第71話 戦闘モード

 ひりついた空気。

 やけにとげとげしく二人の視線はぶつかっていて、何かの拍子に瓦解してしまいそうな危うさを感じた。


「えっと、春下さん? 何故ここにおいでに……」


 春下さんは緊張しているように見えた。

 怒っているのかも分からない。そこにある感情が分からなかった。


 春下さんは問いをしている俺の前に、それが答えだと言わんばかりに携帯電話を取り出した。


「実はミアさんのマネージャーさんとは面識がありまして。まあミアさんがデビューする前に知り合ったのですが」


 それを聞いたミアさんはギリッっと自分の携帯に目を向ける。

 そしてその中に浮かんでいたメッセージに思わず目をひん剥いていた。


「『そろそろスズが迎えに行ったかしら?』だってっ⁉ あの女、今日こそはしばく……」

「ミアさん。たぶん出ちゃいけない雰囲気が出てますけど…………」


 殺気というやつだ。本気でマネージャーを殺害しようとしている目だった。


 あれは見ちゃいけないタイプの人間だったので春下さんの方に視線を戻すと、彼女は説明を続けた。


「それで昨日急に連絡が来まして」

「な、なんて?」

「『ミアがナギシロの家に泊まってるのだけど、朝までに帰ってこなかったらもう一回連絡入れるからちょっと彼の家まで見にいってくれない?』との」

「なんで、自分で、来ないんだッ‼」


 おかげでミアさんが俺の家に泊まって一夜を共に過ごしたことが、春下さんとあずさにバレてしまったじゃないか。

 いや、こうあったことを淡々と思い出してみると、割とギルティではあるかも、だが……。


「じゃあ、あずさも知ってたのか?」


 部屋に遅れて入ってきたあずさに尋ねてみると、彼女は何故か不満そうに答えた。


「もちろんですっ。今日鈴さんから連絡があって、手伝ってほしいと頼まれたんです!」

「無駄に用意周到だな……」


 春下さん単騎で突っ込んでこないところが、彼女の性格を如実に表していた。

 狙った獲物は逃さない。あれ、俺って獲物だったの?


「そ、それで、せんぱい」

「な、なんでしょう」

「凛せんぱいが、その、み、ミアしゃんと一緒に居るってどういうことなんですか‼」


 あずさが珍しく噛み噛みで質問を投げ返している。こちらはあからさまに緊張していることがまるわかりだった。


 意識はしないようにしているものの、明らかにあずさの視線がしきりにミアさんを気にしている。

 春下さんの方に意識をやると、彼女は彼女なりに対等にミアさんと話そうとしているようだったが背筋や肩のいたるところが委縮しているように見えた。

 それに相対するミアさんの方はといえば、敵意はむき出しなものの緊張しているようにはさっぱり見えなかった。


 春下さんとあずさは、日本ではスーパースター。ちょっと誇張して言ってしまえば、日本では知らない人がいないくらいには人気だ。

 それでも所詮それは島国の中だけ。海の外では彼女たちを知らない人の方が多いはずだ。


 だが、逆に言えばここにいる存在は海の外から来たミアさんのことを誰もが知っている。

 それほどまでに彼女の人気というのは群を抜いていて、春下さんやあずさのような普通のスーパースターとはかなり隔絶した存在。


 それが今の彼女たちの態度の差で、春下さんとあずさが緊張を隠せないというのも無理はないというものだろう。


「で、そろそろいいかしら」


 敵意むき出しで、今にも「シャーッ」と威嚇してきそうなほどのミアさんは、いらいらしていることを隠しもせずに切り込んできた。


「アンタたちは一体誰なのよ? なんでリンの家に来てるの?」

「そ、それはこっちのセリフなんですが……」

「リンは黙ってて」


 はいすんません。まじで黙ってます。

 死ぬかと思いました。


「私たちは凪城さんの……ビジネスパートナーです。彼に曲を書いてもらって、それを歌っています」

「わ、わたしもそうですよっ! 凛せんぱいとはもう3年以上の付き合いなんですからっ!」


 春下さん、それに便乗するようにあずさが説明をする。

 あずさは本当に小物にしか見えないけど、一応言いたいことだけは言うつもりらしい。


「リンの、ビジネスパートナー……?」


 怪訝な顔をしながら、でもミアさんの目は敵意から疑問に変わっていく。


「え、名前は?」


 それは相手を量るようなものではなくて、単純な疑問だった。

 少なくともそういう風に俺は見えた。


 それに対して、彼女たちは緊張しながらも言葉を返す。


「私は春下鈴音です」春下さんははきはきと。

「わ、わたしは生田あずさです……」あずさはもじもじと。


 それを聞いたミアさんは、そこから何かを思い出すように沈思する。


 いや、沈思というほど静かなものではなく、「うーん」とか「えー、あー」となにやら唸っていた。

 あと少しで思い出せそうなのに、のどまで出かかっているのに、あと少しが出てこないというそんな感じ。

 こめかみに両の人差し指を当てて、ベッドに寝転がってぐるぐる考えている。


 その光景に、俺も春下さんもあずさも困惑してしまう。

 一体どういう状況なのか、頭の悪い俺には全く理解が追いついていなかった。


 それから、彼女はエウレカ! といいそうなほどに輝かしい閃きを得たのか、ベッドから飛び起きてこう言った。


「ああ! ――スズネとアズサね!」

「「「――――へ?」」」


 あの、とは、どの、だろう。

 お互いに顔を見合わせるが、思い当たる節はもちろんないしなんなら彼女たちの方が戸惑っているようだった。


 ミアさんは先ほどまで出ていた負のオーラを見事にしまい込んで、代わりにキラキラとして上機嫌な様子が見て取れた。

 勝手に春下さんとあずさの手を取って握手をしている。


「うんうん、聞いてる聞いてる! アナタたちの曲は聞いてるわ! まあ、リンが作ったやつだけだけど」

「えっと……」「本当ですかっ⁉」


 春下さんはその手のひら返しにやっぱり困惑しているようで、逆に素直なあずさは彼女の言葉をそのまま受け止めて喜んでいた。

 あずさは心なしか頬が上気しているような気さえ……。


「いやー、やっぱリンの曲は最高なのよね!」

「ですです!」


 あずさはすっかり波長が合ってしまったのか、お互いに共感して盛り上がっている。

 それを聞いている俺の方はといえば、むず痒い感じだが。


「スズネもまだ2曲だけど歌ってるわよね! デビュー曲なんか、最高だったわ」

「で、デビュー曲……」


 春下さんは一度芸能界を引退しているだけなので、デビュー曲はといえば別にあるのだが……。たぶんそういった些細なことは知らないのだろう。

 春下さんは彼女の言葉に苦笑いをしていた。


「いや、まさかあのミアしゃんと話が合うとは!」


 あずさが嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。そしてどうやらミアしゃんで固定らしい。

 水を得た魚のように楽しそうだ。


 俺としても知り合いと、なりたての知り合いが険悪な雰囲気なのは望むところではない。

 こういう流れになるのは良かったと思う。


 なんだかんだ俺と一緒に一夜共にしたことも不問になりそうだ。良かったよかった。


 と、そう思っていた矢先、ミアさんが爆弾を投下した。


「――まあでも、私の方がうまく歌いあげられるけどね」


 ミシッと空気が重くなったのが分かった。


 笑っていたあずさの体は止まり、春下さんは逆にははははと乾いた笑いを浮かべていた。


「えっと……ミアさん? それはどうなんでしょうかね」

「ミアしゃん。何か勘違いしてませんか?」


 だが、喧嘩腰になる二人もミアさんには計算通りだったのだろう。というかこうなることを予定してわざと挑戦的なことを言って、事実そうなった、という方が適切か。

 ミアさんの方も笑みを浮かべて言う。


「いやいや、何も勘違いじゃないわよ。アナタたちの曲はもちろん好きだけど……私ならあんなもんじゃないわ」


 それはそこだけ聞けばとても傲慢で、それでいて他人を見下している行為に見えるのだが、それを言った人間がミア・ブルックスというだけで様相が変わってくる。

 自信に裏付けられた言葉。実績に裏付けられた態度。


 だからミアさんは確信をもってそう言う。


 しかし、それは春下さんたちの闘争心を煽るものになっていた。


「いいでしょう。じゃあ勝負をしましょう」

「勝負?」


 思ったよりも負けず嫌いの春下さんが提案をする。

 その提案まで予期していたのかどうかは分からないが、ミアさんは口の端を吊り上げて話を聞く。


「今から2週間後。2月14日。その日に私や生田さん、それに今までに凪城さんから曲をもらったことのある人間が、バレンタインライブというライブに参加します」


 それを聞いてあずさはあっ、という顔をする。春下さんの言うことが分かったのかもしれない。


 黙って話を聞くミアさんに春下さんは続ける。


「そこにあなたも参加してください。そこで決着をつけましょう」

「へえ、面白いね」


 ミアさんは完全に戦闘モード。銭湯モードではなく。

 こちらが本来のミアさんだろうか。風格がアーティストのそれになっていて、びりびりと同じ場にいるだけで大変だ。膝が笑っている。


「で、勝負はどうやるのさ? もちろんリンの曲を歌うんだろ?」

「ああ、それですが」


 とそこで春下さんが俺を見る。

 え、俺?


「凪城さんに前日までに曲を作ってもらいましょう。それでユーチューブに上げてもらう。それを当日6人で歌うのはどうでしょうか」


 その言葉にあずさも、そしてミアさんも満足したように頷く。


「え、それめっちゃ面白そうっ! あ、それでも負けませんけど!」

「いいね。ワタシもリンの曲が歌えるならいいさ」


 盛り上がっている二人。


 いやでも待ってほしい。


「いや、あの春下さん?」

「できますよね?」

「えっと、2月14日ってもう10日ほどしか」

「お願いしますね」


 そういうと彼女は部屋を出ていき、それにならうようにミアさんもあずさも出て行ってしまう。


 今まで騒がしかったのがどこへやら、この部屋には俺一人だけ。


「えっと……」


 10日で曲を作る? え、やばくない? はい?


 まあとりあえず。


「エナドリ買ってくるか……」


 これから地獄の10日間が始まる。

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