第76話 バレンタインライブ③
ライブの終了予定時刻は21時。それまでは20分ほど余りがあった。
だが出演メンバーはすべて出揃ったということで、もうライブも終わりだと勘違いしている人も見たところ多い。
でも実は、ここからはまだ誰も想像していないほど豪華なステージになるのだ。
「凛殿。まだ時間があるのでござるが、これはどういうことでござろう」
沢村は微妙に勘が良いのでそういうことにはすぐ気が付く。
まあただ一つだけ言わせてもらえば、ござるござるうるさい。
「し、知ってるわけないだろ」
でもさすがにネタ晴らしなんて野暮なこともできないので、綺麗に誤魔化しておいた。
なんかこの1年嘘をついてばっかりな気がするんだが。エロ本のこととか。
そんなアホなことを考えていたら、ふと冷静になれた。というか、なってしまった。
「あ!」
ミアさんが脱ぎ捨てたパーカー持ったままだ‼ こんなの誰かに見られたら、ってこれめっちゃいい匂いするんだけど‼
変態チックな趣味が出てくる前に、これをどうにかしなければならない。だけど捨てるわけにもいかないしなあ……リュックとか持ってきてないから隠す場所もない。
着るのは論外だろう。
どうする? いっそのこと開き直って忘れ物とかに届けるか? でもこの良い匂いに魔が差して盗んでいくやつがいるかもしれない!
悩んだ末、俺は電話をすることにした。
無論、ミアさんにだ。本人は気付くこともないと思うけど、運がよかったらマネージャーさんあたりが電話に出てくれるかもしれない。
「わりい沢村。ちょっとトイレ行ってくるわ」
「お、それはコ〇ンくんが〇姉ちゃんを騙しに行くときの定番文句でござるな! さては凛殿も……」
「うっせえ! オタクは黙っとけ!」
やれやれ、これだから勘のいいガキは嫌いだぜ(犯人)。
まあそんなことは置いといて、俺は携帯を片手にアリーナを出た。
「さすがに出ないかな……」
まあ出なかったらライブ後に上手く沢村を誤魔化して控室に届けに行くしかないだろう。
ただライブ後の控室に簡単に行けるとも思えないし、渡しているところを誰かに見られるのはまずい気もするけど。
そんな思いで、頼むから誰か電話に出てくれと祈りながらコールをすること3回、幸いにも電話は繋がった。
「……もしもし?」
出たのはどうやらミアさんのマネージャー。
ちょっと訝しげな声で応答をされた。
「あの、凪城ですけど……」
「ああ、ナギシロくん? ちょっと待っててね」
「いえ、あの、ちょっと!」
パーカーを返すだけなのでミアさんに変わってもらう必要は全くなかったのに、マネージャーさんは無視して電話を保留状態にした。
聞いたことのあるクラシックの愉快なテンポを聞きながら、俺の緊張感はマックスに達する。
これじゃあまるで俺がミアさんにライブの終了を待てずに電話しているみたいじゃないか⁉
「はい、もしもし?」
「あの、凪城ですけど……」
「え、リン⁉」
電話先でミアさんが大きな声を上げていた。
マネージャーさんも、俺の名前を伝えないとか無駄なところで悪戯を挟んでくるんよなあ……。
「すみません、こんな忙しいタイミングで」
「べ、別にいいよ? 今こっちもちょっとトラブルが起きててね、時間があるから」
「そ、そうなんですか……」
心なしか電話越しのミアさんの声は緊張しているように聞こえた。どうやら結構深刻なトラブルが起きてしまったらしい。
いや俺は別の理由で緊張してるんだけどね。
「その……大丈夫ですか? 機材のトラブルとか?」
「いや、ちょっとライブでピアノを弾く予定だった子が暑さでバテちゃったみたいで」
「暑さで、ですか」
この冬に暑さで倒れるということがあるのか。
それだけこのライブが熱量を持っているということなのかもしれない。みんな途中から半袖だったし。
とはいえ、現場がそんな大変な状態にある中ではパーカーのことは些事だ。
こんなタイミングで面倒ごとを増やすのも良くない。
「それでリンの用事はなんだったの?」
「いえ、そんな大したことじゃないんで。また今度にします」
「そう、じゃあまた」
「ミアしゃん、誰と話してるんですかー!」
とそこで快活な声が電話越しに聞こえてきた。
間違いなくあずさである。
「いいでしょ、別に誰でも」
「隠すってことは……凛くんかしら?」
それからやけに近いところで発せられた声。これは琴葉だろうか。
「だ、だったらなんだっていうのよ!」
図星を指されたミアさんは、酷く動揺している。
こういう時は年相応というか、女の子の反応をするからいまだにキャラがつかめない。
「貸して」
それから美麗だろう。「あっ」というミアさんの声と同時に彼女の声が遠くなった。
「美麗か?」
「あー、凛せんぱいだー!」
すると俺の声に呼応するかのようにあずさが反応した。スピーカーがオンににされたのかもしれない。
「なんかトラブってるみたいだけど、大丈夫か?」
「どうですかねー。最悪伴奏なしになるかもですかねー」
能天気な声であずさが返答してくれる。
そういった事態になっても問題のない余裕のある態度だ。まあ多分このメンバーならアカペラでもいけるか。
そんな算段を立ててそろそろ携帯を切ろうとしたときだった。
暗雲が立ち込め始めたのは。
「――そういえば、凛。凛もピアノ弾けたよね?」
「………………え?」
それは唐突な提案だった。
どれくらい唐突かというと、唐突すぎてあっちでも空気が固まっちゃうくらい。
「え、凪城くんってピアノ弾けるの?」
「私も初めて知りました」
雫さん、そして春下さんが意外だという反応をする。
「いや、まあ軽くなら弾けるけど……」
「じゃあとりあえず、凛くん
「え、今の一瞬で決定したの⁉」
「スタッフさんも代役が見つかって安心してる」
「外堀埋めるのやめてくれ⁉」
まだ了承どころか、正式な依頼すら受けてないんだが……。
というか。
「絶対無理ですって、あんな人の前で演奏とか」
1万人以上の前でピアノなんか弾けたもんじゃない。俺の実力では失敗してライブを台無しにしてしまうのがオチだ。
ましてや、こんな大事なライブの中でも一番重要な場面でポカなんかしてしまった時には、ライブ全体が失敗だったと思われるかもしれない。
だが、絶対にできない、と俺がもう一度繰り返し言おうとしたところをミアさんに遮られた。
「大丈夫よ。アタシなら一人のミスくらいカバーできるから」
「ミアさん……」
その声はいつものふざけたミアさんの声じゃなくて、真剣そのものだ。
「大体、ここにいるメンバーはそんなやわじゃない。そうでしょ?」
それから試すかのように美麗たちに言うミアさん。
ミアさんが彼女たちを認めるような言葉に、俺は場違いの嬉しさを覚えていた。あれだけ化け物だと思ったミアさんが、美麗たちのことを多少なりとも認めているのだ。
それに返事を示すのではなく、彼女たちはそれぞれ別の言葉を送ってきた。
「大体、こんな曲作ったのは凛くんでしょ? 責任取りなさいな」
「凪城くんのピアノ、聞きたいなあ~」
「せんぱい、そんなうじうじしてたらかっこ悪いですよ!」
「凛。腹くくれ」
頼もしい言葉たち。その裏には、ミスをしても絶対にまとめ上げて見せるという彼女たちの自信が現れていた。
それから、最後の春下さんが。
「じゃあ、早く来てもらいましょう」
なんて雰囲気ぶち壊しの事務的なことを言って。
それで、俺にも決心がついた。
「分かりました。今から、行きます」
緊張はしてる。もう既に手汗がドバドバと出てきて、ぶっちゃけめちゃくちゃダサい。
こんな調子でちゃんとした演奏になるのだろうかと不安になる。
だけど、それと同時に。
純粋な本能の中に、たしかな高揚があった。
(今日は18時にもう一話更新します。よろしければそちらも読んでくださると幸いです 作者)
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