪い癖。
もう一度聞き返すと、今度はへらっという笑いを浮かべながら答えてくれた。
「いやあ、私のことを思いだしてくれてたんだなあって」
「――ッ!」
心臓の鼓動が早くなって顔が熱くなる。胸の高ぶりを感じる。先輩の顔をまともに見られない。
だが、落ちつけ……。先輩は誰にでもこういうことを言ってくるのだ。高校時代の俺もこういうようなことを言われて勘違いしてしまい振られたじゃないか。
同じ過ちを繰り返すな凪城凛。あの頃から成長しただろう冷静になれ。
「まあ、それは……。 高校時代にそこそこご縁がありましたから、たまには思い出したりもしますよ」
「どんなことを思いだすの?」
だが、こういったことは俺には向いていない。
しっかりと墓穴を掘って自分を不利にしてしまう。
「高校の時の思い出とか? 部活のことでとか」
「特に特に?」
「いや、そのぅ……。本を貸し借りしてたときとか、話してた時とか」
「二人っきりだった時とか?」
「そ、そうっ……じゃないですッ‼ 変なこと言わないでください!」
いやもうばっちり当たってるけど。というかそれくらいしか思い出してないけど。
それでも、もう僕たちは終わった関係なのだ。いや、そもそも先輩から見たら始まってもいない。
「先輩には関係ないですよ……」
自分の言葉に無意識に棘があるのを感じ、自己嫌悪に陥る。
こういう器量の狭い男だから、先輩に振られたのだ。先輩には釣り合うことが出来なかったのだ。
「僕たちはただの先輩後輩じゃないですか」
そんな言葉を言われると思っていなかったのか、先輩の顔から笑みが薄れていく。
驚いたような顔で口をぽっかりと開けている。その顔に心を締め付けられる気持ちになる。
「そう……なのかなあ」
「え?」
だけど、先輩は思わぬことを口にし始めた。
「私はこの4年間、ずっと凪くんのことを考えてきたよ?」
お酒に酔っているのだろうか。俺たちの間にあった隙間を詰めてきて、先輩のなめらかな手が俺の足に触れている。
「せん……ぱいッ⁉」
「ねえねえ、凪くん」
そこから、ねっとりとした耳にくっつくような声で。
「――試しに、付き合ってみない?」
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