第46話 凛を好きなのは
舞台あいさつで、琴葉と雫、そして二人のマネージャーを乗せた車は新宿から次の舞台挨拶先の名古屋まで移動していた。
大型の車で行き、後ろから1列目に琴葉、2列目に雫とそのマネージャーが同乗する。
既に車は高速道路に乗っていて、もう1時間もすれば到着するとカーナビが教えていた。
雫は帰りは別の演者と乗る予定だったので、琴葉と腰を据えて話すことができるのはこれが最後。
次はまたかなり先の話になってしまうだろうと思えた。
だから、雫は思い切って琴葉に尋ねる。
「あ、あの、琴葉さん!」
「ん~、なに~?」
琴葉は24歳、それに対して雫は2つ年下だ。
それでいて女優の方が声優よりも表に出る機会が多いため、知名度も人気もけた違い。
だから、雫は敬語で緊張気味に尋ねる。
だが、それ以上になぜだか興奮が抑えきれなかった。
琴葉も予定の確認が終わったようで、リラックスした様子で返事をした。
「き、聞きたいことが!」
風城冷の名前を出すのはどうしてか緊張するものがあったが、それでも臆さず聞こうとしたとき。
「凛くんのことかしら?」
「へ?」
意外なことに琴葉が先んじて凛の名前を出した。
琴葉からまさかその名前が出ると思っておらず戸惑う雫に対して、琴葉は種明かしをするように説明を加える。
「貴方が凛くんにアプローチを仕掛けていたのは知っていたから。もしかしたらご存知かもしれないけど、私ってたまに凛くんの家に行くからね」
「……」
たしかに知っていた。琴葉が凛の家に行っていることがきっかけで、凛の素性が分かったという経緯もある。
だけどそのことが琴葉にも知られているということは、凛が琴葉に話したということである。
凛と琴葉がそれほどの仲であることに多少の嫉妬を覚えつつ、雫はそれを表に出さないようにして言葉を返す。
「じゃ、じゃあ、凪城くんが最近どうしてるか知ってます?」
だが、その言葉に琴葉の眉が少し吊り上がった。
「……知らないわよ」
純粋に質問をする雫に、棘の生えたような返事をする琴葉。
その態度に、雫は違和感を感じる。
ただ知らないというのならまだ分かるのだが、そこで不機嫌になる理由というのは分からなかった。
「なにか……あったんですか?」
雫は恐る恐る質問した。
彼女を刺激しないようにしたかったが、何かあったというのが単純に気になってしまい質問をするのを止められない。
「――あなたには関係ないわ」
「その、気になります。別に聞いたところで何かできるとも思いませんが、教えてください」
琴葉の喋り方で車内のムードは険悪なものになってしまったが、それでもひるまず雫は食い下がった。
最近、風城冷が動画を更新しないことに関係しているのかもしれないのだ。
元から雫に引き下がるという選択肢はない。
そんな真っすぐな雫の様子を見て、琴葉は端的に返す。
「――音楽はやめる、って」
その短いセリフを伝えるのに、琴葉は痛切な表情をする。
それは、彼女の気持ちを代弁していた。
だが、雫も雫の方で言われた言葉に困惑を隠せなかった。
「音楽を、やめる?」
おうむ返しに聞き返すと、今度は琴葉が携帯に装着されているイヤホンを強く握りしめながら詳しく説明をしてくれた。
「一週間かそこらか前にね、ラインが来たのよ。彼にしてはすごく長文で」
そこからラインの内容について説明があった。
まずは大量の謝罪があったこと。
楽曲提供者としてあるまじきことをしていて、それでいて勝手なことを言って申し訳ないと。
本題は、スランプに陥って曲が書けそうにないので、楽曲提供をやめさせてほしいということだった。
同様の内容が彼女の所属する事務所やレコードレーベルにもメールで届いたので、どうやら本気らしい。
期間は無期限で、こんなどうしようもない自分勝手な理由で楽曲提供をやめるので、ケジメとして今後一切の楽曲提供はしないということを頼んできたそうだ。
そういった内容が、琴葉が説明してくれたラインの内容だった。
「……彼は大丈夫なんですか?」
「分からないわよ、私にだって」
「引き留めたりとかは……」
ラインの説明が終わると、雫は質問をする。
凛が今どうしているのかが気になったが、それは琴葉にも分からないだろうと思って別の質問をする雫。
だが、そうやって質問されることが、琴葉は気に食わない。
自然と苛立ちが言葉の端々に現れてしまう。
「したわよ、当たり前でしょ? 電話をかけて直接言ってみたけど、彼はもう謝ることしかしなくてね。『頼むからやめさせてほしい、お願いだ』とまで言われたわ」
「そ、そんなに……」
琴葉は、携帯の真っ暗な画面に視線を落とした状態で続ける。
「でも、私も言ったよ。時間がかかるかもしれないけど戻ってきてって。また私のために曲を書いてって」
琴葉は悲しげに嘆く。
「でも、無理だって。無理だって言うのよ……。もう自分には曲が書けないって」
涙交じりでかすれた声の琴葉。
そんな弱い彼女を見てられなくて、雫は窓の外に視線をやる。
だけどそこから琴葉は小さく。
「これって……貴方のせいでしょ」
と、呟いた。
そして堰が一度切られてしまったあとは、簡単に感情が決壊する。
「あなたが、凛くんをたぶらかすから……。たぶらかしたから、彼は曲が書けなくなったんでしょ‼」
怒りをぶちまけるように、雫に言葉を吐く。
「彼が好きだとか、妄言吐いて彼を誘惑して‼ それでスランプに追い込んだのはあなたでしょ⁉」
「え、え?」
だが、急に怒りの矛先を向けられた雫は、突然の出来事に思考が追いつかない。
まさか琴葉から責められるとも思っていなかった。
彼女がこんな怒りを露わにするなんてことも、雫にとっては予想外のこと。
そんな驚きに支配されている雫に、琴葉は容赦なく暴言を叩きこむ。
「凛くんが好き? はっ、笑わせないでよ。どうせ作曲家としての彼にしか興味ないくせに!」
怒りを散らすその勢いそのままに、琴葉から出た言葉。
だが、その言葉には疑問を覚えた。
「私が、作曲家としての彼にしか興味ない?」
心当たりのないことに、急速に熱くなっていた思考が冷却される。
さっきまで感傷的になっていた気分が、今度は感情的に変わる。
「私が……? そんなわけないでしょ! わたしは、わたしは……本当に彼のことが好きなんだからっ!」
顔を少し赤くしながらも、大きな声で叫ぶ雫。
雫の隣に座っている彼女のマネージャーが目をひん剥いているのがわかったが、雫は無視した。
「私は風城冷のことも好きだけど。だけど、凪城凛が好き!」
「嘘に決まってるわね! そうやって作曲家としての彼ばかりを好きになるから、凛くんも現実との板挟みに苦しんだんでしょ⁉ ほらやっぱり、私の言った通りだったわ」
「どういう意味ですか‼」
お互いに語気が強くなっていくが、この場に彼女たちの口論を抑えることが出来る人間はいなかった。
「凛くんに言ったのよ。『風城冷じゃなくて凪城凛を好きになる女性を選びなさい』って」
「はい?」
だが、さすがにその言葉は雫の頭に来た。
「私が、凪城凛なんかほっといて風城冷だけに夢中って言うんですか⁉ そんなわけないじゃないですか!」
「嘘に決まってるわ。彼に直接会ったこともなかったような人間が凛くんを好きになるわけないじゃない」
「違います! 私は最初から彼の声が好きで、会ってみたら性格も好きになって、顔だって……」
まさに乙女の顔をして恥じらいながらも強く主張する雫。
「ふん、嘘ね。適当に言ってるのがすぐわかるわ」
だが、琴葉は頑として認めない。
その琴葉の態度に腹を立てた雫は、先ほどの受け身から一転して厳しく言い返す。
「どうして、そうやって頑なに彼自身の魅力を認めないんですか。私が凪城くんを好きだってことを真実だと認めないんですか。それは――あなたこそ、彼自身――凪城凛くんではなく、風城冷にしか魅力がないと思ってる証拠じゃないんですか」
その言葉に、今まで怒りに任せて回っていた琴葉の舌が止まる。
自然、車内の空気が時間を止めたように凍り付く。
「……どういうことよ」
その反論には予想をしていなかったのか、先ほどより少し熱量の収まった琴葉が問い返す。
「そのままの意味です。あなたが風城冷のことしか気にしてないからじゃないですか? 凪城凛なんて、風城冷の付属品に過ぎないと思ってるんじゃないんですか!」
「あ、あなたねえ!」
しかし、また雫の直接的な表現に温度が上がる。論争が、白熱する。そう思われたが。
どうしてか、先ほどまで論理的に話していた琴葉は、言葉に詰まった。
雫の言っている反論をロジカルに返す言葉が、どうしてか琴葉の頭に思い浮かばなかった。
その間に雫がたたみかける。
「さっきだって、あなたはずっと彼からもらえる曲の心配ばっか! 凪城くんの心配は? 彼が曲が書けないことに悩んで困って苦しんでいるというのに、あなたは曲の心配ばっかり! 違いますか⁉」
「……っ!」
のべつ幕なしに話す雫。
年上を相手にして、さらには芸歴でも先輩である琴葉を前に、一歩も譲る気はない。
「あなたは、凪城くんのいいところをいくつ挙げられるんですか?」
「……べ、別に、私は凛くんのことも凪城冷についても同じように考えてるわ、決してどちらかが特別でどちらかが好きとかないの」
「じゃあ、そう本気で思ってるのなら、人の恋愛に口出さないでもらえますか? 凪城くんのことを曲を作ってくれるだけの道具としか思っていないんだから」
そしてとうとう琴葉は言い返すことが出来なかった。
その一見辛辣に見える雫の指摘を、違うと断定することが出来なかった。
(わたしは、わたしは……!)
琴葉も、もちろん言い返したかった。
凛を道具だと思ったことは一度だってないし、凛のことも好きか嫌いかで言えばかなり好きな方。
でも……それははたして凛のことだったのだろうか。
彼の作る曲に惹かれ、彼の書く詞に惹かれ、彼の才能に惹かれた。
じゃあ顔は? 性格は? 彼に惹かれた要素のどこに、凪城凛が存在する?
『風城冷じゃなくて凪城凛を好きになる女性を選びなさい』
自分の口にした言葉が、自分を締め付けるような感覚になり息が苦しくなる。
ずっと、雫は風城冷が好きなのだと思っていた。どうせ凛に近づくような人間に、彼の人となりを好きになるような人間はいないと思っていたから。
だから、近づけさせるのは良くない、接近させすぎるのはダメだと思っていた。
彼自身が認められていかなければ、彼はそのうち潰れてしまう。
だけど――潰していたのは自分だった。
凛のことを好きになってくれた女の子を彼から遠ざけ、それでいて自分は何事もなかったかのような他人面をして風城冷を利用していた。
凛に魅力がないと勝手に決めつけていた人間は、自分だった。
どんどん、凛の存在意義を、存在範囲を狭めてしまっていた。
「……ああ」
最低だ。私、最低だ。
凛くんに愛想尽かされて、当たり前だ。
「ごめん……凛くん……」
か弱い少女の声で、この騒ぎに収拾がついた。
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