第84話 ナガシマ③

 昼ご飯を食べてからは別行動になった。

 ちなみに昼ご飯は白鯨カレーというカレーライス。白飯が鯨の形をしていてかわいかったが、白鯨自体がジェットコースターであまりいいイメージが無いのが残念だった。

 あと、スチールドラゴンで少し酔った。


 グループ分けは、雫さん春下さんの怖いもの知らずグループと、俺と美麗のお淑やかグループになった。

 前者はジェットコースターやらそれに準じた刺激的なアトラクションを巡るらしく、張り切って出発していた。


「俺たちは、どうしようか?」


 そしてチームゆったりはその名の通りまだどこへ行くかすら決めていない。

 レストランの上に遊園地内の地図を広げながら会議をしていた。


「この辺の簡単なジェットコースターにする? 少し対象年齢が低いやつ」

「やだ」

「な、なぜに?」

「私は大人」


 だ、そうです。現場からは以上です。


 じゃ、なくて。


「さっきスチールドラゴンであんなにビビってたのに」

「ふ、ふん。し、知らないから」


 そう言いながらまたあの光景を思い出しているのか、二段階くらい弱くなっている。

 へっぴり腰になっているし、足ががくがく震えている。


「な。もっとスピードが出ないやつの方が楽しいから」

「ま、まあ。り、凛が言うならしょうがない。付き合ってあげる」


 どこまでも強がる美麗はなんだかほほえましかった。めっちゃ子供だなこいつ。負けず嫌いというか。

 ただそこをさらに指摘してしまうと怒らせて機嫌を損ねかねないので、黙っておいた。


「じゃあ次はこの『コークスクリュー』ってやつにしようぜ」

「うん」


 目的地を決め、席を立つ。

 なんだかこうして二人きりでいるとデートみたいだが、俺としてはどちらかというと親子連れって感じだな。もちろん美麗が子供だけど。


「ね、あそこのチュロス買って」

「お前よく食うなあ」

「お腹すいた」


 やっぱり子供だなあと思いつつ、握られている手にはどことなく緊張していた。



 *



「あの二人ってどうなんです?」

「どう、とは?」


 今度は「嵐」で待っている私たちは、遠くで2人で歩いている凪城くんと美麗さんを見ながら、鈴音さんに話を振ってみた。

 彼女は今待っているアトラクションを待ちながら、次に乗るジェットコースターを考えるという器用なことをしている。めっちゃ好きなんだなこの人。


 そんな彼女は私の言葉に、地図を眺めながら反応を見せる。


「ほら、付き合ってんのかな~、とか?」

「ああ」


 私が補足を入れると、ようやく意味が伝わったようでマップを下げて考えている。

 こんなどうでもいい雑談でもしっかり考えてくれる鈴音さんはいい人だ。ちょっと、というかかなりSに寄っている気がするけどね。


「いや、別にそんなことないと思いますよ」

「付き合ってないってこと?」

「というか水野さんも、二人が付き合っていると思っていないですよね」

「まあねぇ。でも、あれを見るとなあ」


 そう言って私が指をさした先にいる二人は、手をつなぎながら仲良く談笑している。

 遊園地に来た時よりもなんだか二人の仲が縮まっているような、そんな気がするのは気のせいだろうか。気のせいじゃないな。


「嫉妬、してるんですか?」

「そりゃそうだよ。いくら私が遊園地好きだからって、あれだけ凪城くんを独り占めされると、さすがに嫌な気持ちになる」


 私があっけらかんと言うと、鈴音さんは驚いたようで目をぱちくりさせている。


「……ん? なんかマズいこと言った?」

「いえ、そうじゃなく……」


 たしかに、彼女の目は咎めるようなものではなく、むしろ好意的なものに見える。


「そんなに、自分のことを打ち明けられる人、初めて見ました」

「そうかな~?」

「少なくとも自分では無理だと思います」


 そう言われるとなんだか恥ずかしいことをしているような気がしてきた。

 だけど、やっぱりそれが言わない理由にはならない。


「だって、こうやって言っとけば牽制にもなるじゃない?」

「牽制って……私をですか?」


 キョトンとした顔をしている鈴音さんに、思わず笑ってしまう。

 鈴音さんほどスターの人でもこういった顔をするんだなと思うと不思議と安心してしまうから、私もまだまだそのレベルにはなれていないんだなと思うけど。


「なんですか、何かおかしいこと言いましたか?」

「いやいや、まさかそんな反応されると思わなくて」

「だって、別に私は凪城さんのことを好きでもなんでもありませんし」

「でしょうなあ」

「じゃあなぜ私を牽制とかする必要があるんです?」


 本当に分からないようだった。分かっていないようだった。


 そうか~分からないのならまあ言ってあげる義理もないかな。


「ほら、もうすぐだよ!」

「ちょっと?」

「ほらほら、間空いちゃってるから」

「こらっ! 誤魔化そうたって、そうはいきませんからね! 降りたらちゃんと聞きますから!」

「はいはい」


 鈴音さんの背中を押して前に進むように催促すると、鈴音さんは後で聞くと決めて諦めたようだ。

 まあ、言う気はないんだけど。


 ――だって、癪だから。凪城くんとの相性が一番いいのは、誰がどう見ても鈴音さんだなんて本人に言うのは。

 そして、その張本人が、張本人だけが恋をしていないだなんて不公平だと思ったから。


 いつか、鈴音さんが凪城くんに恋をするときになったら、教えてあげよう。

 そう決めて心にしまった。封印が解かれるのはいつだろうね。もしかしたら来ないかもしれない。来ない方が良いかもしれない。ライバルはすでに強敵ばかりだから。


 でも、不思議と、鈴音さんが恋敵になる未来は簡単に想像できた。



 あ、ちなみにアトラクションから降りた後は、しっかり鈴音さんは話していたことを忘れていたようでアトラクションの感想について長々と喋っていた。

 やっぱり男に興味ないよね、この人。



 *



「どうだった~? そっちは楽しかったの?」

「むしろ、ジェットコースター乗りまくりのそっちは楽しかったんですか?」

「いや、もうすっごく楽しかったよ。ね、鈴音さん?」

「まだ白鯨に2回しか乗ってない……」


 めちゃくちゃ悲しんでいる春下さんだったが、もう既に時刻も6時を回ったのでジェットコースターは諦めていただきたい。

 というかどんだけ好きなのこの人。


「じゃあ、最後にみんなで観覧車に乗りましょう」


 そこで俺が観覧車に乗ることを提案する。

 何を隠そう、遊園地の中で俺が一番好きなのは観覧車だ。


「いいね~」

「いいよ」

「う~……はくげいぃぃ……」


 一人だけ子供の用に嘆いている人がいたが……、まあ多分この遊園地には幼児退行する何かがあるのだろう。

 そうすると、あれ、もしかして一番大人なのは雫さんということになるのか? いや、あの人は元から少し年齢が低いから、うん、やっぱ違うな。


「じゃあみんないいみたいだし、行きましょうか」


 渋々頷く春下さんを連れて、4人で「大観覧車オーロラ」に向かう。

 行きのバスの中から見たナガシマでも、一番目立っていたあれだ。


 観覧車のところに行き、4人で乗ろうとするとなんか奇異の目で見られた。

 たしかに、普通男子1に女子3で来ることはないもんな。大丈夫です、係員さん。みんな友達ってだけなんで。だから最低な男を見る目で俺を見るのはやめてください。


 そんな苦労を乗り越えで観覧車に乗り込む。

 俺の隣は雫さんで、正面に美麗、対角線上に春下さんという構図だ。


 ちょっと、というか結構狭くて、隣の雫さんとの距離がほぼない。

 女子の柔らかい感触を右手に受けながら、なんとか意識しないように頭から追い出す。


 前の美麗も距離が近くて、ともすれば足が触れてしまいそうだった。

 美麗のしなやかな脚が蠱惑的に映り、慌てて外を見る。

 まだ中盤に差し掛かったくらいだった。


「んー、なんか黒い雲があるな~」

「通り雨くらい振るかも、ですね」


 遠くの方には分厚い真っ黒な雲がある。

 露天風呂に入っているときに雨が降らないように祈るばかりだ。


「おい、下見てみろ。すごい車の量だ」

「まるで人がゴミのよう」

「美麗、お前は人間に対して何か恨みでもあるのか?」


 くだらないことを話しながら、ゆっくり観覧車は回っていく。

 すっかり夕暮れ時だった。黒い雲の集団の後ろには、オレンジ色に焼け焦げた西日が控えている。


「はあ、今日は楽しかったな~」


 雫さんが、静寂の中にポツリとつぶやきを落とした。

 今日の出来事を回顧するように。


「久しぶりにこんなところ来たから、羽を伸ばしすぎたかも」

「いえいえ、私もです」


 満足そうな雫さんと春下さん。

 二人とも元からこういうレジャーランドは好きなのだろうが、仕事が忙しすぎて来る機会がなかったのだろう。


「美麗さんは、どうでした?」


 雫さんが美麗に話を振る。少し心配そうに。


 だが、美麗は不貞腐れたような顔をしながらも、小声で答えた。


「……悪くはなかった」


 その様子を見て、笑みをかみ殺す。良かった、と言わないところは美麗らしかったが、どうやら美麗も満足に楽しんでいたようだった。


「でもジェットコースターは嫌い。滅べばいい」

「滅ばなくていいだろ……乗らなきゃいいんだから……」


 なにやら物騒なことを言いだしたので、それ以上は止めておいた。

 遊園地の人が聞いたら泣いちゃうぞ。


「凪城さんは、どうでした?」


 そこで意外なことに春下さんが俺に問いかけてきた。

 純粋な目で、真っすぐな目で穏やかに。


 真面目に答えなければいけないような気がしたので、真剣に考えてから答えを出す。


「俺も、やっぱ楽しかった、ですね。大学生の間に来たことはあるんですけど、その時よりも楽しかったっていうか」


 あの時は流れるままに付いていったからかもしれない。

 だがあの時の俺はどこか穿った考え方をしていて、アトラクションで盛り上がっている他の人間を見て「子供だな」と見下していた。

 だから、こんなに面白いところに来ても素直に楽しむことが出来ていなかった。


「なんででしょうね」


 なぜあの時から考え方が変わったのか。それについては、この1日を通しても答えは出なかった。

 あまり気にしてもいなかったように思う。


 そしてその答えは、俺ではない別の人間が持っていた。


「それはですね、凪城さんが仕事を始めたからだと思いますよ」

「仕事を?」


 春下さんが満足そうにそう言った。

 春下さんだけじゃない。雫さんも美麗も、どうやら同じ考えのようで、頷いている。


 答えを知らなかったのは俺だけだった。


「どういうことですか?」

「簡単な話です。前は暇つぶしで来ていたのでしょう? やることがないから、とりあえず遊びにいくか。そんなところだったのでしょう」


 たしかに、あの時は夏休みだけど予定もなかったから、予定を埋めるような感覚で遊びに出かけた。


「でも今回は違う。無理やりスケジュールを空けて、ここに来るためにその予定を作った」


 来るために予定を作った。その言葉は当たり前のことを言っているようで、意外と当たり前ではないらしい。

 予定を埋めるため、ではなかったのだ。


「時間がない中で、たまにある遊びは格別でしょう?」


 その言葉で、俺だけが答えを知らなかった理由が分かった。

 簡単に言ってしまえば、俺はずっと暇人だったが、彼女たちはずっと忙しかったというだけだった。


「でも、今回は楽しく感じた。それはどういうことかというと」


 つまり、ですね。春下さんは自慢げに語っているように見えた。


「ようこそ、凪城くん」

「ってこと」


 だが、最後に言葉を奪ったのは、ずっと機会を狙っていた二人だった。


「あ、ちょっと! 人の言葉を取らないでください」

「ふん、こっちの方が芸歴は長いんだからね~」

「素人は黙ってて」


 仲良く言い争っている3人。この3人も、この遊園地で行動を共にしたことで多少なりとも仲が深まったかもしれない。


「えっと、それで、つまりどういうことなんだ?」


 だが、話についていけていない俺は、問い直す。

 そうすると、春下さんが今度こそ胸を張って答えた。


「ようやく私たちの仲間入りですね、ということです」


 他人の言葉を借りるように、春下さんは目を臥しながら言った。


 俺と彼女たちの間にあった溝。それが、埋まったのだと、春下さんは言った。


「まだ1か月ですよ? そんな簡単に差が縮まるものですか?」


 質問をしながらも、嬉しさがこみあげてくる。なんだか認められたような気がして嬉しい、だからこそ懐疑的になっている。そんな感じだった。


「いや、何を言ってるんですか? 差は縮まってないですよ?」


 だが、彼女は何を馬鹿なことを、というように告げる。

 あれ、おかしいな。仲間入りとか言われたはずなんだけど。泣きたくなってきたんだけど。


 しかし、春下さんはうろたえる俺の顔を見て満足したのか、説明をしてくれる。


「ようやく同じ舞台に立っただけ、ですよ」


 同じ舞台。その単語を聞いて、なぜか俺はあの幕張での一場面を思い浮かべていた。

 あの場所に俺も行けたのか、俺もこいつらと同じ景色を見ることが出来るようになったのか。


「なんだか、釈然としないような」


 そう口では言いながらも、たしかな手ごたえと高揚感がある。

 それは、あの景色をもう一度見たいと思っているからだろうか。


 なんにせよ、だ。


「もっと頑張らないとな」


 まだまだ実力も時間も足りていない。

 彼女たちが歩いてきた時間は、俺よりも長い。あの地獄の世界で、ずっと生き続けてきた人たちなのだ。


「そういうことです」


 春下さんは授業が終わった後の教師みたいににこりと笑って、また視線を外に移した。


 観覧車は、頂点に達していた。

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