第74話 バレンタインライブ①
ライブの開演時間になる。
3時間以上立ちっぱなしだと思うと疲労感に襲われたが、ここまで来るとそんなことも忘れていた。
照明が落とされる。
1万人いる会場が一度静寂に包まれた後、歓声が上がった。
俺ももちろんその一人で、興奮を抑えきれずに次を待つ。
やがてポップな音楽が流れ始めた。
「おお、最初は『しゃんぽにか!』でござるな!」
イントロを聞いただけで曲が分かるくらいには沢村も勉強してきたらしい。もはやそれファンじゃね。
俺もリュックからペンライトを出して、あずさのイメージカラーの黄色に設定した。
「いっくよ~!」
そのあずさの掛け声でスポットライトがステージを照らすと、そこには5人組のアイドルグループが各々違うポーズをとって立っていた。
一人一人が既に笑顔を作って楽しそうに動き出す。端の二人から順に中央に動きが伝播していき、最後にあずさが決めポーズ。
「「「「「ふーっ‼」」」」
一瞬で会場のボルテージがマックスに変わる。
先ほどまでだらだらと待っていた観客たちが嘘のように、一体となって曲にレスポンスをする光景は圧巻だった。
そのまま奥のステージで一曲を歌い終えると、俺も沢村も、そして全員が高揚感で満ちていた。
「わたしたち、5人組アイドルグループ、『しゃんぽにか!』です!」
そこから『しゃんぽにか!』のリーダーがMCをしながら次の曲へと準備を進めていく。
ちなみに意外にも『しゃんぽにか!』でリーダーを務めるのは、一番人気でセンターのあずさではない。
以前理由を尋ねたことがあったが、「リーダーに向いてないんですっ!」と胸を張られて言われてしまったことがある。いやそこ自慢するとこじゃないんですが。
そんな昔のやり取りのことを思い出すと、同時にあずさがストーカー被害に遭ったことも思い出した。
あれから半年、こうして彼女がステージに立って楽しく嬉しく踊っているというのは、あの事件のことを考えたら奇跡かもしれない。
「あずさ、途中でマイクの先についてるふわふわしたやつ、落としたでしょ!」
「え、なんでバレてるの⁉」
「あたしが拾ったからに決まってるでしょ!」
「えー、返してくださいよぉ」
「お礼を言わんかいお礼を!」
そのあずさはステージの上でいじられていた。
心の底から笑っているように見え、会場全体すらも笑いに満ちていた。
「いやあ、いい曲だったでござるなあ……」
「お前が泣くんかい!」
そこは流れ的に俺が泣くところではなかったか。というかどんだけ余韻に浸ってんだよ。
ちなみにあの曲は俺があずさのソロ曲として書いたものを、逆輸入的に『しゃんぽにか!』で歌ったものだ。だから意図的でないにしろ褒められると少し恥ずかしい。
そういえば、前に美麗と出たラジオで俺が作曲者名義を風城冷から凪城凛に変えたことを宣言したが、そのことについてはあまり広まっておらず、情報通である沢村でさえも知らなかった。
さすがに一介の作曲者の名前が変わったことくらい、世間的にはどうでもいいようだ。
このままだと凪城凛で作曲した時に、風城冷と結び付ける人は少なくなりそうである。
そんなことはともかく。
「じゃあ2曲目、行っちゃいましょう!」
元気な掛け声に従って2曲目。
今度は曲の演奏が始まると、奥のステージから各メンバーがバラバラに観客の前に移動する。
自然、俺たち観客とあずさたちとの距離も縮まって、ボルテージが上がっていくのがこっち側でも体感できた。
「あずさ殿ー‼」
そして偶然か、真ん中のステージ近くにいた俺たちの前に来たのはあずさ。
彼女との距離は間近も間近。手を2、3本伸ばしたら届きそうだ。そんなに手を持ってないけど。
近くで見るあずさはいつものようなポンコツっぷりを完全に隠し、あふれ出るオーラと爽やかさ、そしてかわいい声でこちらを魅了していく。
彼女のステージは1、2回来たことがあるがここまで近くで見るのは初めてだった。
だから、改めて、というより前以上に彼女のその才能に気付かされる。
「うおー‼ あずさー‼」
俺の声が届くとは思わないが、それでも応援しよう。
ちょっと隣にいる沢村に対し恥ずかしいな……と思っていたが隣の奴はいつの間にか片手にペンライト、片手に専用のうちわを持っていて俺よりも熱狂的だった。
このままこの男はアイドルの沼にはまって、さらに支出を増やしていくのだろう。有り体に言えば貢ぐ。
まあそんなことを言っている俺もすでにこの熱に絆されているからか、同じような気分になっていたが。
そこで彼女の視線が刹那、俺と交わった。
ファン心理というものは恐ろしいもので、俺の後ろを見ていたのかもしれないが勝手に俺と目が合ったことにしている。
とそこで、あずさが俺の方に手を振った。
うん、さすがにこれは俺に向けて振ってくれたと思ってもいいかな?
「あずさぁぁぁ―――ッ‼」
「あずさ殿ぉおおおお‼」
と、同じことを思っていた奴が俺の隣にもいた。
あ、やっぱり勘違いですかね俺たち。
あずさはにこっと笑ってまた別の方向に行ってしまう。
いつも見ていたはずなのになんだか名残惜しくなって、俺はもう一回叫んでいた。
ウソです。10回は叫んだ。
「あれ絶対に拙者に対してでござるよ!」
「は⁉ 俺だし」
『しゃんぽにか!』のステージが終わった後、俺と沢村は仲良く喧嘩。
さながらホームランボールの所有権を争うかのように、ライブでの思い出を取り合っている。
「ふぅ……。やばいな、ライブ」
「……そうでござるな」
40分くらいで5曲くらい演奏していたが、物足りなさを感じるほどだった。
それほど『しゃんぽにか!』のステージは魅力的で、俺ものめりこんでしまっていた。
「次は誰なんだろうな」
「いやぁ、楽しみでござるねえ」
アーティストの発表はされていても、セトリのようなものは今回知らされていない。
さすがにミアさんのような、今回のメンツでもひときわ目立つような人は最後に持ってくるとしても、今回のメンバーだったら誰が来ても文句ないし、それどころかめちゃくちゃ楽しみだ。
それから琴葉、雫さん、美麗の順でライブが続いていった。
琴葉は女優ということもあり曲の世界観に溶け込むような歌い方。
雫さんはその持ち前の声と声量を生かして可愛く歌いきる。
美麗はこの1万人の前でギターの弾き語りをしたが、これもまた大成功だった。
琴葉や美麗のライブは何度か行っているので分かっていたが、やっぱりすごいということを再確認させられ、雫さんはライブ自体見るのが初めてだったが、喉からCD音源が出てるんじゃないかって思うくらいに歌が上手かった。
それでいて3人とも会場の盛り上げ方を知っているから、飽きることはもちろんなくむしろどんどんのめり込んでしまう。
今日は来るアーティストのジャンルが絞られていないから誰かを目当てでやってくるという人が多いとは思うが、多分そういった人をこのライブをきっかけにファンにしていくのだと思う。
もう既にこのライブは全体的に見ても成功なんじゃないかというほどの完成度だった。
メンバーが凄すぎて、どんどん楽しくなってしまう。
そして次は。
「春下さん、か」
実はというと一番楽しみにしていた人だった。
彼女が人気が全盛期だったころから少しではあるものの曲を聴いたことがあった、そんな自分の中では遠い存在にある春下さんのライブが近くで見れる。
どんなライブになるのか想像できなかったし、それはたぶん誰にも想像できていないんじゃないだろうか。
復帰から約1年、春下さんにとっては久しぶりのライブだ。
「こんにちはー!」
元アイドルの春下さんは今や正統派アーティスト。踊ることよりも歌うことをメインに据えている。
それでもその愛嬌の良さはアイドル時代に培ったものだろうし、なによりいつも見ている姿と違うから新鮮だ。
「お久しぶりです、春下鈴音です!」
そこでここ一番の盛り上がり。どうやら春下さんを目当てに来ているファンが多かったのかもしれない。
俺の隣では沢村が泣いていた。
「うう……まさかまた会える時がござろうとは……ッ!」
超号泣してるじゃねえか。まじでいい顔が台無しだぞ。
というかお前高校生の時からファンだったのね。それは知らんかったわ。
「えーと、あれですね、長らくお待たせしてすみません」
ぺこり、と腰を折って謝罪する春下さんに「そんなことないよー!」「待ってたよー!」といった優しい言葉がかけられる。
それを聞いて春下さんは少し恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに答える。
「へへ……えっと、ありがとうございます。こうして待ってくださるみなさんがいたから、私はここへ戻ってくることが出来ました」
彼女の真剣なまなざしに意識が吸い込まれていく。
ここから奥のステージまで距離があるというのに、彼女に意識が集中していく。
「あとはもう一人、実は復帰する
といって彼女が俺の方を向いたような気がした。錯覚かもしれない。
ただそう思わされるだけの重みがそこにあった。
「とにかく、もう一度ステージに立つことが出来るなんて思いもしませんでした」
しんとした静けさの中、彼女が紡ぎだす言葉は心地よく、そして痛切に観客の心に溶けるように入ってくる。
まるで説法のように誰も彼もが彼女の言葉を聞いて、その言葉を額面通り、彼女の言った通りに捉えて受け入れていく。
「だからこそ、この場所に立てる喜びを。誰よりも感じています」
そこで予定されていたかのように声援が飛ぶ。
観客の声全体がこの会場を包んでいて、その真ん中に春下さんはいた。
まるで演説家だ。政治家だ。
それこそファシズムを先導した指導者のような、もはや危険性を孕むほど、ここにいる聴衆は彼女に心酔している。
ただそれは、危険なんかではなくて。みんな善意だけを持って、彼女にそれを届けようとしていた。
そのことにほろりと涙を見せた後、彼女は笑って言う。
「あはは、ちょっと長く話過ぎましたね。そろそろ曲の方へ行きましょう」
そして曲をコール。
「じゃあ歌います。『悲しみのランデヴー』」
それから圧巻のパフォーマンスが始まった。
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