第89話 お似合い
春日井さんとラジオの仕事で一緒になるようになってから、俺たちは大学の中でも時間を共にすることが増えていた。
と言っても、週に一度しか大学にやってくる機会はないのだけど。
大体1年の時から取っている授業は一緒だったので、春日井さんと授業が被ることは珍しくなかった。
でもそれは、ただ授業が同じというだけで、特に話すこともなければ大森教授を間に挟んで討論に勤しむ程度のことしかしなかった。
だが、しかし。
「最近、お前たち仲がいいな」
先生の大学の居室に2人で訪れ先生の出してくれたお茶を二人で啜っていると、不意に先生からそんなことを言われた。
「いや、話す機会が増えただけで。別にそんなに仲が良くなったわけでもないと思いますが……」
「なんだ? てっきり、そこらへんでイチャイチャして見境なく抱擁を交わす存在になり果てたのかと思ったが」
「い、イチャイチャ……っ⁉」
教授の冗談に過剰反応してしまう春日井さん。顔を真っ赤にしたと思ったら、「きゅーっ」と思考停止している。そ、そんなに耐性がないのか……。
ただ、その様子が何よりも俺たちの潔癖を証明している。まあもともと教授も疑っているようには見えなかったが。
「別に君たちが付き合おうが付き合わまいがどうでもいいんだ」
「付き合ってないですけどね」
「私を独りにしないのならば、な」
「そして相変わらずの見境ない求婚行動」
俺と春日井さんが付き合ったとして、教授を独りにしない方法なんてないだろ……。最初から認めてないだろ、ってかただの嫉妬だろそれ。
「まあ凪城に彼女が出来るというのは心底気に食わないが」
「本音出てます、先生。てか、心底て」
「春日井が彼女というのなら、まあ悪くはないよな。そこら辺にいる、ちゃらんぽらんな4年に捕まるよりよっぽどいい」
「せ、せんせい……っ‼ な、なにをいってるんですか……⁉」
「教授。春日井さんが困っているのでやめてあげてください。あとちゃらんぽらんな4年なんていないでしょ」
どうやら教授はよっぽど嫉妬をしているらしい。言葉遣いが微妙に荒くなっている。
だけど、俺たち別に付き合ってもないんだって。
「就職活動を終えた4年どもが、ここぞとばかりにサークル内で婚活を始めてだな……。なまじいい大学にいるからか、いい就職先を見つけて、それをさらに婚活に利用して……」
「先生、落ち着いてください。それ、もしかして実話なんですか」
「実話も何も忘れもしない。あの忌まわしきクソ色狐が……」
「本当に落ち着いてください⁉ 大学講師が使っちゃいけない言葉を使ってますよ⁉」
「ふん。まあ、だがいい。あいつはいまだに未婚みたいだからぁ! ふっはっはっは」
「そして最低な競争してますね⁉」
ただの愚痴だった。結局未婚は未婚たるゆえんがどこかにあるのだろう。
いや、運がないだけ……か?
「とにかく、悪いことは言わない。春日井と付き合っとけ」
「そして最後にすっごく失礼なこと言いましたね! しかも話のまとまりが、大学教授とは思えないくらい皆無だ‼」
「つ、付き合う…………」
春日井さんはほんと、このアホ教授の言うことを真に受けないでください⁉ 体力が持たないですよ!
「じゃあ、失礼しますね! ほら、行きましょう、春日井さん!」
「う、うん……!」
教授がだいぶしつこくなってきたので、春日井さんの手を取って部屋を出ていく。
「ほら、やっぱり仲良しじゃないか」
最後に教授が静かな声でそう言っていたが、多分あれも負け惜しみみたいな感じなんだろう。
だから、付き合ってないんだって‼
「まったく、酷い目にあったね……」
「そ、そうですね……」
春日井さんと逃げるようにしてやってきたのは、ターミナル駅から少し歩いたところにあるミスド。
微妙な位置にあるので、利用している人は少ない。
ただ周りにいるのはカタカタとキーボードを叩いている教授らしき人とか、参考書とにらめっこをしている高校生などで、音が絶えることはなくにぎやかだった。
「大森教授も十分に綺麗な人なんだけどね。ああいう性格が災いして結婚できてないんだろうな……」
「結婚に飢えてますからね……」
いわゆる、黙っていればかわいい、というやつなのだろうか。そうなのだろう。学生の間では人気もあるし。
「まあそれはそうとして。最近はどんな感じなの?」
今はゴールデンウィーク。最近はラジオの仕事も入っていなかったので、春日井さんがどんな仕事をしているのかが分からなかった。
アイスコーヒーをストローで吸っていると、ドーナツの中にある生クリームを鼻に付けた春日井さんが答える。
「こ、このドーナツ……すっごく美味しい……!」
ドーナツの話だった。どうやら、初めて食べるドーナツの味に感動をしているようだった。
「そ、そんなに……? いや、美味しいんだけどさ」
「ドーナツってこんなに美味しかったんですね……!」
幸せそうな顔ではむはむとドーナツを咀嚼している春日井さん。
まるでヒマワリの種を食べるハムスターのようだった。
「あ、でも鼻にクリームついてるよ」
「えっ⁉ ど、どこですか⁉」
「鼻の先」
「え、えっ」
慌てふためいて取ろうとする春日井さんだったが、両手でドーナツで塞がっているので動かすことが出来ない。
もどかしいあまりに、んーっ、と目をつむる彼女だったが、何の解決にもなっていなかった。
「取る、俺がとるから。じっとしてて」
「えっ」
ポカンと口を開けて驚いている春日井さんのすきを見て、ナフキンで鼻をぬぐってあげる。
そんな驚かなくても……。
「はい、取れた」
「あ、ありがとうございます……」
りんごのように顔を真っ赤にして俯く春日井さん。
「え、なんか変なことした……?」
どうしてか、怖くなって聞いてみた。
恥ずかしいことをしていたのかもしれないという、なんか恐ろしい緊張がやってくる。
「いえ、別に……」
「教えて! なんでもいいから、言ってくれ」
そうやって一方的に何かを思われ続けたままというのは、喉につっかえるというか得体の知れない恐怖がある。
だから全力で尋ねてみると、その思いが届いたのか春日井さんが小さい声で言った。
「…………みたいだな、って」
「え? ごめん、なんて言った?」
「その……、私たち、付き合ってるみたいだな、って……‼」
・・・。え?
――あ。
「ご、ごめんっ‼ そ、そんなつもりじゃなくて、その、あの、すみません……ッ‼」
慌てふためいて思わず敬語になって訂正する俺。平謝り。場所が場所だったら土下座したいくらいだった。
「いや、別に謝ることとかじゃなくて……。むしろ……」
「マジごめんなさい。ほんと、申し訳ない」
明らかに浮かれてしまっていた。
春日井さんは慌てて慰めてくれるのが、唯一の救いだった。
「いやあ、ほんとお恥ずかしい……」
こんなに恥ずかしいのは、昔高校の時に告白して振られた以来だぜ。やめろ、黒歴史を掘り返すんじゃない。
「えっと、まあとにかく、そろそろ出ましょうか……」
「はい……。あと5つ食べたら、出ましょう……」
冷静に食欲に忠実な春日井さんだった。
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