第73話 迷子になっちゃいました……私が
「ぎゅ、ぎゅえー……」
死にそうなアヒルの声みたいなのを出しながら、俺はオタク仲間の沢村を連れてバレンタインライブの会場、幕張メッセアリーナにやってきていた。
時刻は昼の4時。開始時刻は5時なのでまだ1時間以上あるのだ、が。
「なんでこんなに人がいるんだよ……」
「いや、それは分かっていたことでござろう」
ちなみに沢村は意外と平気なようだった。
さすが元イケメン。いや、イケメンは関係ないか。
「ライブ始まる前にダウンするかも……」
「しっかりしてほしいでござる。さすがに拙者もこのライブをソロで満喫できるほど余裕はないでござる」
たしかに、と周りを見渡してみる。
服を統一している女子高生くらいがグループを成していたり、大学生ぐらいの男グループが今日出演するバンドのタオルをまわしながらテンションを上げていたり。
つまり、俺たちは周りに比べて少しばかりテンションが足りていなかった。これは人混みの熱気に当てられているからというより元の素質が違うのだろう。
意外だったのは男女比がそこまではっきりしていないことだろうか。
バレンタインライブということで男性ファンが多いのかと思ったが、女性もたくさん来ている。
たしかに、美麗とか琴葉って女性ファンが多かったな。
「あれ?」
これだけの人数を動員しているアリーナの人垣に圧倒されながら周りを見ていると、そこで偶然にも知っている人間を見つけた。
「春日井……さん?」
「……えっ⁉」
たくさんの人に飲み込まれて流されている春日井さんを見つけ、思わず手を伸ばして助け出す。
どんぶらこ、どんぶらこ、って感じで面白いように流されてたな。
「な、凪城くん、ですか? ど、どうしてここに⁉」
「それはこっちのセリフだよ。まさか春日井さんがいるとは……」
意外も意外。なぜなら、春日井さんがこういう熱気あふれるイベントに参加するような印象が全くなかったからだ。
どちらかというと博物館とか美術館にいそう。
「というか、どうしたの? こんなところで」
女子と話しているところを沢村に見られるのは気まずいなあと思っていたら、いつの間にかあいつは消えていた。
気が利きすぎて逆にいやらしいぐらいだ。
「あ、えと……実は妹と来てて」
「へえ、妹がいたのか」
これまた意外……というわけでもないかな。春日井さんに兄妹がいるとするなら、それは多分兄か妹だな。異論は認めない。
「で、その妹さんは……?」
「……迷子になっちゃいました。……私が」
「春日井さんが、かい‼」
普通は年上が年下の方を導くのでは?
姉の方が迷子って……。
「いや、違うんです! 迷子になりたくてなったわけじゃなくて」
「そんな人いませんよ……」
「あ、違うっ! そうじゃなくて、ただ地図が読めなかっただけで…………」
そういってその場にへたり込んでしまう春日井さん。
どうやら地図が読めないタイプらしい。方向音痴じゃなかっただけましだろうか。
今にも泣きだしそうな春日井さんを見るとさすがに不憫に思ったので、手を差し出す。
「じゃあ今から一緒に行きましょう、その待ち合わせ場所に」
言うと、春日井さんは最初は不思議そうな顔をしていたが、それから間もなくパッと顔に花が咲いた。
「はい! お願いします!」
多分一人でずっと不安だったのだろう。
――分かる。俺もよく迷子になるし。
丁度良く戻ってきていた沢村に荷物と場所の確保を託して、俺たちは春日井さんに妹のところへ向かった。
*
ライブ開演30分前。控室には物々しい空気が漂っていた。
数ある控室のうちのひとつ。主に出演者がくつろぐ場所になっていたところだった。
(なにこの空気っ! やばいやばい、てかなんであのミアさんまで同じ控室なの⁉)
あずさと同じアイドルグループ『しゃんぽにか!』に所属している
だがそれも無理はない話。
はるかは同じアイドルグループのあずさ相手にも委縮をするような弱気な女の子。
というか、『しゃんぽにか!』がここまで来れるようになったのはあずさのおかげだとひいき目なしに思っている。
あずさが不動のセンターであることはメンバー全員が承知していることで、それでいて誰も文句を言うことはなかった。むしろ歓迎するほど。
それはあずさの人柄がなす業だと思う。事実はるかもあずさのことは大好きだし、尊敬もしているという感じで負の感情は一切なかった。
だけど、しいて言うなら負い目は感じている。あずさ一人にこのグループの全てを背負い込ませてしまっているという自覚がある。
実際に半年ほど前に彼女がストーカー被害に遭った時は活動を続けることが困難になった。
まあ、つまり端的に言ってしまえば自分とあずさとでは格が違うことが分かっている。
彼女はもっと上の存在で、それこそ、ここにいる白川琴葉や春下鈴音とタメを張るような存在だということを知っているし、誇りに思っているのだ。
「ねえ、あずさ……」
「ん、なんですかっ?」
彼女の声が室内に響くと、それだけでこの部屋の中に活気が取り戻されたように感じる。
天性の明るさだ。
そんな彼女にはるかはさらにボリュームを落として尋ねる。
「なんでこんな雰囲気なの⁉ ライブ前の雰囲気じゃないと思うんだけど……」
緊張とも違う、言ってしまえば剣呑な空気。
というかそもそも、ここにいるようなメンバーの中で緊張するくらいの小心者は自分だけだろうとはるかは考えている。
はるかの質問に対し、あずさは困ったように笑いながら答える。
「たぶんみんな余裕がないんじゃないですかね……?」
「余裕?」
だから、あずさがこう言うことに対して、はるかは違和感を覚える。
余裕がないとは一体何なのか。
「まあ事実わたしも余裕ないんですけど……」
たしかにあずさの目を見ると少し夜更かししたような、いつもよりちょっぴりしぼんでいるような。
ただ彼女は不思議とステージに立つと誰よりも生き生きとするのだが。
だが、言われてはるかが他の出演者を見ると、たしかに疲れているようにも見える。
「なんで余裕ないの?」
「うーん、まあそれはですねぇ……」
そこであずさもボリュームを落とす。
「最後、私とかが歌うの、知ってますよね?」
「ああ、うん」
たしか、最後は各メンバーの代表が一緒になってコラボするスケジュールだったはずだ。
はるかもあずさが出ることに嫉妬することは全くなく、純粋に楽しみにしていたりする。メンバーがメンバーなだけに。
「それで歌う曲が昨日分かったんですけど」
「昨日⁉」
なんでそんな大事なステージに立つ曲が決まっていなかったのだと運営を責めたくなるはるか。
だがそれを見越したようにあずさは急いで付け足す。
「いや違う違う。正確には、昨日できた、って言った方がいいのかな?」
「はぁ⁉」
卒倒しそうになった。そんな昨日できたばかりの曲を歌うなんてことがあるのだろうか。
やはりスケジュール調整を失敗した運営を恨みたくなる。
「で、その曲がどうかしたの?」
何かその曲にまつわる話があるのかと思い聞いてみる。ただ昨日曲が出来たというだけなら、あずさなら一日で完全に理解してしまうと思ったからだ。そこまで疲れるようには思えない。
あずさのそういった能力はずば抜けているのだ。
「いやあ、それが、ですね」
やれやれですとでも言いたげなほど、困った顔で話すあずさ。
「とんでもない曲を作ってくれたんですよねえ……せんぱいが」
「せんぱい?」
ぼやかして答えるあずさに少しばかり納得のいかないはるかであったが、そろそろ開演時間だった。
「『しゃんぽにか!』のみなさん、スタンバイお願いしまーす!」
スタッフの明朗な声が飛んでくる。
そこではるかも、そしてあずさも。それから先ほどまではるかと同じように委縮していた『しゃんぽにか!』の他の3人のメンバーも、気持ちと頭を切り替える。
このそうそうたるメンバーのなかで先陣を任されたのは自分たちだ。
中途半端な気合では済まないと改めて自分に活を入れて、はるかたちはステージへと躍り出た。
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