第59話 宣言

「頼みって……こんなこと?」

「恥ずかしながら……」


 琴葉と一緒にやってきていたのは、都内にある不動産屋だった。


 俺は初めてくるところだったが、琴葉は少なくとも2回はここを訪れているはず。


 なぜなら。


「まさか、あのマンションの一室を借り直したいだなんて……」

「ええと……面目ない」


 なんと言っていいか分からなくて、俺は古くさい言葉を使っていた。

 面目ないと言うのは武士だけかと思っていたが、どうやら俺も言うらしい。


「いや、別に今日は休日だったからよかったけど」

「……、なかなか心配な発言だな」


 今日はクリスマスという記念すべき日なはずだ。


 殊勝な心掛けを持つクリスチャンでなくとも、日本人なら遊んで暮らせの一日のはずだが。


「まあね、役者って実は休み自体はそこそこあるのだけど、同じ役者仲間と休みが被る機会ってないから遊ぶことってまずないのよ」

「そうなんですか……」


 俺はまだ大学生なので分からないが、もしかしたら社会人というのはそうなのかもしれない。

 それにしたって琴葉は激務だとは思うが。


「すまんな琴葉……。そんな貴重な休みに付き合わせてしまって」

「べ、別にいいわよ。たしかに凛くんはここに来たことなかったわね」


 土下座をしてまでこんなところに連れてきてもらったのは、部屋を引っ越すため。


 一時的に住んでいたボロボロのマンションから、都内で家賃が10万円をぎりぎり超えないくらいの俺の身の丈と比べると高めの部屋。

 前に住んでいた部屋に戻るためだった。


「お待たせしました。空いていることが確認できましたので」

「じゃあお願いします」


 店員さんの説明に食い気味に答える俺。


 決意が変わらないうちに決めてしまいたかった。


「では、こちらに名前と住所、それから登録する銀行口座の方を……」

「はいわかりました」


 俺の返事が早いので、若干店員の人が迷惑そうにしていたが、気にすることはない。


 銀行口座の欄に、口座の番号を記した。


「凛くん……?」

「これでお願いします」


 その行動に意味があると感じ取った琴葉が、驚いた様子でこちらに話しかけてくるが、それも気にすることはない。

 これで間違っていない。


「じゃあ、手続きをしてきますので、少々お待ちください……」


 店員さんが奥に引っ込んだのを見て、僕は長く息を吐いた。





「少しそこの喫茶店に寄らないか。話したいことがあるんだ」

「……そうね、私も少し話したかったし」


 不動産を出た俺たちは、その足で直接近くの喫茶店に寄った。


 俺も琴葉も変装をしているので、喫茶店の店員の人は一瞬驚きを見せていたが、すぐにテーブルへ案内してくれた。


 別になんてことはない、チェーン店の一つだ。

 腰を落ち着けて話せる場所だったらどこでもよかった。


「アイスココアひとつ」

「私はホットのブラックで」


 琴葉が俺の注文に意外そうな顔をしたが、今日はココアの気分だった。

 甘いものが飲みたいなんて、俺もまだ昼前だというのに疲れているのかもしれない。


「昼ご飯前には用事を済ませるから、そこは安心してくれ」

「うん……わかった」


 やがて飲み物が届く。


 俺たちの発する、破局間近の雰囲気に店員さんも寄り付こうとは思わないようですぐに厨房の方へ戻っていった。

 喫茶店内にいるのは偶然にも俺たちだけ。


 話をする絶好のタイミングだと思った。


「琴葉」


 言葉に真剣味を持たせるように、いつもよりトーンを落として話を切り出した。

 琴葉もその意味を間違えなかったようで、少しだけ窓の外を気にしたかと思うとマスクとサングラスを取ってこちらと顔を合わせた。


「あまり大したことじゃないかもしれないんだけど……」

「うん」


 一応前置きをする。


 今からする話は、俺にとっては大ごとであるが琴葉にとってはどうでもいい話かもしれない。

 という予防線を張ったうえで、あまり琴葉に驚きを与えないようにしてから、切り出した。


「俺……、作曲家になるよ」

「――――――――え?」


 だが、琴葉は目を丸くしていた。


 何か思っていた内容とは違っていたようで、想定していたワードではなかったようで、驚きを隠せていなかった。


「それって……、前みたいに復帰しよう――――――っていう話じゃないわよね?」

「……ああ」


 どうやら琴葉は俺の言った意味を正しく理解してくれたらしい。


 そう。


「俺は――――――作曲家を仕事にしようと思う」


 はっきりと、打ち明けた。

 この世に初めて、宣言した。


「そ……う…………」


 はっきりしない琴葉の口調。

 どういう気持ちなのか、全く分からなかった。


 驚いていて実感が湧かないのか……、いや、今の時間で噛みしめているようには見えた。


 悲しんでいる、喜んでいる、何かしらの感情があるようには見えたが、どの感情かはわからない。


「そっか…………」


 そのうち、琴葉は泣き始めてしまった。

 彼女は俯いてしまったので分からないが、鼻をすすって目を押さえているから多分泣いているのだろう。


 それから、かすれたような声で、ぽつりと落とすようにつぶやいた。


「よかった…………っ」


 それは、喜びというより安堵に似たような言葉だった。


 そう聞こえた。


「……ありがとな」


 だからそのタイミングで感謝を告げる。


「……?」


 だが当の本人は、どうして感謝されているのか分からない様子だった。


 だから、種明かしをするような気持ちで思いを言葉にする。


「だってさ、琴葉がいつも言ってただろ? 『まだ逃げ道が欲しいのか』って。それでいつも励ましてくれてた。プロになることを応援してくれてたし、味方になるとも言ってくれた」

「それは……」

「だから俺もプロになる決心がついたんだよ。琴葉のおかげで俺の心の中にずっとくすぶってた。『プロにならなくていいのか、逃げてていいのか』って」


 琴葉がいなかったら現状維持を選んでいたと思うし、今回のプロになる決心だってできなかったと思う。

 いつものようにそれらしい御託を並べてプロにならない言い訳を、作曲を仕事にしない言い訳をずっと言ってただろう。


「だからプロになれたのは琴葉のおかげだ。……ありがとう」

「そんな、お礼を言われる資格なんて…………」


 だが、素直に感謝を受け取ろうとしない。


「だって私は、私は……!」


 何か琴葉が言いたそうにしていたが、うじうじしていたので他に話したかったことを告げる。


「あ、あと、作曲家になったら、『風城冷』っていう名義は捨てるよ」

「え?」


 おまけで言ったつもりだったのだが、そこに琴葉が大きく反応する。


「なんで? そんなことする必要ないじゃん……。本名でやったらその分だけリスクがあるし、風城冷のときのファンだった人はいくらか失うのよ?」

「いいんだよ、そんなの些細なことだ」

「些細な……?」


 些細な、という言葉に琴葉が不思議そうにしていたが、俺にとってはそんなことは些細なことだった。


「ほら、琴葉が言っただろ? 『風城冷じゃなくて凪城凛を好きになってくれる人を選びなさい』って」

「そ、それは!」


 琴葉が今にも飛びつきそうなくらい体を前のめりに出してきたが、話を続ける。


「あれからずっと考えてた、自分はどっちなのか、風城冷は俺なのか俺じゃないのか」

「…………」

「でも、ある人が教えてくれたよ。風城冷じゃない俺にも魅力があるんだって」


 ある人が、自分の人生を破滅させかけても教えてくれた。励ましてくれた。


 琴葉もその人間に心当たりがあるのかもしれない。

 表情が明らかに落ち込んでいる。


「ずっと不安だったんだ。風城冷の素顔がこんなのだったら、いつも曲を聴いてくれてる人も幻滅して聞かなくなるんじゃないかって」


 もう3年以上も素顔を隠してやってきた。

 それが今更顔を出して、こんなのだったらがっかりされるんじゃないかって思ったら、顔出しも本名で活動も絶対にできなかった。考えることすら出来なかった。


 でも、ある人が教えてくれたから。大丈夫だって。


「だから俺は本名で、ありのままでやっていこうと思う。まあある程度は離れていっちゃうかもだけど……。それ以上にいい曲書くわ!」

「凛くん…………」


 琴葉がまじまじと見つめてくるので恥ずかしいのだけど……。

 なんか顔についてる? って言いたいくらい見つめられているんだけど。


「凛くん」


 改まって、姿勢を正した琴葉が最後に、言葉を地に足付けるようにゆっくりと出した。


「ようこそ、だね」

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