第48話 訪問

 朝の9時少し手前。目を覚ます。


 今日は別に休日でもなんでもなく、平日真っただ中。

 単に自分の起きる時間が遅いだけ。


 ベッドを出ると部屋に冷たい風が吹き抜けた。

 このマンションはお世辞にも良い設備とはいえず、窓がきちんと締まり切らないのだ。


「ふう」


 髪がぼさぼさだったが、面倒くさくて整える気もしない。

 お腹が空いているように感じたが、面倒くさくて作る気もしない。


 自分でも、ろくな生活をしていないなと思う。

 ただそれでも、ちゃんとした生活にしようという気持ちにはならない。


 最低限、服を着て歯を磨いて、と人間としての尊厳が保てるくらいには必要なことを済ませて、準備をする。


 そういえば音楽から遠ざかって、2週間は経っただろうか。


「あいつら、何してんだろ」


 春下さん、美麗、あずさ、それに琴葉。自分が曲を提供してきた人たち。

 彼女たちは今何をしているのだろうか。


 最近はテレビを見ることもやめたので彼女たちの情報は全く入ってきていなかった。


「って、俺に考える資格もないか」


 彼女たちには無理を言って、音楽提供をやめることを許可してもらった。


 最終的には許してもらえたことを意外にも思ったのだが、彼女たちにも何か考えるところがあったのだろう。

 それが具体的にどういったものかについては考えたくないが。


「はぁ」


 思考が立ち止まっていると、すかさず良くないことを想像してしまうのは最近の癖だ。良くない。

 無責任に他人を悪く扱うのは、たとえ自分の想像上だけでもしてはならないように感じた。


 だから、邪念を振り払って大学のことについてでも考えよう。

 そう思った時だった。


 ぴんぽーん、という来訪を知らせる音が鳴った。


「誰だろう……?」


 正直に言えば、真っ先に思い付く相手は彼女たちだった。


 曲の催促。

 作曲を投げ出したことへの抗議。


 少し考えてみれば思い当たることが次から次へと出てくる。


 だから顔を出したくなかった。

 責められて当たり前だけど、今まで仲良くやってきた彼女たちが、俺のことを風城冷だとしか考えていないということを、目の当たりにしたくなかった。


 思ってはいても、現実にしたくはなかった。


 だがそれでも、もし彼女たちであるのならば、きちんと顔を合わせて許しを得ることは最低限の礼儀だ。

 俺の気持ち一つで対面を拒否していいものではない。


「どちら様でしょうか……?」


 ある程度覚悟を決め、またある程度の何かしら抽象的な期待を持ちながらドアを開けると、だがしかし、そこに居たのは思いもしない人物。


 水野雫だった。




「え、えと……雫さん?」

「はい、お久しぶりですねっ!」


 にっこりと笑う雫さんに、頭が付いていかない俺。


「ちょ、ちょっと待ってくださいね」


 一呼吸を置いて、もう一度雫さんに向かう。


「あの、どうしてここを……?」

「琴葉さん、藤川琴葉さんに教えてもらいました」


 いやいや、まてまて。説明をされてもむしろ困惑は増していく。


 どうしてそこで琴葉の名前が出てくる?


 ――たしか琴葉は雫のことをよく思っていなかったように思う。


 それがどうして琴葉と雫が知り合いになっていて、挙句の果てに引っ越し先の住所を雫に教えるような仲になったというのだろう。

 というかそもそも琴葉のことだから、何か言いたいことがあるのなら自分から来そうなものだけど。


「ど、どうしてここに来たんですか?」

「――あ、それは、えっと……」


 じゃあこういう質問をしてみると、途端に恥ずかしそうにブツ切れになる言葉。

 もはやわけがわからない。


 だが彼女がそういう状態になったので、こちらとしては心に余裕ができた。


「もう9時ですけど、仕事の方は……」

「そ、それなら大丈夫! あんまり時間のかからない用事だしっ‼」

「そ、そうなんですか」


 誤魔化すように声量が急に大きくなった雫さん。

 これ絶対、大丈夫じゃないやつな気がするけど、まあ彼女が大丈夫というのならそういうことにしておこう。


「それでその時間のかからない用事というのは?」

「あの、その、えっと……」


 やっぱり訪問の理由を尋ねた途端に歯切れが悪くなる雫さん。


 しかしもちろん俺には彼女が来た理由なんて見当もつかない。


「あのぅ……。えっと……。うう、しっかりしろ私!」

「本当に何やってんすか……」


 目の前で気合を入れている雫さん。

 いや、気合を入れるならインターホン鳴らす前にしましょう。


「うっ、ううんっ」


 喉を鳴らす雫さん。


 それから背筋を正して、おちゃらけた態度を直し、少し仰角をつけて俺の目の位置に視線を合わせる。


「凪城くん」


 彼女が俺の名前を透き通るような声で呼んだことにドキドキしてしまうが、それ以上に次の言葉が俺の脳を揺さぶった。


「明日、デートしてください……っ‼」


 で、デートッ⁉ 明日⁉ 明日って、12月24日だぞッ⁉


 ――クリスマスイブ、だぞ……。


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