彼の曲に惚れ込んでいた彼女たちは、いつの間にか彼に惚れていた

第47話 あずさの登場

　あの車での喧嘩から、二人がとった行動は対照的なものだった。

　琴葉がとった行動はとにかく不干渉。

　凛にお願いされたとおりに、マンションの解約をすぐに実行。

　凛はどうやらもっと家賃の安いところに移り、バイトをしながら生活しているとのことだった。

　琴葉が凛にそれをお願いされたとき、もちろんショックで仕方がなかったが、それよりも自分がこれ以上凛に悪影響を与えてしまうのが怖かった。

　自分のせいで、あれだけの才能を潰してしまうことが恐ろしかった。

　まだ彼を才能としてしか見れていないことに更に自己嫌悪に陥る。

　こういうときにやはり自分は凛と関わるべき人間ではないなと実感し、それが何故だか自分を安心させる。

　ただ、どうしてだろう。

　そうやって彼と距離を置きたいと思っているのに。

　こうしてマンションの契約を切ったことで、彼とのつながりが切れてしまったように感じるのは。

　そしてそのことが、どうしようもなく寂しく、どうしようもなく名残惜しく感じるのは。

「人間の心はままならないなあ」

　達観したようなこのセリフ。

　自分には似合わない。

「ああ、そうだ」

　やり残したことが一つだけ。

　それを終わらせるために、一本の電話を入れた。

　それに対して、雫。

　雫は、凛を探していた。

　彼のマンションに行ったが、そこに彼の住んでいた形跡はなくなっていて、どうやら引っ越してしまったという。

　大学の方にも聞いてみたが、さすがに学生の個人情報は渡せないと断られてしまった。

「本当は大学で待ち伏せることさえできれば簡単なんだけど……」

　現在、雫がいるのはアフレコをする都内のスタジオだった。

　最近は仕事が多くて、次の休みはクリスマスイブだ。

　その次は年末年始になってしまい、凛も家から出ないだろう。

　つまり、次のクリスマスイブが最後のチャンスだった。

（どうにかして、クリスマスイブまでに凪城くんの居場所を見つけないと……。）

　もう２週間以上返信が来ないラインのトーク画面を見ながら、焦る雫。

　焦る気持ちを抑えたまま、彼女は今日も録音ブースへと向かう。

　だが、クリスマスイブの前日、１２月２３日。

　そんな雫に思わぬ助け船が現れた。

「初めまして、水野雫さん。わたし、生田あずさと申します！」

「……？」

　朝早く、雫の家に現れたのは小柄な女性。

「え、えっ！」

　人気アイドルの、生田あずさだった。

「お邪魔してもいいですかー？」

「あ、え、ど、どうぞ」

「失礼しまーす！」

（やばい、私いまどんな格好してる⁉）

　あずさがコートで体を包んでいるのを見て、自分の服装が彼女に会うのにふさわしくないものだと気が付く。

　パジャマに一つガウンを着ているだけ。初対面としては最悪だ。

（でも、しょうがないじゃない！）

　誰にも責められていないのに心の中で言い訳をする。

　急に来るなんて、それもあの生田あずさが来るなんて……！　どうして私の家の場所を⁉　というか、何のためにここへ？　しかも朝の７時という時間に。

　疑問はたくさんあったが、まずはこんな寒い時期に外で待たせているわけにもいかない。

　急いで部屋の暖房の温度を上げて、ついでにこたつも付けてあずさを家に迎え入れる。

「おー、いいところですねー」

「ああ、えっと、まあ、はい」

　絶対にあずさの方が良いところに住んでいると言おうと思ったが、未成年を相手にそんな金に関わる話をするのもどうかと思いやめた。

「あ、あの、コーヒーとココアがありますけど……」

「あー、ココアでお願いします！」

　コーヒーは苦くて飲めませんっ、とはっきり笑顔で言うあずさに雫の緊張もほぐれていく。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございますっ！　ふー、ふーっ」

　ココアを冷ます姿は、子供のそれと変わらない。

　スーパーアイドルも、ちゃんと人間なんだなあと声優界のアイドルは思う。

「あの、それで、こんな早くにどうしたんですか？」

「ああ、そうですそうです」

　用件を思い出したあずさはマグカップを置いて、柔らかな表情から一転、顔つきが変わる。

「実はですね。はーさん、琴葉さんから言伝をもらってて」

　言伝と言いながら、あずさはひとつのメモを鞄から取り出して雫に渡した。

「これ……は？」

「見て分かりませんか？」

　書いてあるのは、東京都から始まる漢字の羅列。

　それは誰でもわかるような、住所の形式で。

「凛せんぱいの住所です」

　それは、雫が思っていた通りの人物のものだった。

「凪城くんの……？」

「ええ、そうですそうです」

　このタイミングで住所といえば凛しかいないのだが、何故あずさから凛の住所が出てくるのか、分からなかった。

　いや、実際には琴葉から教えてもらったのを伝えに来たということは分かったが、あずさと琴葉がどうにも凛というキーワードで結ばれない。

　困惑している雫の様子を察したのか、あずさが説明を加える。

「あ、実は私も凛せんぱいに曲をもらったことがあってですね、って知ってるとは思いますが」

「ん……ああ、そうでしたっけ」

「それでテレビでご一緒することとかもあって、仲良くなったんですよ」

　そう言いながらあずさの顔はふてくされたような顔だった。

　そこまで仲良くなかったのだろう、と余計なことを考えながら雫は話を進める。

「それで、どうして琴葉さんはこれを私に？」

　もちろん気になったのはそこである。

　前は喧嘩別れのようになってしまったので、琴葉が自分に対して助けになるようなことをするとは思えなかったのだ。

　だがあずさは彼女の質問に、琴葉の言葉を借りて説明する。

「『罪滅ぼし』って言ってましたね。私も聞いてみたんですけど、そうとしか言ってなかったです。なんでも、これくらいしか自分には出来ることがない、とか」

「罪滅ぼし……」

　罪。そう言うのであれば、それは凛に対する罪ということだろう。

　凪城凛の存在を知らず知らずのうちに否定してしまい、不必要に彼を追い込んでいてしまったことに。

（そうだ。私は何が何でも凪城くんに彼自身が好きだって伝えないと）

　そこで自分の使命を思い出した。

　今自分がやらなければならないことは、彼に自分の気持ちを誤解の無いように伝えることだ。

　それが、もしかしたら彼の助けになるかもしれない。

　そしてそれと同時にあわよくば……などと想像しかけてそれをやめた。

　彼が不幸になっているいま、そんなことを考えることは彼に対して悪いように感じた。

「あり、ありがとうございます！」

「いえいえ……。ほんとは私が行きたかったところなんですけどね！」

　最後にあずさに壮大な嫌味を言われて、雫は逆に力がいい加減に抜けた。

　行かなくちゃ。凪城くんのところに。