第70話 このゴミ捨ては罠だ‼

 あさ目が覚めると目の前にミアさんが……という状況は起こるはずもなく(俺がソファで寝たため)、ミアさんは起きるのが滅茶苦茶遅かったので俺がわざわざ起こしに行く羽目になった。

 多少服が崩れていたので目のやり場に困ったが、そこは鋼の精神で乗り切る。

 段々慣れてきたのかそれとも朝ということでテンションが低かっただけなのか、そこまで大変でもなかったのは褒めてほしい。

 成長してる。間違いなく金髪美女への耐性が強くなってる。


 と、いうわけで今日はミアさんとの朝食だった。

 朝食を人と食べることなんて大学生になってからはほとんどなかったので、少し新鮮な気分である。

 ミアさんはまだ脳が覚醒しきっていないのか、うつろな瞳でトーストにかじりついている。


「あの、ミアさん……。仕事の方はいいんですか?」

「んー?」

「もう朝の8時ですけど……マネージャーさんから連絡とか」

「んー」


 こりゃダメだ。完全に寝ぼけている。

 まだ寝ぐせも付いていてところどころ跳ねてるし。


 というかマネージャーさんも放任主義にもほどがないだろうか?

 こんな美少女を男の家に泊めるだけでも普通は許可が下りないだろうところを、朝まで音沙汰なしとか。


「アメリカの人はマイペースなんだろう、きっとそうだ」

「んー」


 完全に寝ぼけているミアさんを放っておいて自分も朝食にありつく。

 今日は今日で、俺にも予定があるからだ。


 実は今日は春下さんとの次の曲の打ち合わせがあるのだった。


 別に春下さんだけが特別というわけではなく、美麗や琴葉、それにあずさとも打ち合わせをする予定がある。

 さすがにそろそろ作曲に本腰を入れてやっていかなければならないからな。


 まあまだ予定までは時間があって特に急ぐことでもないけど……と思っていた矢先だった。


 ピンポーンと残酷な音が鳴ったのは。


「え……?」


 こんな朝早くに誰かが来る予定なんてなかったはずだ。

 時間的にもまだ宅急便が来る時間でもない。


 ピンポーンピンポーンと催促のチャイムが鳴る。


「リン、鳴ってるわよ」


 そして目の前には全く危機感のない、それでいて事態を危機に導いている人間が一人。


「鳴ってるわよ、じゃなくて‼ どっか隠れてッ‼」


 いまだ状況を把握できていないミアさんを無理やり自分の部屋に連れ込んで……って言い方がアウトだッ!

 とりあえず部屋に隠して、急いで玄関へ向かう。

 訪問者はせっかちなのか鳴らす回数が異常に増えている。


「はーい! はーい! 今行きます!」


 とりあえずうっかりでも家に上げないよう肝に銘じながら、最低限度だけドアを開ける。

 できるだけ家の中が見えないようにだよもちろん。


 はたして、ドアをゆっくりと広げていくと、下からぴょこっと見知った顔が現れた。


「せんぱいっ! おはようございます!」

「お前かよ……」

「え、失礼じゃないですかっ⁉ 明らかに不機嫌な顔してるし!」


 そこにはぷくっと頬を膨らませたあずさがいた。

 朝から元気全開100パーセントだった。


「なんだよ、こんな朝から」

「こんな、ってもう8時半ですよ! せんぱい、起きるのおそいんじゃないです?」

「俺だって1時間前には起きとったわい」


 とりあえず相手の出方を窺いながら、あらゆる状況に備えて家に上げない言い訳を考えていた。

 朝ごはんを一緒に食べましょう、だったら、もう食べた。

 遊びに来ちゃいました、だったら、帰れ。


 こんな感じだろう。うん完璧間違ってない。


 だがそこで、俺はある事実に気が付いてしまった。


 ――玄関にミアさんのヒールが置きっぱなしだ‼


 さすがにこれは言い訳が付かない。

 琴葉の忘れ物とか言ったら、それはそれであの女がいつの間に来たんだと尋問されるに違いないし、さすがに俺が趣味で履いてるなんて言った時にはビジネスパートナーではなくなるだろう。


 幸い、場所はまだあずさからぎりぎり死角の位置。

 これ以上変にドアを開けたりしなければ大丈夫。


 よし完璧だ。


「……なんかせんぱい、汗かいてますよ?」

「あ、ああ? まあ暑いからな、猛暑日だし」

「2月ですけど」

「あはは、俺にとっては年中猛暑日。常夏、ってか! あはは」

「…………」


 ジト目を向けられた。いや、まあそりゃそうだ。もうちょいいい嘘を吐け俺。


「で、で、な、なんだ用件は?」


 来た理由を尋ねると、あずさは曇りがかっていた顔をパッと晴れにして答えた。


「いや、ゴミ出ししようと思ってたんで、ついでに先輩もどうかな~と!」


 右手には可燃ごみ。こんもりと中に詰まっていた。


「ああ、そうか、分かった」


 どうやら家に上げろと言うわけでもないらしい。

 ひとまず安心して、了解の意をあずさに示す。


 マンションのゴミ置き場はマンションの外だ。間違っても家の中ではない。


「ああ、俺も丁度ゴミがいっぱいになってたから丁度良かった。ちょっと待っててくれ」

「了解です!」


 あずさが敬礼をするのを見送って、家のドアのカギを閉めてからゴミ袋を取りに行く。

 万が一にもあずさがドアを開けてこないように対策だ。


 ただ何となく不安なので無駄な動きをせずにすぐにゴミ袋を取りに行く。


 一応自分の部屋にいるミアさんを確認だけしたが、またベッドの上ですやすやと寝ていたから大丈夫だろう。また起こせばいいだけだ。


「や、待たせたな」

「ぜんぜん大丈夫ですっ!」


 靴のかかとを合わせながら外に出る。

 あずさは律儀にドアのすぐそばで待っていた。


「じゃあ、行こうか」

「はい!」


 そこであずさに同伴していた俺は、すっかり油断して家のドアをかけることをしなかった。すぐに戻ってくるから大丈夫だと思ってしまったのだった。

 携帯を確認していたあずさがメッセージを打ち終えて電話をしまうと、二人でエレベーターに向かう。


 無駄に鏡のあるエレベーターを二人で降りていると、あずさが話題を振ってきた。


「そういえばせんぱい、ミア・ブルックスが日本に来たみたいじゃないですか」

「ふぁ⁉ ……ああ、そうだったっけ?」


 急にミアさんの名前が出たことに思わず声があげてしまったが、誤魔化せる範囲だった。


 あずさがミアさんの名前をこのタイミングで出したことに深い意味を感じてしまうが、それは俺が意識しすぎているだけだ。

 俺の家にミアさんがいることをあずさが知っているはずがないし、いまミアさんのことは日本でもかなりタイムリーな話題だ。特に意味もないだろう。


「せんぱいは、ミアさんってどんな人だと思います?」

「何だよ、藪から棒に」

「まあまあ」


 うーん、どんな人かあ。


 お風呂場に入ってきちゃうような大胆さを持ちながら、意外と初心な人……ってそれは具体的すぎるだろうが‼


「ま、まあ、美人なんじゃないか? 会ったこともないから俺は分からん」


 とりあえず当たり障りのないことを言っておいてから、嘘を吐いた。

 別に嘘を吐く必要もなかったはずだが、なんとなく潔白アピールをしてしまいたくなった。ほんとなんでだろう。


「で、なんで急にそんな話を?」


 ゴミを俺とあずさの分、出しながら聞いてみる。

 エレベーターは他に使う人もいなかったようで、戻るときもそのまま1階にあった。


「んー。まあ、そうですねえ」


 エレベーターが俺の部屋がある階にとまると、何故だかあずさは俺の後ろをついてきた。

 あれ? あずさの部屋って俺の一つ上の階だったよな。


「まあ、簡単に言えば、浮気調査、ですかね」


 神妙な顔をするあずさに、俺ははっと気が付く。


 このゴミ出しは罠だ‼


 なんか一生言葉にしなさそうなことを心の中で独り言ちながら、俺の部屋に駆け足で向かう。

 駆け足どころではなく、全力ダッシュだった。


「ミアさん‼」


 玄関には俺の知らない女性ものの靴が一つ。

 白を基調としたサンダルで、俺の中で候補は二人に絞られる。


 琴葉か、それとも……。


 靴を適当に放り捨てて、急いで俺の部屋に向かう。

 後ろをあずさが付いてきているのが分かったが、ゆっくり来ているあたりもう時間切れかもしれない。


 それでも焦りに駆り立てられて、自分の部屋のドアを開ける。


「ああ……」


 そこにはミアさんがもちろんいた。

 だがすでにもう目はパッチリ開いていて、もう一人の女性のことを睨んでいた。


 一方、睨まれた側の女性は少し驚いているように見える。

 少なくとも、俺がドアを開けたことにも反応せず、ミアさんに視線が釘付けにされていた。


「ああ、リン。お帰り」

「えっと、その……あのですね、これには事情があって……」


 ミアさんが俺に声をかけてくれたが、俺はそれを受け流しもう一人の女性の方に言い訳を始めていた。


 そこで、ようやくそちらの女性が俺の存在に気が付く。


「おはようございます、凪城さん」


 そこにいたのは、白いコートに身を包んだままの、春下さんだった。

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