第51話 カップルシート

「あわ、あわわわわわ」

「凪城くん、落ち着いて」

「誰のせいだと思ってるんですか⁉」


 映画の上映時刻20分前、俺と雫さんは噂のカップルシートに横並びで座っていた。


 二人掛けのソファのようなものだが、ソファと違うのはその背もたれの高さ。


 多分、後ろから見えないようになっているのだと思うが、その分個室のような密室性があり二人だけの空間ではないかと錯覚する。


「ほら、落ち着いて」

「はぁ、はぁ」

「深呼吸しよ? ほら吸って」

「すぅーーーっ、⁉」


 雫さんに促されるように深呼吸をすると、その隣の人のいい匂いが鼻を直接刺激してくる。


 くっ、なんだこの甘くて色めいた香りは。絶対に俺を殺しに来てる……。


「大丈夫?」

「な、なんとか……」


 これから2時間、雫さんとこの近さだと思うと不安でしょうがない。

 一体俺はどうなってしまうのだろう。


「でも、映画なんて久しぶりだなあ」


 緊張している俺をほぐすように、話を切り出す雫さん。


「そうなんです?」

「まあ、上映会とかで見ることはあるんだけどね、スクリーンじゃないから」

「ああ、なるほど」


 ほうほう。そうなのか。


 そういえば雫さんは声優さんとしていくつかのアニメ映画にも出ていたな。


 確かこの前は琴葉も起用された大物監督の映画にもヒロインで出ていた。

 そういえば最近色々とあってまだ見に行けてないな。


 なんて雑談をしているうちに、俺もかなり落ち着くことが出来ていた。


「そろそろ始まりますね」

「うん」


 ちょっと映画への興奮も湧いてきた。


 これは、映画を見るのに最高のコンディションかもしれない。


「ちなみに」

「ん? なんです?」


 雫さんが何かボソッと呟くので、思わず体を近づけて聞きにいく。


 顔を寄せた俺の耳元に、雫さんは体の芯にまで通りそうな声音で囁いた。


「カップルシートにくるのは、凪城くんが初めてだよっ!」

「――っ⁉」


 その甘い囁きに、全身が火照るような感覚を受けた。




「……」


 映画は佳境に突入したが、俺は映画に没入していたはずなのに引き戻されてしまった。


 理由は、そのシーンにある。


「んっ、ジョン……っ!」

「ああ、マリアっ!」


 思いっきり濃厚なキスシーン。それを見せられていた。


 生存率の低い戦場に行くことになった男、彼の無事をただただ祈る女。


 男が戦争から帰ってくると、二人はお互いに思いを爆発させ抱擁する。


 たしかに自分も感動していたし、映画の流れとしては完璧だった。


 ただ、ただ一つだけ言わせてほしい。


(気ま、ずい……ッ‼‼)


 ちょうどドラマが濃厚なラブシーンになった時にお母さんに見つかるような、そんな感覚。


 全く付き合っているわけでも好き合っているわけでもないので、別に恥ずかしがるような理由はひとつもないはずだった。


 だが今、二人で座っているのは伝説のカップルシート。


 形だけはカップルのそれだ。


 ちらっと隣に目を向ける。


「……っ、……っ⁉」


 彼女はスクリーンを熱心に見て、それでいて時折入る生々しいカットに頬を赤らめていた。


 始まる前はあんな余裕そうな態度を見せていたが、案外そういったところは初心らしい。

 いや、俺もこのシーンを直視するのはきついけど。


 そんなふうに隣で雫さんが没頭しているものだから、俺は逆にどんどん現実に戻ってきてしまう。


 そして冷静になって考える。


 今のこの状況が、いかにありえない状況かということを。


 横に女性がいる中、映画を見る。カップルシートに座ってくっついて。


 しかも相手は自分を気にかけてくれるほど性格も良く、容姿も抜群。


 見れば見るほど、自分とは釣り合いが取れないと思える。


 というかそもそも同じ天秤に乗せることすら許されないような存在。

 彼女が月なら、俺はすっぽんですらなくそこら辺にある路傍の石なのだ。居ても居なくても同じような存在。


 だから、俺のような石ころに彼女がリソースを割くというのは、本来であれば糾弾されるほどのこと。

 神様が見ていたらお咎めが来るようなことなのだ。


 だから、生き方を変えないといけない、そう思った。


 彼女に迷惑をかけないような生き方。可もなく不可もなく、そんな生き方をしよう、そう思った。


 ――雫のおかげで、凛は少しずつ、少しずつ前向きになっていく。


 ただそれは、世間の期待とは別方向だった。

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