第62話 大森教授と新キャラ
時は流れて、1月も終わりに差し掛かっていた。
寒さは増すばかりで、なんならこのあたりがピークではないかと思えるほどのものだった。
そんな中、俺は当たり前のように大学に行き、授業終わりに大森教授に呼び出されていた。
「失礼します」
「散らかってるが、気にせんでくれよ?」
大森先生の後を追うようにして入った部屋は、大学にある先生の個室。
俺が質問をしに行くときなどによく訪れる場所だった。
書架にはこれでもかというほどの分厚い本が何冊も置いてあり、先生が勉強熱心、研究熱心であることは見て取れる。
「先生、そろそろ本の整理をしたらどうです?」
「いや~あいにくだな……どの本も手放すのが惜しくて……」
「じゃあ家の方に持ち帰ったら」
「い、家の方も置く場所がなくてだな……」
「…………」
結局、本を捨てることが出来ないということらしい。
そういった恋人よりも勉強、っていう態度が婚期を逃している原因だとは思うけど……。
本人が好きでやっているならしょうがない。
「とりあえず、そのあたりに座ってくれ」
机の横にあったパイプ椅子を持ってくると、こちらに差しだしてくる。
それから電気ストーブとエアコンを両方稼働させると、ポットの中にお湯があることを確認してコーヒーを淹れる。
「それで、えっと、なんでしょうか……? 突然呼ばれましたけど」
「ああ、すまないすまない」
本当に呼び出した理由を忘れていたかのようだった。
さっきの会話で動揺してただろ……。
「ごほん」
体裁を整えるために、一つ咳払いをしてから。
「凪城。お前が、作曲をやってるっていう話は本当なのか……?」
それからおそるおそるといったように、低姿勢から質問を投げかけてきた。
だが、この質問内容は僕の想像した通りのものだった。
「まあ、一応、そうですね……」
予想はしていたが、それを認めるのは少し恥ずかしかった。
別に恥ずかしいことをしているというわけでは決してないが、大学生の一過性のノリでやっていると思われるのが恥ずかしかったのだ。
だが、大森教授は不審そうに聞いてきた。
「風城冷……と言うのだろう? ゼミをやっている4年生から教えてもらって調べたが……すごい数の検索結果がヒットしたぞ」
「あ……えっと……」
それについては、もう穴があったら入りたいくらい恥ずかしかった。
ペンネームというか、自分が考えた名前を知っている人から言われているのはとても恥ずかしかった。
「なんだ、下を向いて恥ずかしそうに……?」
「もうそれ以上その名前を出すのはやめてください。もうその名義は捨てましたから!」
これは、恥ずかしいあまり出まかせを言ったのではなかった。
これは3日前、1月24日に水野雫さんが新たなシングルを発表した日に同時にユーチューブで俺が宣言したことだった。
それでいてずっと決めていたことだった。
恥ずかしいことに色んなウェブメディアでニュースとして取り上げられてしまったけど……。
なんか恥ずかしい恥ずかしい言ってばかりだな。
「まあ私は音楽の方には疎くて生憎と分からんのだが……。人気を博しているのだけは分かったぞ」
「もういいですから! ほんとにやめてください!」
「記事には『どうして風城冷は美人の女性アーティストにしか楽曲を提供しないのか』というものがあったが、なかなか興味深い話だったぞ? 凪城の女性趣味が見えてきた」
「大学の教授ともあろう人が、一目でわかるネットのデマを信用しないでくださいよ‼」
情報リテラシが大事だと言われる昨今に、そんなことでいいのか……。
少し頭を抱えたくなる。
「まあ、それで本題なんだが」
「いままでの話全部要らないなら帰ってもいいですか?」
「お、落ちつけ」
癇癪を起こして帰ろうとした俺を教授がたしなめる。
慎重に言葉を選んでいるようでなかなか話し出さなかったが、やっとのことで本題を切り出した。
「お前……この大学を辞めるつもりなのか?」
「あー……」
呼び出された理由も、教授がどこか浮かない顔をしている理由も、全てつじつまが合った。
「たしかに……作曲家になる以上、ここにいることはプラスにはなりませんからね」
「ああ」
俺が言った言葉に大森教授も同意を示す。
俺が大学で所属しているのは経済学部である。
ここで勉強を頑張ったところで、もう既に音楽家一筋で生きていくと決めているいま、将来に繋がるものは何もないとさえいえる。
「それは、実は自分も悩んでいたところで……」
「そ、そうか……」
実は退学する方にも意識が傾いていると話すと、あからさまに教授は落ち込んだ様子になった。
なんだか嬉しかった。自分が辞めると聞いて悲しがってくれる人がいることが嬉しかった。
生徒ではそんな人間いないだろうから……。
「でも、ここにいられたことは、僕の音楽活動に役に立っていたと思います」
だから、恩返しじゃないけど自己満足な罪悪感の穴埋めのために、そんなことを口にしていた。
「この大学生じゃないと味わえない雰囲気。1年の頃はサークルに入って、まあ失敗しましたけど。それに100人もいる中で授業を受ける経験だったり、こんな個性的な教授がいるなんてことは、ここに来ないと知れなかった」
「凪城……」
「保証はできないですけど……たしかに、これからも曲を作るうえで力になると思っています」
大学に入ったからこそ経験できた事柄はたくさんある。
今はすぐに生きるかどうかわからないし、実際に役に立つか実感できることはないかもしれないけど、無駄になるとは思えなかった。
「もしかしたらやめるかもしれませんけど……その時はまた報告に来ます」
「……ああ」
ちょっと涙ぐんでいる大森教授。
そういうしおらしくしているところは、少しかわいいと思う。
そういった弱みを男の人にも見せるとモテるんじゃないかなあ、と余計なことを考えておく。
「頑張れよ、凪城。応援してるから」
「――っ! ……ありがとうございます」
とはいえ、やはりいい先生を持ったと思う。
本当に尊敬できる、素晴らしい先生だ。
「あと、テレビとか出るようになったら……イケメンを紹介してくれ!」
「やっぱりこの展開だと思ったよ‼」
本当に、恋愛面以外だったら、尊敬できる先生だ。
*
「――見てッ‼ レイの新曲よ‼」
海岸線を走っている車の中で、運転しているマネージャーに携帯の画面を見せつける金髪の女性。
年齢は、あと一つで二十歳になるという年頃。まだあどけなさが残っているが、アーティストとしての彼女の風格はすでにベテランのそれであると同時に、スーパースターのそれである。
ミア・ブルックス。おととしに18歳でデビューして、初シングルで全米を虜にした。
1年で、世界のアーティストの頂点に立った女性。
そんな他の歌手とは一線を画す彼女は、昨年ごろからずっとある島国の一人の作曲家に注目していた。
「ミア。その作曲家は名前を改名したそうですよ。本名の、ナギシロリンという名前で活動をするそうです」
「ナギシロ……リン?」
どこかその発音が気に入ったらしい。
リン、リン、リン♪ と高揚して車の中ではしゃいでいた。
そういったところはまだ年齢相応というか、むしろ少し幼いというか……。
ミアがその日本人を知ったのは、同じアーティスト仲間のソフィアが教えてくれたからだ。
なんでも、彼女と同じくらいの若い年齢層の女性に人気らしい。
アメリカの歌手の中でも流行っているそうだ。
彼女たちは、そのメロディーに注目しており、もちろんミアも最初はそうだった。
軽快なポップスもあれば、思わず涙腺が緩められてしまうようなバラード。
どの歌も、ミアの心に響くものがあった。
でも、さすがはミア。ただのスーパースターではない。
彼女は、彼の曲を理解するために、日本語を勉強したのだ。
彼女の中で、詞というものは曲と同じくらい大事。
詞が分からないというのは、曲の魅力を半分、いやそれ未満にしてしまうのだ。
だから彼女は日本語を勉強するようにして、実際に彼の詞から日本語を学ぶこともあった。
マネージャーも日本語が話せる同国の人であったため、日本語の習得はそこまで難しくはなかった。
そして日本語を理解していく中で、彼女は凪城凛という作曲家を、作曲だけで語るのは無理だということも分かっていった。
詞が、曲と同じくらい素敵であることに気が付いたのだ。
「ねえ、そろそろ日本デビューしてもいいんじゃない?」
「……ミア。ナギシロに会いたいだけなのでしょう?」
「へへ、バレてしまったか……」
隠すつもりもないらしい。むしろ開き直っている。
マネージャーがわざとらしく嘆息したが、気に留める気配もない。
「――まあ、そうですね。でも、スケジュールを空けるとなると、最低で2か月はかかりますよ?」
「エー? どんな予定が入ってるノー?」
「見せません」
見せるとすぐに先延ばしにしたがるのはミアの悪い癖だ。
ファンのことは大切にしているみたいだけど、自分の好きなことを突き進んでしまう。
「それに……彼女もいるみたいですよ?」
マネージャーはお返しとばかりに、赤信号で一つの画像をミアに見せつける。
これはもう既にデマだと分かっている写真だが……ミアには効果があった。
「ワット⁉ ナニコレ⁉ どこでこんなのが……?」
「まあ彼も日本で人気みたいですから、彼女の一人や二人くらいいるのでしょう」
ミアは、いったん曲を好きになってしまうと、その人自体も好きになってしまうという性質があるらしい。
最初のデビュー曲を提供してくれた女性にもすっかり懐いていたし、凪城凛にも相当な好意を寄せている。
日本に行きたいと言い出したのも、会って話がしたいだけだろう。曲とか、そんなことは多分二の次だ。
「ホワーイ……」
ミアは肩を落として
マネージャーの戦略通りだ。
これで、日本に行きたいとも思わないはず……少なくとも1か月くらいは。
そう思っていたマネージャーはしかし、あっさりと期待を破られるのだった。
「……行くわ、
「――へ?」
「行くッ‼ これ以上変な虫がつかないようにするためにも‼」
どこでそんな日本語を覚えたんだか……と頭を抱えたくなる。
どうやら方向性を間違えてしまったらしい。
「はぁ……」
こうして、凛の知らないところで、また物語が動き出そうとしていた。
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