第75話 バレンタインライブ②

「春下さんって、こんなにすごかったんだ……」


 春下さんのライブが終わった後、俺の口からは無意識に手放しの賞賛が出ていた。

 思わず口から漏れ出ていた。


「ふふ、そうで、ござろう……」

「なんでお前が得意げなんだよ」


 どうせ得意げになるならもう少しわがもの顔をしてほしい。泣きながら言われるとツッコむ気すら失せてしまう。

 つーかこいつ泣きすぎなんだよな。


 ステージ上では春下さんが汗を流しながら、達成感に満ちた顔でファンに手を振っていた。


「ありがとうございましたー!」


 観客は悲鳴にさえなりそうなほど惜しむ声で声援を送っている。

 実はこの光景は2度目で、先ほどはどこからともなくアンコールが起きていた。

 そしてそれに応えて今歌い終わったところである。


 春下さんの曲が終わって、俺の心にはえも言われぬ爽快感があった。それはライブにそれだけ没頭できていた証拠だ。

 曲中は我を忘れてタオルを振っていたし、沢村が同じように回していたタオルが俺の顔に何回も当たったけどそれさえ気にならなくなっていた。


「でも、これで終わらないのか」


 やり切った感触は観客の誰もが持っているように見えた。

 一緒に来ている仲間との雑談がさっきまでより明らかに増え、ライブの終わりのような様相を呈していた。


 正直、この後にライブをやるのは失敗じゃないか。そんなことを考えていた。

 この後にまだ他のアーティストの演奏をするのは蛇足じゃないかと。


 先ほどのライブの爽快感が抜けていなかったからだろう、次のアーティストが誰かを忘れていたのは。

 そして誰もが同じようにそのことを忘れていた。


 その空気を変えたのは、突然の会場の変化だった。


 バンッ‼


 ブレーカーが落ちたような音とともに会場の照明が落とされる。

 落とされる、といっても落ちたのは上から照らされるスポットライトだけではない。


 ステージの通路を映し出すようについていた紫に光る明かりも全てが消えていた。

 そのことに慌てて自分の携帯をしまう人たち。携帯の明かりがこの暗闇では目立ってしまう。

 ペンライトもみんな消していて、会場は真っ暗闇に包まれていた。


「え、なになに⁉」「どうしたの急に」「故障?」


 さまざまな憶測が飛び交って喧騒へと変わる。誰も状況を把握できていなかった。


「なんでござろう、トラブルでござろうか」

「いや……」


 ただ、俺の中ではなんとなく予感があった。これは故障なんかではなく予定されていたものだと。


 それも当然。

 だって次に出てくるアーティストのことを考えたら、普通の登場の仕方はしないだろうから。


「これは多分……」


 推測をして、そして辺りを見回す。


 照明を完全に落とすということは、場所をバレたくないということ。

 場所をバレたくないということは、つまり登場の仕方が普通とは違うということ。


「ということは、ステージからじゃなくて……」

「そう、例えばアナタの後ろからとか、ね」


 ――――は?


 後ろから聞いたことのある声が飛んできた。

 沢村の声でなければ、当然春日井さんでもない。

 その声は底に響くような声で、小さな声でも会場全体に届いてしまうような不思議な声。


 後ろを振り向くとぶかぶかのパーカーに顔を包む一人の人間が立っていた。


「み、ミアさん⁉」

「正解♪」


 ミアさんが鈴のなるような声でころっと言うと、同時に頭に被っていたフードを取る。


 するとパーカーから弾けるようにパッと金色の光が俺の目に差し込んできた。

 暗闇でもなお輝かんとするその髪に、はっと息をのむ。

 瞳がこちらをじっと見据えているのを見て、汗が背筋を伝っていった。


 その瞬間はたしかに俺たち二人だけの時間。

 彼女は俺を見ていたし、そして彼女を見ていたのもまた俺だけだった。


 喧騒の中でこの場所だけ切り取られているような、そんな不思議な感覚。時間がゆっくりと流れ、別の次元にいるように感じた。

 不思議と居心地は良く、ライブにいることも忘れてその時間を楽しんでいた。何もしていないのに、楽しかった。永遠に続く予感さえした。


 だが、そんな時間が長続きしないことも知っていた。

 空間が突然瓦解する。

 俺たち二人の空間が崩れたのは、ミアさんにスポットライトが当てられたからだ。


「あっ……」


 同時に曲が流れ始め、ミアさんはステージに消えていった。


 彼女が置き土産として捨てていったパーカーは、偶然か必然か、俺の頭に落ちてきた。





 春下さんのライブはみんなが盛り上がっていて、みんな自分が主体となって参加しているような感覚にあった。参加したなりの熱量がもたらされ、観客のボルテージは最高潮にあるように思えた。


 それに対して、ミアさんのライブは対照的。


 この会場にいる人間は多分誰一人としてミアさんについていこうとかそんな感じではない。

 ただただ、圧倒されていた。


 大迫力のステージパフォーマンス。ダンスも超一流で、それで言うなら歌の方は超超一流。

 それくらいの語彙しか出なくなるくらい圧倒的だった。

 みんな単なる《観客》で、まざまざと彼女の実力を思い知ることになっていた。


 そして、それでいて終わった後の解放感というのか、満足感は誰よりもある。

 それはミアさんが全力で歌いきっているのを見て俺たちも満足してしまうのか、それとも「いいものを見た」という感触があるからなのか。

 どっちにしてもそれは人間業とは思えない。


 あの沢村でさえも言葉が出ず、口だけがパクパクとしていた。


「これが、世界か……」


 歌は英語だったから、俺たちはその魅力を十全に感じ取れていない。歌詞の意味を理解できているわけじゃないから、そこの没入感は減るはずだ。

 それでもこれだけのパフォーマンス。


 これが、春下さんたちが今日戦う相手だというのか。

 だとするのなら、あまりにも、……あまりにも差があるのではないか。


「アリガトー! 日本大好き~!」


 その最後の言葉は俺の、そして日本にいる全員のアーティストにとって不吉な言葉だっただろう。

 彼女はそういう意味で言っていなくとも、日本にいると「彼女がこっちでの人気も奪い去ってしまう」という未来を連想してしまう。


「すごいで……ござるな」


 ようやく時間が経って満足に話せるようになったのか、沢村が話し始める。

 そこには先ほどまでのように涙はなく、だが明らかに表情はミアさんのライブを終えて変わっていた。


「え、もう終わったでござるか」

「ああ、俺も一瞬に感じた」

「そうでござるか……」


 終わった後に満足感があったとは言ったが、それ以上にあったのはもう終わってしまったのかという虚無感だ。

 名残惜しそうな顔をしている沢村の顔を見る限り、観客はみな同じようなことを考えているのではないか。


「このまま、最後の演目にいくのか……」


 控室で、あずさは、美麗は、琴葉は、雫さんは、そして春下さんは何を思っているのだろう。

 この圧倒的な実力差を前にして、それでも彼女たちは全力を出せるだろうか。


 凛はいったんステージを後にするミアの後ろ姿を見ながら、そんなことを思っていた。



 *



 その一方控室では、備え付けのテレビで見ていた鈴音たちがため息を吐いていた。


「やっぱりすごいですね……ミアさん」


 意外なことにその言葉を発したのは鈴音だった。


 鈴音がそんな発言をするとは思わなかったのか、琴葉がからかうように言う。


「なに? じゃあ今日の最後はやめとく?」


 最後、とはもちろん今回のライブの締めくくりとなる全員での歌唱だった。

 これだけのメンバーでやって一斉に歌ってしまえば、どうしたって自信や実力の無いものは悪目立ちしてしまう。

 それを慮っての発言だったのだが。


「まさか」


 逆に挑戦的に鈴音は返した。その顔は笑っていて、それでいて琴葉が一歩引いてしまうほどにはオーラが出ていた。

 それを見て、あずさが肩をすくめながら言う。


「実は、この中で一番負けず嫌いな人って鈴さんですよね」

「同意」


 それに美麗と雫が賛成する。

 彼女たちはそれなりに鈴音と過ごしてきた中で、女の勘から鈴音の性格を理解していた。


「まあでも、私も負けるつもりはないんだけどねえ」


 雫が奔放に言うと、ここにいる全員の空気がぴりつくのが分かる。

 負けず嫌いなのは鈴音だけではないらしい。


「そういって勝手にドロップアウトしないでよ?」と琴葉が言うと、

「ちびには負けん」と美麗が言い、

「ちびじゃないですぅ! まあしずさんにはこのメンバーと戦うのは荷が重いでしょうが」とあずさが挑発を入れ、

「バカ言わないでよね。あんたたちなんかに負けるわけないでしょ」と不敵に笑った。


 そして一人鈴音は集中していた。

 テレビ越しに見るスーパースターを瞳に映しながら。

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