第90話 Vtuber、そして……
「凪城先生」
5月の中旬。都内にある某所にて。
俺は、突然の依頼に困惑していた。
「うちのVtuberの楽曲提供をお願いしたいんですけど」
「……Vtuber?」
その存在は知っていた。
主にユーチューブを拠点として活動している配信者のことだ。
キャラを作りたててそれに乗っ取ったふるまいをし、リスナーを盛り上げる。ゲームを実況してみたり、歌を歌ったりして多くのファンを集めている大人気の職業だ。
普通のユーチューバーとの違いは、本人が顔を出さないこと。別のアバターが用意されていて、実際にいる人間は中の人として扱われる。
大抵は美少女や美男子が話すイメージがある。
そのVtuberに。
「俺が、関わるんですか……?」
忌避感ではなく、不思議な感覚だった。
Vtuber自体は見たことがあって、俺も週に1、2回は配信を見ている。
声がすごくかわいく、話す内容も裏表が基本的にないので見ていて楽しい。
だからこそか、自分が関わるようなところではないと思っていた。
「凪城先生の曲は自分もすっごく好きなんですよ。あと、そのVの子も先生の曲が良いって」
目の前に立っているのは、Vtuberを日本で1番多く抱えている事務所の社長。
男の人で、多分相当若い。ただ、いち早くこの業界に目を付けたというカリスマ性の持ち主だが。
てか、めちゃ緊張すんなこれ⁉ 社長はとてつもないオーラがあるし、まずだだっ広い社長室で社長とタイマンというのがそもそも経験のないことだから、足が小刻みに震えている。
「それで、どうでしょうかと思って。凪城先生が作ってくださるのなら、話題性も抜群ですから」
「そ、そんなことないと思いますけど……」
「はっはっは。先生は謙遜もご上手なようですなあ」
社長はとても爽やかな顔で笑っており、どうやら気に入られたようだった。
裏表のない笑顔に、逆に疑心暗鬼になるところもあるけれど。
「それで……お引き受けしていただけますか?」
その社長が、顔を引き締めて真っすぐに聞いてくる。それは仕事の依頼ということだった。
「え、えと……。自分でよければ、こちらこそよろしくお願いします」
こっちとしても自分で仕事をもらっていかなければいけないので、とてもありがたい話だ。断る理由も特にない。
「ありがとうございます……! よろしくお願いいたします」
そして社長と手を握る。お、なんか男の友情みたいでかっこいいな。会ってまだ10分も経ってないけど。
「――じゃあ、お願いするVtuberの子を呼んでもいいでしょうか?」
「……え? 来ていらっしゃるんですか?」
え、来てるの? あれ、そういうのってオフで会っていいんだっけ? え、え?
「ああ、大丈夫ですよ。本人たっての希望ですから。写真とかはさすがにダメですけど」
「いや、あの、その」
え、むしろ会いたくないのこっちなんだけど⁉ いやだ、夢の美少女が、崩されてしまう……! やだ、幻滅とかじゃないけど、見る目が変わってしまう……!
「おーい、入っておいで~」
すると、ドアが開いて一人の女の子が入ってくる。あ、どうやら女性のVtuberらしい。
そして、かなりの美少女だった。ショートカットがよく似合う、目がくるっとしていていわゆる小動物系。背が小さいが、足がすらっと伸びていて、普通に美少女だった。
――そして、俺にとって、初対面ではなかった。
「せん……ぱい……?」
背中から汗が噴き出してくる。開いた口が塞がらない。心臓の鼓動が早い。鐘を鳴らす。
「はーい、久し振り。凪くん」
目の前にいる人間は、俺にとってはVtuberでもなんでもなかった。
ただ、高校時代の先輩で、そして――俺が告白して振られた相手だった。
「え、えっ」
「ああ、とりあえず感動の再会みたいだから、僕は失礼しようかね」
そして無慈悲に俺を置き去りにしていく社長。引き留めようと声を出そうとしたが、なぜか喉のところでつっかえてしまった。
キューッ、バタン。
もの寂しい音とともに、現状を把握する。
高校時代に片思いをしていた相手がVtuber? しかもあれからめっちゃ美人になってて? あっちから楽曲提供の依頼?
文面にしてしまえばめまいがしそうな内容に、頭が理解するまで時間がかかる。
そんな俺に、先輩は余裕そうな顔でにこりと笑った。
「どうしたの、凪くん? そんなにびっくりした?」
「そ、それはもう……」
正直に話すと、満足気に頷く先輩。
その表情は、あの時と変わっておらずとても魅力的に映った。
「せんぱい……なんでVtuberに……?」
動揺した俺が精いっぱい振り絞って出た質問はこれだった。
「驚いたでしょ」
「え、いつから……? てか、どのVtuber……?」
質問が溢れてくる。思えば、疑問は尽きなかった。
そして先輩がその一つにだけ、答えてくれた。
「誰かだけは、教えといてあげよう」
すると、先輩は喉の調子を直すと俺の耳に顔を近づけて、猫なで声で呟いた。
「『
その声は、Vtuberで一番のチャンネル登録数を記録している、大人気の配信者の声で。
俺が一番好きな配信者の声だった。
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