第85話 ナガシマ④
「おいおい、さすがにこの雨はヤバいな……」
「聞いてみたんですが、今日の分のバスは全て運行停止にするみたいです」
温泉に入ったあと、ゆっくりと息をついて帰ろうかと思っていた矢先の出来事だった。
ちなみに温泉は「あ、間違えて……ッ!」みたいなこともなかったです。
さすがにああいうのは二次元だけだね。ミアさんのことは忘れよう。
「明日、一番最初の便で行くと東京に12時過ぎに戻れるみたいだけど……」
「バスもないんじゃ諦めるしかないよね~」
楽観的な発想をしているのは雫さん。楽観的、というよりも気持ちの切り替えが早いというべきか。
「一応マネージャーに連絡してみる」
美麗の方も冷静に連絡すべきところに連絡をしている。
こういった対応は、みんなの方がよく慣れているみたいだ。
「俺は明日オフだから特に問題ないけど、春下さんたちはそうもいかないですよね」
この人たちはそんなに休みがないから、さすがに2日連続で休みということはないだろう。
「私の方はマネージャーさんに連絡をしたら、午後にゆっくり帰って来いって言われました。この事情じゃどうにもならないだろうって」
「意外と寛容なんですね。『もう少し仕事の自覚を持て』とか怒られないんですか?」
「そんなことありませんよ。今日は休みで、トラブルが無ければ明日には帰ってこられる予定だったんですから、こちらに落ち度もないでしょう」
そういうものなのか、と純粋に思った。
仕事に対する熱量が欠けているような姿勢にも見えたのだけど、春下さんのいうことはとても理論的で反論するところが無かった。
第一、マネージャーさんも怒っていないところを見る限りは、そういうものなのだろう。
「まあただ、体調不良とかだとすごく怒られますけど。体調はある程度自分で管理できるので」
「そういう線引きなんですか」
栄養管理なんかは怠ると怒られるのかな。
そういうところはすごいストイックな世界だ。
「うちも大丈夫」
「こっちもアフレコの時間を遅らせてもらった~」
美麗も雫さんも確認が取れたようだ。
ちなみにここはお風呂だけの利用でも浴衣を着れるので、全員が浴衣姿。
美麗や雫さんは髪が長いので団子状にして一つにまとめている。
いつもと違う雰囲気にドキリとしてしまう。なんか修学旅行の夜みたいにふと知らない女子のお風呂上がり姿とか見ると、変な気持ちになるんだよなあ。別に変態的なやつじゃなくて。
なんか変な高揚感があるというのか、特別感があるというのか。
春下さんはボブだが、浴衣で収まりきらない部分が出ていてそれはそれでダメだけど。ダメってなんだよ。いや、やっぱダメだ。
「じゃあ、部屋を取ってくるよ」
逃げるように受付に行く。
2部屋を取ってしまって、早いところ寝た方が良い。
もともとの疲れもある。疲れていると余計なことにならない。
「すいませーん」
フロントの受付に行って、事情を説明しなんとか泊まれないかと交渉する。
人柄のよさそうな女将さんで、朗らかな口調で対応をしてくれた。
「それで、1人用の部屋と3人用の部屋ってありますか?」
「申し訳ありません~。ウチは2人からになっていまして……」
「えっと……」
どうしよう。詰んだ。
しかも女将さんの方もすごく申し訳なさそうな顔をしてくるから、なんだかこっちまで申し訳ない気持ちになってくる。
どうする? 2人部屋を1人で使うしかないよな? 多少の出費は痛いがそれしかないな。
「じゃあ、すみません。それでいいので2部屋お願いできますか?」
「はい、それでは確認させていただきますので、少々お待ちください」
はぁっ、と心の中でため息を吐く。
まさかこんなことになろうとは。さすがに大雨は予想外だったけど、もう少しちゃんと予報を気にしておけばよかった。
ただ3人はあまり気にしていない様子で、お土産コーナーを見ているからそれが唯一の救いだろう。
「お待たせしました」
ぼんやりと美麗たちを見ていると、やがて女将さんに声をかけられる。
だが。
「すみません、お客様。みなさま、今日の豪雨を受けてご宿泊されていくので、部屋が空いておらず……」
「は、はあ」
「1部屋しか空いておりません……っ!」
「え、ええええぇぇぇええ‼⁉」
つい大声を出してしまった。う、うそ……だろ……。
「というより、今ご案内のお客様がたくさんいらっしゃるので、2人部屋をおひとりに使っていただくわけにもいかない、というのが今の状態でして……」
そ、そんな……。
俺、野宿決定なのか……。
まあたしかに、ファミレスとかで朝からずっと居続けて何かをしている人間に、繁忙期の席を取られたままでは他の客が入れないみたいな。
そんな理屈は痛い程分かるのだけど。分かるのだけど……。
野宿、かぁ……。
「わ、分かりました。じゃあ1部屋でお願いします……。無理言ってすみません……」
「いえ、こちらこそ、お客様のご要望に応えられず、誠に申し訳ありませんでした」
あまりにも女将さんが良い人だというのも恨めない理由だ。
もうちょっと態度の悪い好戦的な人が受付にいたら、こっちも何か言い返してやるのにって多分俺はビビッてそんなことできないわ。
ちょっと気が重いながらも、美麗たちのところにいって事情を説明する。
「……ということがあってだな……。とりあえず3人はこの部屋に行ってくれ……」
涙ぐみながらカードキーを春下さんに渡す。
あれがあれば、俺もふかふかのベッドで寝れたはずなのに……。
「凪城さんはどうされるんですか?」
「なんとか周りのホテルを当たってみるよ」
「こんな雨の中、探しに行くんですか? あと、どのホテルもいっぱいだと思いますけど」
「うっ……それは……」
「見つからなかったら、どうするつもりなんですか?」
「そりゃ、その辺で野宿でも……」
「バカなんです?」
「だってぇ……仕方ないじゃないですかぁ……」
めちゃくちゃ責められる俺。あれ、こういうのなんて言うんだっけな。ああ、そうだ。泣きっ面に蜂だ。
いや、雨にも負けず、風にも負けず、かもしれない。
というか、どうして俺がそこまで言われないといかんのだ。
そう思って春下さんの方を見ると、彼女は呆れながらため息を吐くかのようにこう言った。
「だから……。ここに泊まるしかないでしょう?」
そうやってひらひらさせたのは、先ほど俺が渡したカードキー。
――え。
「ち、ちょっと、どどどどういうことなんです?」
「せ、説明、ほしい……」
さすがに何を言い出すのかと慌てるのは、俺ではなく美麗と雫さん。
顔を真っ赤にして春下さんに説明を求めている。
「何を動揺してるんですか2人とも」
「ど、どどど動揺なんてしてないよ⁉」
「し、してない……」
「よくそれで役者とアーティストが務まりますね……。感情が表に出すぎですし、すごく声が小さいですし……」
肩をすくめて言う春下さんがこの中で一番冷静で、彼女だけが冷静だった。
「……え、どういうことですか⁉」
遅れて意味を理解した俺に春下さんは嘆息していたが、やがて口を開く。
「こんな日に吹きっさらしで寝るなんて無理に決まってるじゃないですか」
うむ、それはそうだが……。
「あと、二人はどうして動揺してるんです? もしかして、いかがわしいことでも想像したんですか?」
「どどどどうしてそうなるのかな⁉」
「し、してない……」
春下さんの疲れ具合がヤバい。めちゃくちゃため息が深い……。
「どう考えても、凪城さんがそんなことできるわけないじゃないですか。あの勝負で決着をつけなかった、あの、優柔不断の凪城さんですよ?」
「あの、それどう考えても褒めてない……よね?」
「褒めてるわけないじゃないですか。ただその優柔不断さ、いえ、直球に言ってヘタレなことが、今回ばかりはいい方向に働くというだけです」
「160キロの剛速球でデッドボールしないでよ……」
泣きたくなった。そんなふうに思われてたんだな、ってある程度は知ってたけど。
というか、まだあのバレンタインライブのことを根に持ってたんだねこの人。
「大体、もしこの人がそこまで肉食な一面を持ってたとしても、です。私がいる限り、そんなことはさせませんからね」
「まあ、そっかぁ……」
「な、納得……」
そしてその春下さんの説得力の強さに、誰も何も言えなくなる。
なんか自分の考えの方がむしろ汚れているのではないかという気になる。
ただ、後で冷静に考えてみれば、俺にも一理あったと思う。
この夜は、超ド級の美少女3人と一夜を共にするということになったのだから。
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