第60話 そして次へと進む

「ホントはね、ずっと謝りたかったの」


 俺の一世一代の大告白を終えた後、琴葉はそんなことを口にした。


「謝るって……何をだ?」


 迷惑をかけた覚えは山のようにあるが、迷惑をかけられるようなことをされた覚えはない。

 心当たりを探していると、琴葉はすぐに教えてくれた。


「ほら、さっきもあったけどさ……私、凛くんに言っちゃったじゃん。風城冷じゃなくて凛くん自身を好きになる人を選びなさいって」

「ああ、そうだけど?」

「あれ……違うのよ」

「違う?」


 違うとだけ言われてもよく分からない。

 大人しく続く言葉を待つ。


「もちろん本心から言った言葉で、本当にそう思ってる……。だけど他意がないというわけでもないの」

「他意?」

「そう。しかも良くないほうの、もっと言えば……よこしまなもの」


 琴葉は苦しそうにそう言った。

 まるで罪状を白状するような、そんな立場の弱い人間の喋り方だった。


「あの時ね。私、雫さんに嫉妬をしてたのだと思う」


 それから少し転調して出た言葉は、俺の想像をはるかに超えてしまう単語だった。


「……嫉妬?」

「そ、嫉妬」


 俺の知りうる限りでは、むしろ嫉妬という言葉から一番遠い存在が白川琴葉だという認識だった。


 20歳で女優デビュー。

 その類まれなる演技の才能と、20歳という若さで大人の魅力を兼ね備えていると評判になり、人気はうなぎのぼり。

 次の年には歌手デビューすら果たしてしまい、一躍「国民的女優」というポジションを確立した。


 努力に努力を重ね、欲しいものは自分の努力のみで何とかしてきた、強い人間。


 そんな彼女が、「嫉妬」などという持たざる者が抱くような感情を感じる。

 それは驚き以外の何物でもなかった。


 だからそれを琴葉があっけらかんと言った時には、言葉に詰まってしまったのだ。

 しかも相手はあの雫さんだという。


「彼女は私に無いものを持っていて……。それでいて私の大事なものを奪っていく、そう感じたの」


 こんなに琴葉が弱気で卑屈な一面を持っていることを、多分俺以外に知っている人間はほとんどいないのではないか。

 俺も今知ったばかりだ。


「大事なもの……?」

「そう、大事なもの」


 おうむ返しに琴葉は俺の言った言葉を反復する。

 声のトーンは落ちているが、顔つきは何か清々しさを感じるところもあった。

 憑き物が落ちたと言えばいいのだろうか。でも、それはなんだか健全ではなかった。


「凛くんが雫さんと仲良くしている、かわいい子と仲良くしてるって聞いた時、私思っちゃったのよ。『凛くんがとられる』、『自分の好きな曲が奪われちゃう』って」


 赤裸々に語る琴葉に、俺は口を挟まなかった。


「凛くんの興味の対象から外される、とか、凛くんが普通の生活を送るようになって曲を書かなくなっちゃう。そんなことを考えて、連想して、そして不安になった」


 ちょっと自嘲気味に笑う琴葉。


「バカよね、ほんと。あんなことを言っておいて、私こそが、凛くんを作曲するだけの道具だと思ってたのよ?」


 自分自身のことをきちんと見てくれる人と付き合っていけと言いながら、言った張本人はその人間の内側を見ていなかった。

 なるほどたしかに、自嘲したくもなるのかもしれない。


 だけど。


「それは……違うんじゃないか?」


 それは違う、そんなものは琴葉の本心じゃない。

 直感的にそう思った。もしかしたらそう思いたかっただけかもしれないが。


「さっきも言ったけど、琴葉は俺の未来についてちゃんと考えてくれてただろ」


 将来の心配をしてくれた。

 迷っている俺の尻を叩いてくれたし、それでいてしっかりと俺の決断を待っていてもくれた。


「でも!」

「もしそれが、打算的なものだったとしても。でも……それだけじゃ、あんなに心配してくれない」


 もし仮に、琴葉が自分のために俺に作曲家になることを促していたのだとしても。


 それだけじゃないというのは、俺が痛いほどわかっていたし――何よりも琴葉自身も分かっているはずだ。


「第一、琴葉なら『作曲家にならないならマンション解約するぞ』って脅すこともできただろ?」

「そんな……そんな馬鹿なこと、しないわよ」


 俺が冗談交じりにそう言うと、馬鹿にしたような返事をする。

 ちょっとずつ琴葉に元気が出てきた。


 いつもの挑戦的な口調に戻りつつあるし、努力をしない人間を正面から見下すような態度にもなりつつある。

 それでこそ、本来の琴葉だと思う。


 見下すのではなく下向き、そんな琴葉は琴葉ではない。


「本当に琴葉には感謝こそあれど、恨んだりなんかまったくしてない」


 これが、色々あったものを全てを片付けてスッキリした後に俺に残っていた、嘘のない気持ちだった。


「そっか……」


 琴葉はすっかり泣きはらした顔を、もう一度くしゃっと歪めたあと、満開に咲かせていた。


「凛くんのくせに……大人になっちゃって」

「俺はとっくに二十歳を越えてる」


 いつものようにくだらない会話を済ました俺は、すべてのことを清算したような晴れ晴れとした気持ちになっていた。


 デート、それから葛藤、自己嫌悪。


 雫さんの慰め、クリスマスイブ、炎上。


 顔出し配信に、作曲家宣言、そして琴葉の涙。


 後から振り返ってみても、この時期は大変でしたということになるんだろう。

 時が風化しようのないほどに濃密で苦労して、挫折した期間だった。


 そして、多分この時期に作曲家になることを決めたんですと、後の俺は自慢げに語るんだろう。

 その時にはちゃんとこの苦労も思い出しているだろう。ざまあみろ、未来の俺。


 こうして、俺の物語はひとつ前に進んだのだと、そう思うのだった。

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