第45話 普通の生活

 そういえば、こういう時のために作曲家になるのを嫌っていたのではなかったか。

 そんなことを急に思い出した。


 職業にしないのは、自分の曲が売れなくなった時の予防線だった、そんな記憶がある。

 途中から、作曲家にならないことに変に固執していて忘れていたが、たしかそんなものであったように思う。


 まあもちろん、過去に琴葉に言われたように、プロを目指して批判をもらうのが怖いというが一番なのだろうけど。


 そう思うと、逆にこういう予防線を張っていたことが自分をスランプに陥れた気さえする。


「結局、自業自得だってことだな」


 なんだかすっきりした。

 自分が招いたことだと思うと、どうにも馬鹿らしくてそれ以上のことを考える気にならなかった。


 結局は自分のせい。


 そう気持ちを改めると、途端におなかが空いていることに気がついた。


「なんか、食べるか」


 料理は面倒なので、カップラーメンで済ます。

 ふたを開けて、ポットから熱湯を直接注ぐ。


 結局こういった生活が自分の身の丈に合っているのだ。


 特別なことなんか何もしない、普通の生活。


 この日を境に、凪城凛は、風城冷は曲を作らなくなった。




「おかしい」


 水野雫は、こんなことを考える。


「もう1か月も更新がない」


 もう12月も半ば。


 前に風城冷が曲を作って動画サイトにアップロードしたのは11月の初めの頃。


 もう1か月も更新が途絶えていることになる。


「こんなこと、なかったのにぃ~」


 ベッドの上で寝返りを打ちながら、子供のように呻く雫。

 脚をバタバタさせ、ベッドがぎしぎしと不吉な音を鳴らす。


 仕方ないから前の動画を見て、耳を癒す。


「はぁ~、素敵。うん、最高」


 誰にもレビューを求められていないが、感想を言わないと気が済まないたちのようだ。


「でも、どうしちゃったんだろ……」


 風城冷といえば、かなり作曲のペースが早い。


 いろんなアーティストに楽曲提供しながら、少なくとも1か月に1回かもっと速いペースで新曲を発表するようなとんでもない才能の塊である。


 それが、もう1か月と半、音沙汰なしである。

 ついでに言えば、これは雫にとってはどうでもいい情報であったが、彼が楽曲を提供しているアーティストから楽曲が新たに発表されたということも聞かない。


 もちろん、前に1回だけあったラジオ出演なんかもない。


「あー、もうほんと、神回ってのは何回もないから神回なんだよなぁ~」


 風城冷がラジオに出演したあの回は、彼のファンの間の中では『神回』と呼ばれて、ユーチューブに載っているアーカイブを何十回もリピートしたのは雫だけではないだろう。


 もともと、彼の声に惹かれる人間というのは雫だけでなく、一般的なファンにもいるのだ。


 作曲家、作詞家としての彼ではなく、歌手としての彼に魅力を感じているファンが雫の体感では1割くらい。


 なぜ神回と呼ばれているか、それは彼が素の声を聞く機会があったのが、電波に乗っている限りではあの放送しかないのだ。


 だから、3時間に一回くらいのペースで風城冷の名前でツイッターを検索している雫は、彼がラジオに出演するという情報をキャッチしたとき子供のようにはしゃぎ倒した。


「あー、ひまだー」


 常に彼のことを考えて彼の動画を見ている人間としては、何も更新がないというのは暇で暇でしょうがない状況なのだ。

 もちろん仕事はたくさんあるが、余暇にやることがないという意味で。


「もう一回、職権乱用してデートしちゃおっかな~」


 ああ、あのデートは最高だった。雫は回想する。


 隣に風城冷――本名は凪城凛だがーーがいるというだけで興奮した。


 髪に隠れて分からなかったけど穏やかな目をしていたし、スタイルも長身細身で抜群だった。

 雫には彼氏がいた経験がないから分からないが、彼氏と並んで歩くってこういう感覚なんだろうなと思った記憶がある。


 それに、あんな近くで声が聴けるというのは、もう楽園以外の何物でもなかった。

 最高の記憶。


 だが、時系列に沿って思い出をたどっていくと、やがて一つ質問をされたところに到着する。


 ――俺は凪城凛だと思いますか? 風城冷だと思いますか?


「なんだったんだろうな、あれは」


 そこから、どうにも彼は浮かない顔になって、デートの途中だというのにずっと何かを考え込んでいた。


 こんな美少女とデートしてるのにほか事? と睨んだりもしたが、彼の深刻そうな顔を見るとどうにも責める気がしなかった。


 そして別れ際のあの顔。


 あの顔は――少なくとも――風城冷がしていい顔だとは思えなかった。凪城凛という男がするべき顔ではないはずだ。


「やっぱり、何かあるのかな……」


 彼の曲が更新されない理由と、彼のしていた顔がどうしても結びついてしまう。


 そういえば、最近はラインの返信もどこかなあなあで、それでいて悲しげだった。


 まるで何かを悟ってしまったかのような。


「――気のせいだといいんだけど」


 頭を振って、よぎった変な妄想を振り払う。

 ついでになよなよと考えている自分もだ。


「よし、仕事仕事」


 明日はたしかアニメ映画の舞台挨拶だったはずだ。


 アフレコは何か月も前のことなので、一応劇場でも映画を見られるがアニメを振り返って喋る言葉を考えておいた方がいいだろう。


 それに、明日の舞台挨拶には声優としては初挑戦の藤川琴葉もいた。


 風城冷について、、凪城凛についてたくさん聞いてあわよくばそのまま彼の家に行っちゃおう。


 そんなことを考えて次の日の仕事を楽しみにしていた雫だが、それは叶わなかった。


 その前に……彼女たち二人が喧嘩をしたからだ。

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