第53話 どこで間違えたのか
「曲って、どうやって書けばいいんだよ……」
雫さんと別れて、家に帰ってきてぼやく。
ぼやく、と言ってもその自分の言葉にはそれほどの不満が入っているようには思えなかった。
あんなに自分のことが風城冷だとか凪城凛だとか考えて迷って、それで落ち込んだりもしていたのに、曲を作ってとお願いされると悪い気がしない。
むしろなんだか存在価値を認められたようでうれしくもある。
そんな一貫しない自分の在り方がひどく醜く思える。
風城冷は自分の一部だと、やはり俺もどこかでは考えているらしい。
それが、恋愛のことの自分となると、風城冷は自分じゃないなんてひどく落ち込むとは、幼稚もいいところだ。
自分勝手にもほどがある。
「とにかく、曲か」
帰ってきて荷物を置くと、さっそく曲作りに取り組む。
ただ、曲を作らないといけないわけではない。
雫さんには『できたら頑張ります』と返事をしたからだ。
こういうところでも、風城冷から卒業すると言ってくれた彼女を相手にも、予防線を張るんだよなあ。本当に臆病で自分が可愛くてしょうがない、女々しい男だよほんと。
だから、何とか頑張って作らないといけない。
しっかりと最後に曲を作ってけじめをつけないといけない、そう思っていた。
「とは言ってもなあ……」
そんなことは理屈で分かっていても、そもそもこんなことになって雫さんに励まされた原因となったのは、曲が書けないというスランプに陥ったからだ。
それが、ちょっとやそっとで回復するわけではない。
現にいま机に向かってあれこれと詞を考えているが、いいものが全く思いつかない。
そこで、何かのきっかけに、と今までに考えて貯めておいたメロディーの数々を聞きなおしてみる。
「たしか、ここらへんのフォルダーに入れておいたと思うけど」
久し振りのことに、数あるうちのフォルダーのどれが探しているものかも分からない。
そのことが、本当に長らく作曲をしていなかったことを実感させる。
「あったあった」
パソコンに有線のイヤホンを挿して、一つ一つ聞いてみる。
ポップなもの、バラード調なもの、ロックのもの、様々な種類の音をランダムに聞く。
そして耳に音楽を垂れ流しながら、詞を創造していく。
でも。
「ダメだ、だめだめだ」
イヤホンを耳から抜いて、ベッドに仰向けに転がる。
詞が――思いつかない。
今までは何かしらの詞は思いついていてもしっくりこないという感覚があったが、今は何も出てこなかった。
詞の書き方を、忘れてしまっていた。
「あー、まじでやばっ……」
笑えてくる。
今まで積み重ねてきたものが、またバラバラになって一から積み直さないといけない、そんな気持ちになる。
あれだけやってきたものが、こんな一瞬、2、3週間も書かなくなるだけでゼロに戻るって。
「はぁ」
後悔、というよりは絶望。お先真っくら。
こういう気持ちになるのも、たぶん作曲家になる道を心の隅で考えていたからなんだろう。
作曲家としてはそれなりのポテンシャルも経験値もある。
困ったら作曲家になって、そこそこに稼げればいいだろう、みたいな。
でも、そんなことはなかった。
経験値はたったいま振出しに戻ったし、スランプである今ポテンシャルなど下手な素人よりもない。
保険をかけて作曲家にならなかったことが、とうとう人生の保険さえも失う羽目に。
傍から見たら愚かでしかない。
どうしてそんな選択をとったのか、延々と詰問されそうなまでのあほっぷりだ。
「あー、何を間違えたんだろうな」
スランプになったときに曲を書くのをやめたことが間違いだったのか、もっと早く作曲家になることを決断しなかったのが間違いなのか。
それとも、凪城凛という自分自身のメンツを保とうとしたことが間違いだったのか。
思えば間違ったところはたくさん思い浮かび、どうして自分がこうなってしまっているのかが不思議なくらいだった。
どこか一つくらい正しい選択をしていればこんなことにならなかったと思うと。たったひと時の感情に流されていく自分がとても弱く思えた。
まあ、実際に弱いんだろうな。
「曲は……無理だな」
雫さんに失望されるかもしれない、最後に1回すらも出来ないのかと呆れられるかもしれない。
でも、しょうがないんだ。
そういう弱い人間なんだから。
たぶん、雫さんも納得してくれるだろう。
ちょっと悲しげな顔をされるかもしれないけど、多分あっさり許してくれるだろう。
――そして、俺という人間には二度と関わろうと思わないだろう。
寂しさはある。
たしかに雫さんと一緒に過ごした時間は楽しかったし、俺自身のこともちょっとは良く思っててくれてて救われるような気もした。
あんな人とは、この先二度と会うこともないかもしれない。
でも、甘えちゃいけない。
甘えたら彼女の邪魔をしてしまうだけだから。
彼女は今回のことで俺といたいなんて思わないだろうから、俺が一緒にいたいとか思ってもそれは彼女としてはいい迷惑だ。
一緒に居たくない人間と一緒に居るなんて、罰ゲームでしかない。
「……よし」
今度こそ、今度こそ決別するんだ。
ここだけは選択を間違えちゃいけない。
そう思った俺は携帯を手に取る。
電源を入れると、以前に開いたままになっていたツイッターのアプリが画面に表示された。
そこで偶然、トレンドのところに『水野雫』という単語がトレンド入りしていることに気が付いた。
「雫さん……?」
不審に思って、そしてぼんやりと嫌な予感がして、そのトレンドの文字をタッチした。
その検索結果の、一番上に出てきたのは、ある一件のツイート。
リツイートも万を超えている。
そこには一つの写真が投稿されていた。
夕方過ぎの背景に、長身の男とその横に一回り小さい女性を後ろから撮った写真。
男の方は前を見ているので顔は分からないが、女性の方はマスクをして男性の方を見ているので、横顔が軽く見えた。
どうやら親しげに二人は話しているようだ。
――どくんっ‼。
そのとき強烈な衝撃が俺の心臓をとらえ、それからぎりぎりと緊張に支配される。
なぜなら、その女性の服装は1時間ほど前に俺が見ていた女性の服装にそっくりだったからだ。
そして、その写真の下に合った文言。
『これ、声優の水野雫じゃね?』
俺はその瞬間、全てを理解した。
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