第58話 土下座
「さて……やっちまったな……」
配信を終えた俺は、清々しい気持ちと同時に後悔も少し感じていた。
1か月後には曲を披露すると、5万人以上が見ている中で宣言してしまったからだ。
言ったまではいいのだが。
「曲が書けるというのとは、話が別なんだよなぁ……」
言ったから書けるようになるわけでもなく、ただ今はスタートラインに立っただけに過ぎない。
この1か月の間に失われてしまった技術や感覚は、1か月以内に取り戻さないといけない。
出来なかったら今度こそ……。
「もう後がないんだよな」
とうとう顔出しをしてしまった。これで逃げるところはどこにもない。
顔出しをすることによって大学の人間にもバレることは間違いないと言っていいだろう。
できなかったときはそこら中からバッシングの嵐だ。
「あ、そういえば」
そこで一つ思い出したことがあった。
そういえば、顔出しをするときに決心をしていたことが1つあったはずだ。
それは俺からしたら一世一代の決心というほど重大なことで、世間的に見たら今更かよと突っ込まれそうなほど些細なこと。
「となると、明日はあそこに行かないとな……」
行先を考えるとちょっと、というかかなり気が重い。
恥ずかしいし、合わせる顔もない。
でも……たぶん避けては通れない道だろう。
というか、避けていたらいつまで経っても曲が作れるようになる気がしない。
「よし」
ひとまず、曲を作るのは明日以降、というかもうちょっと後にしよう。
今日は寝るのみ。
寒気が立ち込める部屋の中で、布団にくるまって明日のシミュレーションをしながら眠りについた。
最近の中で一番よく眠れたような、静かなクリスマスイブだった。
ピンポーン。
時刻はなんと朝の6時。
迷惑であることは疑いようもない。
それでも、相手が相手だけに、週刊誌の記者やパパラッチが絶対にいないような時間帯を狙う必要があるのだ。
「んー、出てこないなあ」
携帯にメモしてあった部屋番号を確認しつつ、もう一度同じ部屋番号を入力してインターホンを鳴らす。
早く出てきてほしいんだが。
こんなみすぼらしい格好で、こんなリッチが住んでいそうなタワーマンションの中でピンポンピンポンと鳴らす不審者になりたくないんだが。
「……はーい。どちら様ですか……?」
相手は寝ぼけたような怒っているような、そんな声に聞こえた。
朝早くに起こされたことに対する苛立ちかもしれないし、そもそもまだ脳が覚醒していないかもしれない。
――まあ、そんなことはどうだっていいや。
「琴葉、俺だ。開けてくれ」
「………………」
呼びかけると、相手は沈黙をしてしまった。
長い長い、沈黙。
破られたのは3分くらい経った頃だろうか。本当になげえな。
「り、凛くん――⁉」
「だからそうやって言っただろ。朝早くにすまんが、寒いから開けてくれると助かる」
厳密には名前を名乗っていないが、声とそっちから見えてるカメラとかで分かるだろう。
あと、琴葉がこうやって本気で驚いているところを見るのは新鮮だった。
実際には見えていなくても、どういう状況かはその声の大きさと高さで分かる。
「ちょ、ちょっと待って⁉ まだ私パジャマだしすっぴんだし歯も磨いてないしというか起きたばっかなの! というかどうしてここが⁉」
「目は覚めたみたいだけどな」
「質問に答える気はないのね! 5分だけ待ってて‼」
「ほーい」
インターホンを切り忘れたのか、どたばたという音が聞こえてくるが気にせずゆっくりと待つ。
早起きをした反動がここで来てしまって、眠い。
さすがに始発で来るのはまずかったかな。
――いや、でもこの後に琴葉と顔を合わせると思うと少し……というかかなり気まずい。
自分から仕事関係の諸々について縁を切らせてほしいと言っておきながらのこのことやってきてしまった。
武士が見たら切り捨て御免って殺されそうだけど、俺は武士ではないから二言しても許してほしい。
考えてきた段取りをもう一度頭の中で復習していたら、マンション玄関の扉が開いた。
どうやら準備が整ったらしい。
「ふぅ……」
さっきまでの余裕はどこへやら、マンションの中へ入ったらさらに緊張してきた。
この窮屈ささえ感じるほどのだだっ広いマンションのエントランスのせいかもしれない。
でもここまで来たら後には引けない。
行くしかない。
「……よし」
気を引き締め直して、エレベーターのボタンを押した。
*
「どうしようどうしよう」
なんとか歯を磨いて着替えることには成功したけど、それ以上は時間が足りなくてすっぴんのままだ。
じゃあ今の時間に化粧をすればいいと思うのだけど、緊張しすぎてそんなことも手に付かない。
なんだろう、こんなタイミングで凛くんが来るなんて。
どんな理由が?
もしかして、また何かやっちゃったんだろうか。
また知らず知らずのうちに凛くんを傷つけて……ってその言い方はあまりに無責任か。
とにかく思い当たる用件が一つもない。
怒りに来たのか、謝りに来たのか、何か言いたいことがあったのか。
怖くて怖くてしょうがなかった。
何かまた決定的なことが言われるような気がした。
「覚悟だけしておこうかね……」
何を言われても、その場で泣き崩れないようには覚悟を決めておかないと。
さすがに凛くんという4つも年下の男の子に泣き顔を見られるのは、ドラマの中だけにしておきたい。
ピンポーン。
――来たッ‼
家の前のインターホンが鳴らされる、つまりは凛くんはもうすぐそこにいるということだ。
ふう、大きく2回深呼吸をする。
チェーンを外し、鍵をアンロックして、ゆっくりとドアを開ける。
「凛くん」
「お、おう、琴葉。ひ、久し振りだな」
この気まずい距離感。
元カレと会った時とかこんなリアクションなんだろうなぁ。彼氏なんかいたことないけど。
「と、とりあえず中に入ってもいいか?」
たしかにここでは寒い。
「ど、どうぞ……」
「そ、それじゃあ、失礼します……」
もう既に帰りたかった。
いや、ここ家なんだけど。
凛くんをリビングに案内する。
凛くんは壁とか床とか天井を見ながら歩く。
……恥ずかしいからあんまりじろじろ見ないでほしい。
とかいってる私はすっぴんの顔が出来るだけ見られないように、凛くんの前を歩いてるけど。
「ちょっと待ってて……? 温かいもの入れるから」
「ああ、助かるよ……」
椅子のある机に案内してから、逃げるように飲み物を汲みに行く。
一時撤退。
キッチンの前で、ほっと息をつく。
どうやら怒ってはいないみたいだ。
ちょっとだけ安心。
「はい、お待たせ~……って――えッ⁉」
マグカップを2つ持ってリビングの方に戻ってきたときに凛くんを発見した私は、危うく手に持っていたものを落としそうになった。
なぜなら凛くんが――土下座をしていたからだ。
「琴葉! 頼みがあるッ‼」
もう本当に今日は、何が何だかわけがわからない。
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