第54話 絶望から救うのは

 間違いなく、人生のどん底に俺は今ある。そんな確信があった。


 携帯の画面をスワイプするとあふれ出てくる誹謗中傷。


『信じていたのに。もうファンやめます』

『ファンを裏切って楽しいんですか?』

『男に色目を使うクズ』


 もっと棘の無い言葉もあったけど、ネットで色んな人からリツイートされるのはこういった言葉だけ。

 だからなのか、こういった悪口や非難がやたらと目につく。


「なんで、なんで……ッ‼」


 俺は自分のことを棚に上げて怒りを感じていた。


 どうしてこんなことしか呟けないのか。

 こんな未確定の情報に好き放題言うことが出来るのか。


 そんな怒りが僕の頭を襲う。


 そして、その時にようやく俺は罪悪感というものを感じるのだ。


「俺のせい……か」


 どうして俺はそんな悪口に怒れるというのだろう、と自分の人格を疑いたくなる。


 俺はこの件で被害者でなければ、第三者でもない。


 否定しようもないほどの、加害者だ。


 迂闊だった。雫さんも簡単な変装をしているし、まさかネットにあげられるともここまで叩かれるとも思っていなかった。


 いや、それも言い訳だ。

 実際にはそんなリスクがあると分かっていても、自分が遊びに行きたかったからデートをしたのだ。

 雫さんと一緒に居たかったから――デートに行ったんだ。


「ほんとにろくでもないやつだよなぁ……俺って」


 散々迷惑をかけたはずだし、散々、風城冷についての雫さんが持っていたキャラクター像を幻滅させてしまったのに、次はいわれのない悪口を浴びる側に回してしまった。

 何も悪いことをしていないのに、雫さん自身は何もしていないのに、俺の軽率な言動で苦しめてしまっている。


 多分彼女の耳にも入ってきていることだろう。


 本当に死にたくなった。

 自分がこれでもかというくらいにとことん雫さんの足を引っ張って、自分のような人間のいる世界まで引きずり込んでしまった。

 そんな自分がこの世に生きているという事実が許せないほどだった。


 自分みたいな馬鹿な人間にも手を差し伸べてくれた雫さんを傷つけてしまった自分を殺してしまいたかった。


 とにかく否定したい。


 雫さんと一緒に写っている写真の男は彼氏でもなんでもなく、そんな資格のあるような人間でもなく、スキャンダルになるようなことでは断じてないと。

 雫さんは何ひとつ悪いことなどしていないと。


 多分雫さんには立場があるだろうから強く言い返せない。

 彼女自身には非が無いが、こういう時に本人が直接反論をすると余計にファンの人たちを煽ってしまう。


 だから代わりに自分が言い返してやりたかった。


 ……悪いのは全部自分だから、彼女に対する悪口はやめてくれと。


 そんな止めどなく、それでいて停滞した思考がぐるぐる、ぐるぐると回っていた時に、ふと考え方が変わった。


「――今度は、俺が雫さんの助けになる番じゃないか?」


 そうだ、ずっと助けられっぱなしだったのに、どうして俺は彼女が窮地に立たされた時に、死ぬみたいな自己満足的な考えしか出てこなかったんだ?


 そりゃ、たしかに彼女が窮地に追い込まれたのは俺が原因だから、助けるなんていう言い回しは正しくない。

 そんな言い方をしてしまうのは茶番でしかない。


 でも言葉なんてどうだっていいし、細かいこともどうでもいい。

 今の俺がどうだなんてことも、どうでもいい。


 今は、彼女を助けられるならなんだってやってやる。


「いや、なんだってやるしかないんだ」


 それ以外の道はない。


 退路はもう、断たれた。



 *



「あーあ」


 やっちゃったなー、ってツイッターでエゴサしながら思う。


 これは完全にやってしまいました。

 雫選手、一発退場ですな。


 ……笑い話にしようとしても、やっぱり、つらい。


「凪城くん、大丈夫かな……」


 タブレット端末を適当に放り投げて、ベッドに大の字で仰向けになる。


 ――昨日のデートではかなり立ち直ったようには見えたけど、今回の件で凪城くんは自分を責めちゃう気がするんだよなあ。

 また前みたいに戻っちゃわないといいんだけど。


「というか、何回見てもこのショットいいなあ」


 もう一回携帯をそばに持ってきて、ある写真を開く。

 今回の騒動の下となったツイートに載せてあった写真。


 多分肖像権の侵害とかにはなるんだろう。

 なんか事務所の方もそっちの方面で動いてくれるって言ってたし。


 それでも、この写真。

 見知らぬだれかが撮った写真じゃなかったら、絶対に保存してるわ。


「この女の子、楽しそうだな~」


 いやまあ私なんですけども。


 というか実際に凪城くんと一緒に居るのは本当に楽しかった。


 昨日の出来事について、思い出してみる。


 まずはあのイメチェンね。あれ、反則だよね?

 そんだけかっこいいなら、自撮りの一つくらい送ってくれてたらまだ心の準備が出来たというものを。

 うーむ。


 それで、ちょっと張り切ってカップルシートにしたみたときなんかは、緊張しちゃったけどそれ以上に凪城くんが緊張してたんだよね。

 あれはかわいかったな~。


 それから無駄に紳士な凪城くん。

 この私相手にご飯を奢ろうなんて100年早いのだ!

 気持ちはありがたいけど、年下に奢られるなんてたまったもんじゃない。


 それからそれから、と色々と思い出していく。


 不思議なことに昨日のあの場ではあっという間に思えた時間も、瞬間、瞬間を切り取っていけば思い出は無限のように思えた。

 楽しかった思い出ばかり。凪城くんにあってから初めて、素の凪城くんと一緒に居られたような気がする。


「あはは。ネットに書かれたことも、強くは否定できんなぁ」


 写真の女の子。


 これは完全に恋をしてるね。恋を。


 まあどう見ても一方通行だけどね。

 これがカップルに見えるようなら、それは見る目ないね。

 お互いの捉え方が違うんだもん。


 女の子の方は好きな人を見る目で男の子の方を見てるけど、男の子の方は友達っていう目で見てる。


「そうなると仕方ない、ね」


 ファンを裏切ったと言ってしまえば、それは間違いだと思う。

 裏切るつもりはなかったし、現に恋人なんていない。


 でも、ファンの人に嫌な思いをさせてしまったのは間違いない。


 好きな芸能人が隠れて付き合ってたなんて思わせたら、そりゃファンも付いていけんわ。


 しかも認めるのならともかくも、私の場合は本当に付き合ってないから否定するしかない。

 これは、隠し切ろうとしているようにしか見られないわけだ。


「仕方ない、しかた、ない……」


 全部自分のせいなんだ。

 男の人と二人で遊ぶなんて、しかも2回も。


 前のデートは運がよかっただけ。前のデートで写真を撮られなかったのは単に運がよかっただけなのだ。

 それで調子に乗るのはプロ意識が足りていないからだし、罵声を浴びられても仕方ない。


 仕方ない、けど。


「もうちょっと……やっていたかったなぁ」


 できるならもう少し、もう少しでも長く。


 ――声優をやっていたかった。


 声優を続けて、あんなキャラやこんなキャラを演じて見たかった。

 出たいアニメもいくつかあったし、共演したい人だっていっぱいいた。


 でも、今回のことで……。


 いや、諦めちゃいけない。


 今回のことで信用は地に落ちてしまうし、仕事ももらえなくなるだろうけど。


 また一から始めればいいんだ。また、一から……。

 最初は一からだったんだ。出来るはずだ。


「……ふう」


 涙を乱雑に拭って、これからのことを考える。


 泣いてちゃダメだ、泣いてる場合じゃないんだ。


 ……泣くなよ、わたし。泣くな、わたしっ……!


「うわぁぁぁあああんんんんっっっっ‼」


 精神的に大事な何かが折れた、そんな感触があった。


 どれだけ取り繕っても直すことが出来ない、自分の真ん中の方にある何かが、修理できないほど壊れてしまった、そんな感覚。


 もうだめかな、とさすがに思った。


 そのとき。


 ブーッ。


 マナーモードにしていた携帯から通知が鳴った。


「……なんだ?」


 ラインもツイッターも通知は切ったはず。


 大体他の通知はいつもオフにしてるし。


 いまいちピンとこない、このタイミングでの通知を疑問に思いながら携帯を取った。


 そしてそその通知を見て、思い出した。


 ユーチューブの通知。その中で唯一、何か動きがあるときに通知が来るようになっていたチャンネル。


『風城冷 さんが 2時間後に 配信を始めます』


 それは、この1か月何もなかった、私の大好きな人のチャンネルだった。

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